フランス ルネサンス断章2009/03/01 22:03

今日たまたま図書館の検索画面を見ていると、渡辺一夫氏の『フランス ルネサンス断章』が書庫にあるのに気がついた。鎌倉文庫版と違いがあるだろうか、少し気になったので比較してみたい。また手元に他の版もあるのでここで整理してみよう。

1) 初稿は、文芸雑誌『人間』1947年11月号、鎌倉文庫 「ある占星師の話 - ミシエル・ド・ノートルダム(ノストラダムス)の場合」(ウィキペディアによる)、ミシエルとエが小文字になっていないが原文通りなのか。

2) 1949年(昭和24年)9月20日発行『ルネサンスの人々』、鎌倉文庫、定価200円 「或る占星師の話―ミシェル・ド・ノトルダム(ノストラダムス)について―」、この本は職場近くの古本屋で見つけて2000円で購入。現行版と比較すると、である調で旧漢字を用いている。七人のルネサンス人の一人として紹介されている。百詩篇1-35に誤訳がある。文末に(novembre 1947-septembre 1948)とあるので 1)を改稿しているのだろう。

3) 1950年(昭和25年)9月20日発行『フランス ルネサンス断章』、岩波新書(青版)、90円 「或る占星師の話―ミシェル・ド・ノトルダム(ノストラダムス)の場合―」、序文によると 2)を改稿したとあるが、文末は(Novembre 1947)のままである。2) と同様にである調で旧漢字を用いている。ルネサンス人が二人増えて九人となっている。百詩篇1-35の誤訳をワードの読み方に従い訂正している。1989年に再版された。

4) 1964年(昭和39年)8月25日初版発行『フランス・ルネサンスの人々』、白水社、定価800円「ある占星師の話―ミシェル・ド・ノトルダム(ノストラダムス)の場合―」、現行版のように、ですます調で新漢字に全面的に書き換えられ読みやすくなっている。この題名が以降定番化した。岩波書店刊の『西洋人名辞典』(新版)の引用がある。文末は(Novembre 1947-Mars 1964)になっている。手元のコピーは昭和56年8月に取得。

5) 1971年(昭和46年)2月25日初版、1977年3月10日増補版発行『渡辺一夫著作集4 ルネサンス雑考 中巻』、筑摩書房 「ある占星師の話―ミシェル・ド・ノートルダム(ノストラダムス)の場合―」、本文は 4)と同じ。ノトルダムの表記がノーと長音に変更している。付記がついており、最近の新情報を追加している。しかし付記はこれ以降の再版の際に収録されることはなかった。文末には(mars 1970)とある。手元のコピーは昭和57年9月に取得。

6) 1992年(平成4年)1月16日出版 『フランス・ルネサンスの人々』、岩波文庫、「ある占星師の話―ミシェル・ド・ノートルダム(ノストラダムス)の場合」、未見だが内容的には 4) と同一か。

7) 1997年(平成9年)10月10日発行『フランス・ルネサンスの人々《新装復刊》』、白水社、定価3200円、「ある占星師の話―ミシェル・ド・ノトルダム(ノストラダムス)の場合」、4) を復刊したものなので表記がノトルダムに戻っている。平成10年7月に紀伊国屋のウェブサイトで購入。

簡単に時代の流れを追ってみたが、重版の類には言及していない。これを見ると出版社ごとに少しずつ加筆修正した跡が窺われる。渡辺氏の記念碑的なノストラダムス論は今読んでも十分に価値がある。

怪奇の解剖学2009/03/02 23:46

http://www.books-sanseido.co.jp/blog/jinbocho/2009/03/4-18.html
3月1日から神保町の三省堂書店本店4Fフロアの奥で、「奇想・妄想・摩訶不思議! 古書フェア」が開催されている。子供の頃読んだ懐かしい本が並んでいる。何か掘り出し物でも見つからないかとぶらっと覗いてみた。すると、今はなき大陸書房のオカルトシリーズや黒沼健氏の物語ほか、ほぼ美品に近い本が厳選されて所狭しと置かれていた。ノストラダムス関係で何かないかと探してみると、昭和61年に国書刊行会から超科学シリーズ4『怪奇の解剖学』が目に留まった。昔、検索をかけていたときに章立てで「ノストラダムス」があったのを思い出した。手に取ってみると、本は20年以上も前とは思えないほど、ほぼ新品状態である。原題はOdditiesで「奇異な出来事」を意味する。表扉には、著者ルパート・T・グルード、諸井修造訳、南山宏/編・監修 とある。

原著は1928年が第一版で、1944年に第二版への序文がくる。「はじめに―弁明として」を読むと、この本に所収のエッセイは、文字通り不思議な話を脈絡なく寄せ集めている。そのスタンスは「正確な典拠を挙げて、事実に嘘偽りがないことを示すよう、最大の配慮を払った。」というくらいできるだけ原資料を広範に参照している。まずはノストラダムスの章をチェック。本の最後、11番目の話として載っている。最初の方は様々なイギリスの予言者の話が出てくる。そこでおっと思ったのが、J・W・ダン氏の『実験的時間論』が予言能力の根拠として引用されていること。ジェームズ・レイヴァーの本(邦訳403頁)にもこの名がみられる。予言能力を語る際の典拠の一つとして扱われている。本題のノストラダムスに関しては、四行詩を引用して的中したとされる予言の紹介にすぎない。

どこが典拠かといえば、アナトール・ル・ペルティエ、エティエンヌ・ジョベール、ジュヴァリエ・ド・ジャン、モトレーらの名前がある。当時では権威と見なされていたフランス語文献を参照しているのだから、まあ及第点をあげてもいいだろう。図20には大英博物館所蔵の1605年版予言集の1頁のコピーが載っている。ただし、本文には口絵に示されていると書いている1605年版予言集の表扉のコピーはどこにも載っていない。日本語版では削られたのだろう。残念である。

「実証と信奉の間」を読んで2009/03/03 23:26

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/nostradamuszakkicho
ノストラダムスサロン談話室に先日「招かれざる客」が訪れて独善的な予言解釈をぺたぺたと貼り付けていった。上のブログを読むと、その前にはsumaruさんの掲示板でも同じことをしたらしい。この「招かれざる客」は以前にもいろんな掲示板で繰り返し大量の貼り付け行為を行っていたので確信犯ともいえる。ノストラダムス雑記帳掲示板のやり取りを読んでみたが話がかみ合うはずもない。譬えていうならば、幼稚園児が大学生に論議をふっかけているようで全くお話にならない。こういった素人信奉者の与太話を一字一句やり込めているのは、不謹慎ながら、傍から見ている分には面白い。しかし、いざ自分のところに来るとどうしたものかと迷う。

雑記帳の掲示板では、さすがに論理明晰、見事な管理者ぶりを発揮していた。この業界(?)を長くウォッチしていると、こういう輩がどういったことを主張してくるか、大体の予想はできる。ウィキペディアの主筆でもあるノストラダムスの碩学に、五島氏と飛鳥氏の末端弟子が独自解釈とやらで挑んでいく姿は滑稽としかいいようがない。自分のところは、幼稚園児に対して小学生くらいなもので、まともに対峙すると取っ組み合いの喧嘩に発展しかねない。幸い心ある人が助け舟に入ってくれたが、これも日本における歪んだノストラダムス現象の落とし子なのだろう。その具体例として「実証と信奉の間 」は非常に示唆に富んだ文章である。sumaruさんも元は信奉者だったと正直に告白しているが、誰しも程度の差こそあれ同じ道を通っているはずだ。

かくいう自分も中学生までは五島氏の解釈を無批判に信じていた。高校生ではすっかり忘れていて、大学生になってから少しずつ調べ始めた次第である。sumaruさんはノストラダムスの予言能力についてはまったく信じていないと公言しているが、自分は実証的に裏付けできればそれを受け入れてもいいかなというロマン派(?)である。いずれにせよ、正しい情報に基づかなければきちんとした論議も成り立たない。自分に都合のいいバイアスのかかった見方というのは、今後も自戒していかなければならない。

A級順位戦の最終局が行われた2009/03/04 23:53

http://mainichi.jp/enta/shougi/index.html
昨日A級順位戦の最終局が行われて名人挑戦者と降級者が決まった。しかし、なかなか時間が取れずに結果を確認することができなかった。本日、帰宅後に上のウェブサイトを確認してようやく結末を知った。もちろん一番気になっていたのが谷川-鈴木戦。この一局に勝った者がA級残留、負けた者がB1陥落という鬼勝負である。谷川は永世名人の資格者でA級・名人を連続27期守っている。晩年の大山十五世のA級残留をかけた厳しい戦いが将棋ファンの感動を呼んだ。実績を積み重ねてきた大棋士がA級というステータスを守るギリギリの戦いはそれだけでも大きなコンテンツとなる。

もっとも自分と同世代の棋士が勝負の世界でそうした厳しい境遇に置かれているのはちょっとショックである。これまでは常にA級上位で挑戦者を狙うことしか目が向いていなかったはずが、下を見た戦いに陥っているのは残念至極。来年の順位も今年同様7位。厳しい状況には変わりない。付け足しのようになったが、挑戦者は郷田ですんなりと決定。二度目の名人挑戦となる。羽生もいやな相手が出てきたと思っていることだろう。残留争いのほうは辛くも三浦が踏み止まり、タイトル保持者の深浦が貧乏くじを引いた。今回は結果的に勝っていれば残留だっただけに言い訳はできない。二冠を狙おうというのにどうしたことか。

現在のA級メンバーは皆しぶとくA級の座を守っている。結局B級1組からの昇級者2名がイス取りゲームからはじき飛ばされた感じである。有料中継なので将棋の内容はわからないが、手数171から見ると、郷田-木村戦が一番の熱戦であったと思われる。将棋界の一番長い日は今年も終わった。

P.V.ピオッブの本が届いた2009/03/05 23:59

本日帰宅後に宅配ロッカーを開けてみると、海外からの郵便物が届いていた。はて、何を注文していたんだっけと記憶の糸をたどりながら梱包を解いてみると、1939年に出版されたP.V.ピオッブの"Le sort de l'Europe d'apres la celebre prophetie des papes de saint malachie"(聖マラキの著名な法王の予言に基づくヨーロッパの運命)だった。副題には「オルヴァルの予言とノストラダムスの最新の啓示」とある。ピオッブはこの本から遡ること12年前に"Le secret de Nostradamus"(ノストラダムスの秘密)という本を書いている。巻頭に著者の作品リストが載っているが、「16世紀の名だたる予言者が様々な秘教的な概念を隠匿した暗号プロセスに対する基本の見方」と紹介されている。もっともイオネスクにいわせると「完全な不毛の理論の積み重ねに終わっている」。

ピオッブの研究については先日ここで紹介した『フランス ルネサンス断章』111頁に「ノストラダムスは、先ずフランス語で文章を作り、それをラテン語に訳し、更にフランス語に再訳して、文体をひきしめ、表現に陰影を与えようとした」ことが書かれている。あるいは黒沼健氏の最初のノストラダムス物語のなかで、戦前のノストラダムス本に載っていた図形を転載しているがこれもピオッブの本からである。日本でノストラダムスブーム以前に参照された研究書を眺めていると、どこかで似たような流れを見たことがある気がする。それは19世紀の研究家ユージェヌ・バレートである。バレートは1840年に『ノストラダムス』という著書を発表し、予言集のテクストの転記や注釈を行った。さらに『時の終わりについての諸予言』のなかで一部ノストラダムスに言及している。

ピオッブも同様に『ノストラダムスの秘密』で予言の注釈、1936年には1668年アムステルダム版予言集の復刻本で予言集テクストを世に出している。そして今回の『ヨーロッパの運命』ではマラキの予言書のほか様々な予言を取り上げて一部ノストラダムスにも章を割いている。バレートと著作の構成がすごく似通っているが、ピオッブがそれを意識していたかどうかは何ともいえない。