モトゥールの詩2020/11/30 21:39

先に紹介した『超能力事件クロニクル』を読み進めると、ノストラダムス以外の項は近過去の超能力者を取り上げていることで、検証という意味では著作、新聞、雑誌、テレビ出演などさまざまな資料で裏付けを得ることができる。そのため文章の構成もその当時の時代背景からその後の顛末といった流れで展開されており読後もすっきりする。ところがノストラダムスは日本でブームになったということで1970年代の超能力事件に分類されてしまっている。超能力者的な予言者の扱いということであれば黒沼健が1952年に発表した「七十世紀の大予言」を皮切りに1960年代に何度もノストラダムスについて紹介している。黒沼は自著のなかで五島勉の1999年人類滅亡という解釈について1973年に新説が出たと述べている。ノストラダムスは16世紀フランスに生きた人物であるから伝記や著作に関して残された資料は少ない。そうした観点からすると確実にこうだという確証もなかなか難しいところがあるし、どうしてもモヤモヤした感じが拭えない。

特に著者にケチをつけるつもりはないのだが、公刊されたものなので気になるところを指摘しておこう。1973年の五島のベストセラー本と比べるとほとんど読まれていないであろう電子書籍版にでてくる、アヴィニョン学生時代のモトゥールの話を紹介している。もちろんこれが五島得意のフィクションであるのは自明なのだが、モトゥールについてこう解説している。

モトゥールが当時なかったというのは五島が再三語る定番ネタの一つだが、モトゥールは元々「動かすもの」を意味する語で、9世紀から15世紀を対象とするフレデリック・ゴドフロワの古語辞典にも載っているため、明らかに嘘である。(同書185頁)

ここには「嘘」と書いてあるが、嘘とは「事実に反する事柄を故意に表明したもの」というイメージである。果たして五島が故意に誤りを書いたのだろうか、それはご本人でなければわからない。当初は単に思いつきで書いた勘違いかもしれない。その後1985年に出版された『1987年 世界大戦を予告する悪魔のシナリオ』118頁で訳者の淡路誠が五島のいうモーターという解釈についてこう批判している。

つまり、ここでいうmoteurとは、ラテン語のmovere(「動かす」の意)から派生したもので、「物を動かすもの」から「モーター」という意味が、また「人を動かすもの」から「支配者、主導者」という意味が生じたことを五島氏はは知らないようだ。

おそらく五島はこの本は読んでいるだろうから、それを承知でその後もモーターの解釈を変えなかったのは事実である。五島を特に擁護するつもりはないが、自分で書いたものはたとえそれが周りから間違いを指摘されても見解の相違だと強弁したくなるのは誰しもあることだ。五島が中期フランス語の辞書を調べた上で「当時まだこの世に存在しなかったモーターという語を使ったノストラダムスは、今日の機械文明を見通していた」というのであれば嘘と言い切れるかもしれないが、そうでなければ客観的には勘違いあるいは見解の相違と見ておくのが無難である。

ちなみに1555年版『予言集』第2巻46番にでてくるモトゥールの綴りはmouteurであって、フレデリック・ゴドフロワの辞典第5巻を見たが載っていない。モトゥールの正書法がmoteurに代わったのが1568年版予言集A版あたりでオリジナルに近いとされるX版ではmouteurのままであった。moteurであれば12-14世紀の詩語が含まれた「Dictionnaire historique de l'ancien langage Francois」第七巻432頁でも「動きを与えてくれるもの」という語義を確認することができる。そのためLe grand mouteur は「巨大なモーター」ではなく「大いなる原動力」(ピエール・ブランダムール校訂/高田勇・伊藤進編訳、『ノストラダムス 予言集』1999年、163頁 または、スチューワート・ロッブ/小泉源太郎訳、『オカルト大予言』1974年、56頁)と読むのが妥当である。ではモトゥールとは具体的に何を意味しているだろうか。

リトレの辞書第3巻641頁によると、「哲学者たちは知っていながら崇拝していないが、神は第一の原因で第一のモトゥールの上に無限である」。これはグノーシス主義の影響を受けているトリテミウスの『De septem secundeis』(直訳すると『七つの第二原因について』、神に従って惑星が張り付いた球体を動かす七つの知性)のトリテミウス周期の概念に近いと思われる。同書の最後の部分にこう書かれている。「第20期は、天地創造6732年の4ヶ月目、すなわちキリスト紀元1525年6月4日に、月の天使ガブリエルが再び世界の方向を司ることになる。ガブリエルが世界を治めるのは、天地創造7086年の8ヶ月目、つまり主の年1879年までの354年4ヶ月間である。

これを参照したリシャール・ルーサの著作にある「月がその通常の運行(354年4ヵ月)を完成するため7086年8ヵ月まで支配を握り、その後太陽が支配を握る」を読んだノストラダムスが、惑星天を動かす原動力としてモトゥールという言葉を用いたのではないかと思う。「セザールへの序文」のなかで「今(1555年当時)、我々は永遠なる神の全能のおかげで月に導かれている、月がその全ての周期を完了してしまう前に、太陽が来るだろう、次いで土星が来るだろう」とある。詩百篇1-48には「月の支配の20年が過ぎて」とあるのでノストラダムスが1525年を月の支配の始まりとみていたのは間違いない。ノストラダムスの生きた時代背景を考慮することでモトゥールという謎と思われる詩句も理解できるようになるのだ。

コメント

_ sumaru ― 2020/11/30 23:07

>モトゥールの正書法がmoteurに代わったのが1568年版予言集A版あたりでオリジナルに近いとされるX版ではmouteurのままであった。

1984年の復刻版の序文でブナズラが示しているように、また、ブランダムールの校訂版にも示されているように、そして私のサイトにも画像付きで示しているように、1555Vではmoteurです。

>五島が中期フランス語の辞書を調べた上で~
>嘘と言い切れるかもしれないが、そうでなければ客観的には勘違いあるいは見解の相違と見ておくのが無難である。

私は、彼が飛鳥昭雄氏との対談で、モトルスなる実在しないラテン語動詞に触れアレコレ説明していることを踏まえて、嘘と判断しました。
むろん、それを踏まえてもなお、対談中の記憶違いの範囲に過ぎないと判断する方もいるでしょうから、別にそういう判断を間違いと断ずるつもりはありませんが。

_ 新戦法 ― 2020/12/01 23:35

> 1984年の復刻版の序文でブナズラが示しているように、また、ブランダムールの校訂版にも示されているように、そして私のサイトにも画像付きで示しているように、1555Vではmoteurです。

確かにウィーン標本ではmoteurですが1557年ローヌ版ユトレヒト標本や1557年ローヌ版ブタペスト標本ではmouteurのままです。当時は正書法は混沌とした時代でノストラダムスのオリジナル原稿ではmouteurだったのではないかと推測しています。

> むろん、それを踏まえてもなお、対談中の記憶違いの範囲に過ぎないと判断する方もいるでしょうから、別にそういう判断を間違いと断ずるつもりはありませんが。

「明らかに嘘」といい切るにはそれなりの根拠を示すべきかと思いました。本文の展開では論拠が弱い。飛鳥氏との対談本80頁の「モトルス」の話は淡路氏の指摘のうろ覚えでしゃべった内容と思われますので、これで嘘というのはどうかと。明らかな間違いとは指摘できますが、嘘であることを証明するのは著者の責任かと思います。

_ sumaru ― 2020/12/02 00:29

>ノストラダムスのオリジナル原稿ではmouteurだったのではないかと推測しています。

ブランダムールは1555Aのミスを修正したものが1555Vで、ノストラダムス本人が介在した可能性を指摘していますし、個人的にはそちらを支持していますので、ご推測には同意できませんが、いずれにせよ、

>モトゥールの正書法がmoteurに代わったのが1568年版予言集A版あたりで

とのご主張に対し、いえ、もっと前があるのは新戦法さんもご存じのはずですが(^^;
と指摘させていただいただけですので、

>確かにウィーン標本ではmoteurですが

とご確認になったのであれば、私としては十分です。

>明らかな間違いとは指摘できますが、嘘であることを証明するのは著者の責任かと思います。

そもそもこの場での『嘘』の定義とは

>嘘とは「事実に反する事柄を故意に表明したもの」というイメージである。

という新戦法さんの「イメージ」にすぎません。

手元の『広辞苑』による「嘘」の定義は
「真実でないこと。また、そのことば。いつわり」
「正しくないこと」
「適当でないこと」
の3点だけです。

>明らかな間違いとは指摘できますが、

とおっしゃるのであれば、「真実でないこと」の証明としては十分ではないでしょうか。

 もちろん、コトバンクに見られるデジタル大辞泉の定義では
「事実でないこと。また、人をだますために言う、事実とは違う言葉。偽(いつわ)り。」
ともありますから、
「事実でないこと」
よりも
「人をだますために言う、事実とは違う言葉」
に重点を置く人もいるのかもしれません。

 しかし、それをあたかもすべての人が共有している価値観のように言われるであれば、『広辞苑』の定義は一体何なのかとなってしまいますし、それこそ「嘘」になってしまうのではないでしょうか。

_ 新戦法 ― 2020/12/03 00:08

レスポンスの早さに驚いています。こまめにチェックしていただきありがとうございます。

>>確かにウィーン標本ではmoteurですが

>とご確認になったのであれば、私としては十分です。

私が言わんとしていたのは、予言集の版本の移り変わりにおいてmouteurとmoteurの表記のどちらが優勢だったかです。マリオのサイト(http://www.propheties.it/comparison/02/02.htm)を見ても明らかだと思います。当時は正書法によりo,ou,oulなどスペルが混在しているのは当然です。ウィーン標本がノストラダムスが介在して誤りを正したという説にはまったく同意できません。ブランダムールは明らかにユトレヒト標本やそれ以降の1568年版をすべてみているわけではありません。スペルを誤りというももなんですが、ユトレヒト標本を組んだ工房ではおそらくノストラダムスの原稿を持っていたでしょうから、そこからmouteurとしたと見るのが自然かと思います。ウィーン標本はこの部分に関しては単に植字工の判断でmoteurで組んだだけと推測します。あくまでも個人的見解です。

>>嘘とは「事実に反する事柄を故意に表明したもの」というイメージである。

>という新戦法さんの「イメージ」にすぎません。

本当にそうでしょうか。Wikipediaでも「嘘(うそ)とは、事実ではないこと。人間をだますために言う、事実とは異なる言葉。」と書かれており、私のイメージだけでしょうか。仮にsumaruさんの書かれたもののなかに間違いがあったとしてそれを「嘘」を書いたといわれたらどのような気持ちになるでしょうか。言葉の意味は同義でも用法は異なると思います。少なくとも本書の文脈のなかでは上記の意味で受け取る人が多いのではないでしょうか。広辞苑を引っ張りだして言葉を抜き取って定義だけで議論しても意味がありません。一読者としてはそのように受け取ったということだけです。特に修正とか訂正を求めるものではありません。

お付き合いいただきありがとうございました。

_ sumaru ― 2020/12/03 01:30

>こまめにチェックしていただきありがとうございます。

以前他の方にブログで申し上げたように、DiffBrowserに入れている何十件かのサイトは、気にしている度合いに関わりなく一括で確認ができるだけのことです。お気になさらずに。

さて、一読者の印象論を出ないのであればと、当初はそれに乗っかってコメントしたわけで、辞書の定義など持ち出すつもりはありませんでしたが、

>嘘であることを証明するのは著者の責任かと思います。

などと著者としての挙証責任を求められたので、そのレベルの話をするのであれば、前提がおかしいと申し上げたまでです。

>特に修正とか訂正を求めるものではありません。

挙証責任まで持ち出された件について、つまりは新戦法さんがお信じになるところの「著者の責任を果たしていない記述」さえも、修正や訂正を求める意図などなかったとのこと、その論法には少々驚きましたが、新戦法さんのコメントとは、そのようなものであると了解いたしました。

であるならば、おそらく今後このように逐一お騒がせすることはないと思います。

こちらこそありがとうございました。

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