NHKの番組と人類滅亡のイメージ2019/05/21 23:07

5月2日 NHK BSプレミアムで午後9時から11時、ダークサイドミステリーSP「超常現象大事件ベスト10!平成とは何か?」が放映された。平成をにぎわせた超常現象を総まくりと銘打ち、超常現象の専門家の投票によるベスト10が選定された。そのランキングでなんと「ノストラダムスの大予言」が1位になった。サブタイトルは「平成11年 ついに1999年7月が来た」。五島勉著『ノストラダムスの大予言』によって副題にある1999年7月人類滅亡という解釈が世に出たのは昭和48年(1973)で今から46年前のことだ。ここが第一次ブームと位置付けられ、日本におけるノストラダムスカルチャーが始まった。

当時は大予言が出版される以前にすでに終末ブームが起きており、その世相にうまく便乗した形で大ヒットしてベストセラーに躍り出た。それから時代は流れてNHKの番組で取り上げたのは1998年-1999年の第四次ブームに相当する。筆者から見ると、どうしてこれが超常現象なのかという気もしないでもないが、番組に出演された専門家はすべて上位に入れたとのこと。昭和48年当時は人類滅亡がリアリティを持って受容され、子供を含め若者たちの深層に刷り込まれた。その予言を、実際に1999年に何が起こるか自分の目で確かめられるということが人気の源だったろう。

正直いって自称ノストラダムスファンとしては平成の終わりにいまだにこのような扱いをされるというのは残念に思う。新しい元号、令和を迎えた現在は完全にオカルトブームも過ぎ去ったことでまともな研究が進むと思っていたが、いつまでも1999年の詩ばかりクローズアップされてしまうのはどうしてか。いまだに人類滅亡説の呪縛から抜けられない滅亡待望のニーズが残っているためか。日本ではそれまで人類滅亡という終末の概念自体に免疫がなかった。さらにノストラダムスの正確な情報が知られていなかったため活字となった本の権威のもとコロリと騙されたということもあったろう。

人類はいつか滅亡してしまうのか、その理由は何かという命題は古代から議論されたテーマなのである。バビロニアの時代から天体の動きに基づいて世界の持続時間や天体の周期を計算していた。
大いなる一年—その長さにかんしては学派により考えがまちまちだったが—の終わりに、すべての天体は初めと同じ位置に並んだ(直線状に)。そして世界は水と火の相次ぐ異変を受けて消滅しなければならなかった。神官にして天文学者であり、またカルデアの歴史家でもあったベロッソス(前三世紀初頭)がこの理論をヘレニズム世界全体に広めた。(ルチアン・ボイア『世界の終わり』54-55頁)

ベロッソスについては第二次ブームの1981年に出された文藝春秋5月号のC・バーリッツ著『1999年地球運命の日』でより詳しく紹介されている。
・・・これらの出来事は、星々のたどるコースが原因となって発生する。それは確実に起こることで、”大火災”と”大洪水”の時代と名づけていいという。彼の主張では、現在はそれぞれ異なる軌道を進んでいる諸惑星が蟹座の中に集合し、全天体を貫いて一本の直線が引けるような配列になったとき、地球上の万物が滅びさるだろう。ただし、洪水が発生するのは、諸惑星の同じ直列状態が山羊座で起こるときである。最初はその年の夏に、最後は冬になる・・・。(『文藝春秋』1981年5月特別号、148頁)

バーリッツはこの記述を当時話題となっていたジョン・グリッビンとスティーブン・H・ブレーグマンの主張した『惑星直列』1974年 と結びつけている。確かに上で引用したものと惑星の直列というエッセンスは一致しているが本当にベロッソスが主張した言説なのだろうか。ベロッソスの予言についてはセネカが『自然研究』のなかで引用している。

ベロッソス、すなわちベルスを翻訳した彼は言っている—このような大変動はもろもろの天体の運行によって起こると—と。確かに、彼は大火災と大洪水の時期を指定するほど、はっきりと断言している。すなわち彼は次のように強く主張する。陸地の諸事物が将来燃えるときは常に、現在ばらばらに運行を続けている天体全部がかに座に集結し、それら全体の領域を通じて一本の直線が走ることの出来るように、全部が同一の軌道の下に置かれた場合であろう。洪水が将来発生するのは、同じ諸天体の群が山羊座に集結したときであろう。かに座の場合には夏至が、また山羊座の場合には冬至が、それぞれ引き起こされる。これらは大きな力のしるしである。それら自体のうちに一年の変わり目を動かす力が存するからである、というのである。(セネカ著『自然研究』146頁)

ベロッソスについてはおそらくセネカの引用が大元の出処なのだろう。ここで注目すべきは大火災conflagration、大洪水、かに座のキーワードがノストラダムス予言集のセザールへの序文のなかに見られることである。1999年の詩ばかりが取り上げられるが実際のノストラダムスの人類滅亡のイメージはカルデア人の占星術の系譜にあるといえる。

全世界の大火災を前にして、多くの洪水と水嵩の高い氾濫がこの世で起こり、水に覆われないような土地はほとんど残されず、しかもそれは長期間にわたって続き・・・
同様に、これらの氾濫の前後に、いくつかの国では雨降りが稀になり、空からおびただしい火と白熱した石塊が降ってきて、焼き尽くされないものはなにひとつとて残らないだろう。これが束の間に、しかも最後の大火災の前に起こるだろう。
(P・ブランダムール校訂『ノストラダムス予言集』200-201頁)
というのは、火星がその周期を完成するからであり、その直近の区切りの最後に、火星が再び巡ってくるだろう。しかし、あるものたちは数年間宝瓶宮にとどまり、別のものたちは巨蟹宮に一層長く継続的にとどまるだろう。(ノストラダムス雑記帳)

かに座と巨蟹宮は一致しているが山羊座と宝瓶宮(水瓶座)については違いが見られる。またノストラダムスは洪水と宝瓶宮を直接結びつけているわけではない。しかし天体がかに座に集結するときに最後の大火災conflagrationが起きて人類が滅亡するというモチーフは大変似通っている。セネカの「陸地の諸事物が将来燃えるとき」をノストラダムスは「空からおびただしい火と白熱した石塊が降ってきて、焼き尽くされないものはなにひとつとて残らないだろう。」と述べておりそのイメージは一致している。こうした人類滅亡のイメージの系譜についてテレビ番組で取り上げられることはまずない。

ノストラダムスと聖エルモの火2019/05/25 23:42

先日「NHKの番組と人類滅亡のイメージ」を書く際にセネカの『自然研究』のページを手繰っていると訳注の部分にある「聖エルモの火」という言葉が目に留まった。ノストラダムスの予言集の詩百篇第二巻15番の四行詩に「君主が弑逆される少し前に、カストルとポルクスが舟に、髪を靡かせた星。国庫は海と陸により使い尽くされる。ピサ、アスト、フェラーラ、トリノは禁じられた地となろう」とある。この2行目の「カストルとポルクスが舟に」というのが俗に「聖エルモの火」と呼ばれる放電現象であり、これが舟のマストの上に出現すると吉兆と見做された。(岩波書店『ノストラダムス予言集』127頁)

カストルとポルクスについて古代ローマの博物学者プリニウスが『博物誌』(AD77年)のなかで記している。その内容は一部岩波書店の『ノストラダムス予言集』127-128頁で引用されている。「そういう星が二つあれば、それは安全のしるしで、航海成功の前触れだ。そしてそれらが近づくとヘレナと呼ばれる恐ろしい星を追い払うということだ。そういうわけで、それらはカストルとポルクスと呼ばれ、人々は神々のようにそれらに航海の安全を祈る」この部分はプリニウスの『博物誌』第二巻第三七章からの引用であるが省略されたこの前の部分にはこう書かれている。

私は兵士たちの夜間の見張りの間に、城壁の槍が付けられた星のような明るい外観を見た。・・・それらが単独で発生すると、それらは人に害を及ぼす時、船を沈めようとする。そして、舟の竜骨のより低いところに落ちるならば、火を放す」という記述があり、「城壁の槍が付けられた星のような明るい外観」というのがノストラダムスのいう「髪を靡かせた星」astre criniteに対応しているのがわかる。プリニウス以前に目を向けるとセネカが『自然研究(全)—自然現象と道徳生活—』(AD65年)11頁、「第一巻 大気中の火[光]について」でカストルとポルクスについてこう記している。(茂手木元蔵訳)

船乗りたちは、沢山の星が急いで空を飛び去るときは、嵐の来る証拠と考える。(中略)大きな嵐の場合には「星」と言われるものが船の帆のところに現われてじっと坐っていることがよくある。そんなときは、危険の最中にある船乗りたちは、自分たちがポルクスとカストルの神霊によって救われつつあると信ずる。ところが実は、さらに良い期待の理由がある。つまり、すでに嵐が弱まり風が止むことが明らかになっているからである。そうでなければ、それらの火は動き回っていて、そこには坐らなかったであろうから。

ここでいうポルクスとカストルが後に「聖エルモの火」と呼ばれるもの。聖エルモとは五世紀のイタリアの殉教者。嵐のとき船乗りが彼の名を呼んだところからそう言われる。帆桁(ほげた)や帆柱(ほばしら)の先端で時に見られる空中放電で、地中海で頻繁に起きた現象とされる。頭上に二つの星が現れると航海中の暴風雨が起きても導いてくれるが一つの星の場合は船を破壊したり全焼させるという。『ノストラダムス予言集』132頁では「ただし、注意すべきは、ここでのノストラダムスはどうもカストルとポルクスを吉兆として扱っていないらしいことである。件の四行詩では不吉な徴として、この聖エルモの火と彗星が言及していると思われるからだ。

この解説は少々違和感がある。プリニウスのいうヘレナと彗星は同一視できるもので、それが二つであればポルクスとカストルの神霊、すなわちエルモの火が吉兆に導いてくれるが一つであれば不吉な予兆となると読み取れる。彗星解釈学の系譜を見ると、国王の死と彗星の出現を結び付けた記録を探すのにことかかない。(『占星綺想』90頁)そしてルネサンスの時代から17世紀にいたるまで彗星による王の死の予言の伝統は続いていた。ノストラダムスのこの予言はわかりやすくこの言説に沿ったもので、彗星の到来により君主の死去に伴うイタリア各地での転覆を描いたといえるだろう。