ノストラダムスは嘘をついていなかった2009/10/01 23:55

1948年に出版されたジャン・ルシアン・ルノーの小冊子(32頁)を手に入れた。表紙のメインタイトルは"Nostradamus n'a pas menti"(ノストラダムスは嘘をついていなかった)であるが、副題がたくさん添えられている。「遂に!物的証拠が!」「ここにあらゆる英知からもたらされた"百詩篇の鍵"がある」「大予言者によるフランスとヨーロッパの過去、現在、未来が」。1947年9月20日地理学協会の会場で行われた著者による講演記録である。同じ内容の講演が1947年11月8日に学者協会会館でも行われたという。前口上がいかにも胡散臭い。「400年ずっと数知れぬ研究家が解読の鍵を発見することなくこの世を去っていた。この本を彼らに捧げたい」随分と自信たっぷりだが、なにか霊感商法の詐欺のような印象を受ける。

肝心の中身を読み進めると、まず簡潔な伝記、ノストラダムスの実像として、サロン博物館の二つの手稿を引用しながら通俗的なイッサカルの出自であることを強調する。で、著者が発見したという秘密の鍵を用いて四行詩の解読に入る。一見数秘術のようでもあるが、きちんと理解するのが困難である。まずアルファベットAからZに1から8の数字を割り当てる。この解読キーを用いてNOS-TRE-DAMUS(ノストラダムス)を変換すると、15、11、18が得られる。1+5=6、11・・・11、18=2×9・・・2、これらの数字を並べると、6112.。ここから読者に対するレクチャーである百詩篇の詩番1.1、1.2、6.100が得られる。何故か6.1と6.10は関係ないらしい。こんな感じで適当な数字の組み合わせから詩番を引き出して解釈していく。

適当な数字に足し算、掛け算をして導き出される数の配列は、恣意的でいかようにもなる。う~ん、日本でも中村恵一氏をはじめ、加治木義博氏なども似たような解釈手法を提唱している。ガチガチのビリーバーというものは、意味のない数字でもその裏に隠された秘密が見えてしまうらしい。ルノーはそうして四行詩の詩番と事件の起こった年代のリストを作り上げた。最後はわざわざ太字で「ノストラダムスは解けた」でしめている。「ノストラダムスは嘘をついていなかった」かもしれない。しかしながら、限りなく嘘に近い言説をぶっていたのは、ルノー本人ではなかろうか。

フランス文学研究文献要覧のノストラダムス2009/10/04 23:57

土曜日は久しぶりに日仏会館の図書室を訪れた。借りていた本を返した後は3階の研究フロアーで書庫を探索する。するとアレクサンドル・チオラネスコの書誌が見つかった。以前このブログで「16世紀フランス文学の書誌」について紹介したことがあるが、今回のは1966年に刊行された「17世紀フランス文学の書誌」である。索引を引いてみると何点かノストラダムス関連文献が載っている。それぞれのページに当たって確認するとエチエンヌ・ジョベール、ジャン・デュヴァル、ジャン・エスピタリエ、ギノー、ピエール・ジョセフ・ド・エイツ、ジャック・ドジャン、ジャック・マンゴウの著した書誌情報が載っている。セザールの書誌には、1873年のムーアンの論文「セザール・ノストラダムスとペイレスクへの未刊書簡に関する文学的概観」と1880年の「ペイレスクの往復書簡」が見られる。前者は書誌データをもとに早速グーグルブックでダウンロードした。

チオラネスコの書誌の隣には日外アソシエーツから刊行された『フランス文学研究文献要覧』が年代順に並んでいた。この要覧は1945年から2004年まで年度別にフランス文学に関する図書を列記している。1992年の分まではコピーが手元にあるが、それ以降の分は確認していなかった。今回はそれ以降をチェックした。何故か1993年から1996年の要覧にはノストラダムスの項が抜け落ちている。1997/1998年版からまた復活している。そして1998/1999年ではその分量がピークを迎えている。第四次ブームで岩波の本や竹下氏の本など良書が登場したのが一因であろう。2001/2002年には二瓶幸次氏のフランス語で書かれた論文が目を引くが、これもネット上でアップデイト版を読むことができる。(http://gold.zero.jp/nihkj42/)そして2003/2004年の要覧にはちょっと唐突に池田邦吉氏の著作が三冊ある。

フランス文学研究文献として、どのような基準でセレクトされているのか、疑問な点も多い。要覧に挙げている文献の種別として「図書」、「翻訳」、「研究」、「紹介」があるが、例えば五島勉氏の『ノストラダムスの大予言2』が翻訳で、3、4が研究というのも違和感がある。この要覧は必ずしもフランス文学研究にきっちり収まっているだけではなく、広く一般書の類まで取り込んでいるのが特徴である。2005年以降は出版されていない。最近はインターネット上で検索できるため、こうした要覧はすでにその使命を終えたのかもしれない。

学術都市アレクサンドリア2009/10/07 23:21

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062919613.html
野町啓 学術都市アレクサンドリア 講談社学術文庫 2009年9月 を読んだ。最近出たばかりの新刊書であるが、2000年に刊行された新書を文庫化したものである。アレキサンドリアといえば、エジプトの古代都市、アレクサンドロス大王が建てた巨大都市である。ここに世界の叡智を集めた大図書館やムーセイオン(博物館)があったが、そのほとんどが失われてしまった。これまではそういうイメージが強かった。最近ではパシフィコ横浜で「海のエジプト展」を見たこともあり、海底に沈んでいた遺跡が引き上げられて当時の様子が詳しく再現されている。本書を手にしたのも、アレクサンドリアという都市でどのような書物が蒐集され研究されていたか、そんな好奇心に応えてくれる気がしたからだ。

期待に違わず、著者は研究者として膨大な文献を丹念にあたり、アレクサンドリアにまつわる学術関係の断片的な資料を分析している。一般に向けた読み物であるが、謎の古代都市のベールを少しずつ剥がしていきながら真実の姿に迫っている。2000年以上も昔に、統治者の号令のもと、世界中から本を集めて図書館を作る、そして文献を研究する書誌学者がいたことに親近感を覚える。当時は長大な叙事詩であるホメロスのテクストの校訂作業というのが学者としてのステータスだったようだ。もともと話語りで伝わっていたテクスト、写字生の裁量でテクストが付け加えられたり、注釈されたりしていた。こうした学者たちのパトロンとして時の権力者がバックアップしている。もともとヘブライ語で書かれていた聖書をギリシャ語に訳したものこの時代である。

こうしてヘレニズム文化の最盛期を迎えた。第五章の哲学都市アレクサンドリアでは、ルネサンス魔術の萌芽が見出される。占星術や錬金術のような疑似科学も当時は盛んに研究された。プラトニズム、ユダヤ教、クリスト教、ヘルメティズム、グノーシスなど様々な宗教、思想が成立している。それが古代、、中世を経てイタリア・ルネサンスで再び開花することになる。こうした思想の源流を辿ると、すべて学術都市アレクサンドリアに辿り着くのではないだろうか。お勧めの一書である。

第22期竜王戦を展望する2009/10/08 23:57

http://live.shogi.or.jp/ryuou/
出張先のホテルのロビーにたまたま無料の読売新聞が置いてあった。新聞の販売促進のPRという。手に取って開いてみると、そこに竜王戦の特集記事が載っていた。昨年の竜王戦は、将棋界のスーパースター羽生と若き竜王が永世竜王を懸けた世紀の一戦で、大いに盛り上がったタイトル戦であった。それに比べると、今回盛り上がりはもう一つだが、初の永世竜王vs永世名人、5年前の再戦ということで、開幕とともに将棋ファンの熱い視線が注がれていくことだろう。読売新聞では対局者のインタビューと藤井九段、三浦八段の対談という形を取っている。週刊将棋では専門誌らしく三週に分けて見開きのページで細かく分析している。

第一回は渡辺vs森内のこれまでの対戦のプレイバック、第二回は両者のインタビュー記事とそれぞれの同期の視点というインタビューが載っている。第三回は七番勝負の見どころが掲載される予定とのこと。渡辺の同期は阿久津と橋本、森内の同期は羽生と佐藤、となかなかの豪華メンバーである。彼らの渡辺評を見てもまだどこかつかみどころのない感じを受ける。竜王という棋界最高のタイトルを5期連続で保持しているのだから強いのは間違いない。その強さがどこにあるのか、その正体がつかみ切れていないので、森内、佐藤、羽生が討ち取られてしまった印象さえある。森内「踏み込みの良さと研究」、羽生「攻撃的、玉を固める」、佐藤「的確な判断力」。

それに比べて若手の渡辺評は一致している。橋本「勝負の急所を捉える嗅覚が鋭い」、阿久津「相手が悪手を指した時の嗅覚が鋭い」。確かに渡辺はこれまでも様々なピンチを迎えてきたが、まさにその瞬間にピピッと高性能アンテナを働かせることで自分の側に勝ちを引き寄せて乗り切ってきた。森内がタイトル奪取するには渡辺のこうした得意な展開に持ち込ませないような手厚い将棋を作ることだろう。一応今回の予想を挙げておく。渡辺が変に永世竜王にふさわしい将棋と肩に力が入ると、序盤で先行されて4-2で森内奪取が想定される。これまでのようにピンチになったとき劇的な一手を指すことができれば、勝負強さを発揮して渡辺が4-3で防衛と見る。いよいよ来週の14日に開幕する。

浅野八郎氏の「ノスタラダムスの予言」2009/10/09 23:30

フランス文学研究文献要覧の1945-1978(戦後編)を見ると、渡辺一夫氏のノストラダムス論考を指し置いて、どういうわけか浅野八郎氏の「ノスタラダムスの予言―世界の終末を予言する」がトップを飾っている。この小論は1978年に刊行された『世界の奇書101冊』81-84頁に載ったものだ。この小論でノストラをわざわざノスタラに書き換えた理由がよくわからない。当時は五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』やたま出版の『原典』は研究文献として扱われておらず文献要覧にはエントリーされていない。五島氏の『ノストラダムスの大予言Ⅱ』は、ようやく79/80年版に見ることができる。浅野氏は『オカルト秘法』(1974年)という本でノストラダムスについて言及している。そこからセンセーショナルな解釈に傾倒しすぎていないノストラダムス論者として、白羽の矢が立ったものと推測する。

6年後、自由国民社による『探索する名著 世界の奇書』が出版されたときには、中村恵一氏の文章に置き換わっている。ところが何故か本のカバーにあるノストラダムスの予言詩は浅野氏の訳文が用いられている。「ノスタラダムスの予言」は、ほとんどが『オカルト秘法』のコピーであるが、最後の予言から描かれた未来の出来事のテーマの羅列が新たな書き下ろしの部分である。予言の紹介で疑問に思わるのが百詩篇2-24のヒスターの詩を紹介した後で、「最近発見された11世紀の24節」の予言詩を引用している。「うえにうえた野獣は、その川をのぼり、ヒスターはその国のすべてを支配する。ドイツの子どもたちが、知らぬまにその偉大な人物が、鉄のカゴで運ばれる」もちろん11巻にこんな詩はない。明らかにローマ数字のⅡを11と見誤ったもので、別な英訳(スチュワート・ロッブ?)を参照したためのミスと思われる。

浅野氏の予言解釈は当時としては斬新で、百詩篇10-75「長く待たれど彼はヨーロッパに戻らずアジアに現れる・・・」を戦後の日本と解釈している。これは五島氏の『大予言Ⅱ』に引き継がれた。では1999年の予言はどう解釈していたか。1974年の時点では従来日本で紹介された説を引用するに留まっている。1978年になると、「1999年7月が訪れ、ヨーロッパ全土にアジア人と反キリスト侵略によって大混乱が起る。」と一歩踏み込んだ形を取っている。解題の最後にたま出版の『原典』が挙げられている。