ロンドン=炎が生んだ世界都市2009/10/10 23:14

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062581604.html
かなり前になるが、神保町の古本街でたまたまロンドンの大火に関する洋書を手に取ってみると、ノストラダムスの予言が引用されている。本のタイトルは失念してしまったが、1666年のロンドンにおける大事件は当時、強烈なイメージとともにノストラダムスの予言と結びつけられたようだ。1668年にアムステルダムで出版された予言集の表扉には、チャールズ一世の処刑とともにロンドン大火の銅版画が描かれた。見市雅俊 ロンドン=炎が生んだ世界都市―大火・ペスト・反カソリック 講談社選書メチエ160 1999年6月 という本にも、ノストラダムスに触れた箇所があるのは以前から知っていたが、ずっと未見であった。たまたま図書館でこの本を見つけたので該当箇所を確認。「エピローグ 終末論と科学革命の時代」の、「いにしえの貴婦人」とは何か、の節にあった。

ピープスの1667年2月3日の日記に「ノストラダムスが前年の大火を予言していたということが話題になった」ことが書かれているという。手元に臼田昭著『ピープス氏の秘められた日記』があったので1667年の章を読んだが言及がなかった。当時、ロンドンに住んでいて、大火を目の当たりにした顛末は、実体験だけに切迫感が伝わってくる。グーグルブック検索で"Diary and correspondence of Samuel Pepys, the diary deciphered by J. Smith, 1854 "を閲覧すると、その部分が見つかった。当時の著名な占星家で習字の先生でもあったジョン・ブッカーの引用した百詩篇2-51を紹介している。見市氏は1672年にイギリスで出版されたテオフィラス・ギャランシエールの解釈本から引用し、訳文はオーヴァソンの『ノストラダムス大全』のを利用している。フランス語原文の改竄の部分(2行目の稲光→火)についてはギャランシエールのテクストを用いている。その解釈は他の予言のコジツケ的な解釈に比べれば説得的ではないかとしている。もっともランディが指摘するように問題点も多々ある。

本書によると、ギャランシエールは1610年生まれのフランス人内科医、1657年フランス大使に同行してイギリスにやってきてカソリシズムの信仰を捨てたという。1665年9月に出版した『高名なるロンドン・シティの宝庫に投げ込まれた小銭』では、ノミとペストの因果関係についてほのめかしている。見市氏は一番のニアミスと見ている。19世紀末の発見を先取りしたことを思えば、ギャランシエールは医者としての眼力は確かだったかもしれない。