百詩篇9-44の注釈の疑問2009/10/20 23:35

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ノストラダムスの大事典では精力的に記事が更新されている。その内容も専門的で調査が行き届いており参考になる部分も多い。なかでも百詩篇9-44は、五島氏が1999年人類滅亡とリンクして紹介したことのある比較的知られた四行詩で、従来訳の問題点を的確に抽出している。ただその解説のなかに、おやっと思う部分があるので簡単に触れてみたい。五島氏が『ノストラダムスの大予言最終解答編』で特筆した4行目のアドヴァンは1568年版ではl'a ruent という不完全な綴りになっており、後の版でl'aduentと校訂されている。大事典の解説のなかではruer(投げる)の活用形という見方を紹介している。手元の辞書を引きとruerは「突進する」とか「殺到する」のニュアンスでjeterの意味が見つからない。古語にそうした意味があるのだろうか。

ちょっと苦しいが、aを誤記としてこの部分をl'rueeと読めば、「殺到の前に」となり、エリカ・チータムの"Before the rush"という英訳もまあ理解できる。パトリス・ギナールのコーパス・ノストラダムス110の「ミシェル・セルヴェの有罪判決に対するノストラダムスの憤り」でも取り上げられている。ところでどういう思考形態で五島氏はadventをキリストの再臨と訳してしまったのだろうか。自分も10年以上前にこの四行詩について雑文を書いた際に、五島氏以外で「再臨」と訳した例を見落としていた。それはステファン・ポーラス著桂ケイ訳『ノストラダムス1999年から始まる惨劇』の210頁である。四行目の訳文は「キリスト再臨の前に空がその兆候を示す」となっている。ところが解説の部分には再臨についてまったく触れていない。そう、ポーラスとは関係のないところで生じた誤訳である。

この本が発行されたのは1997年11月14日。五島氏の『最終解答編』よりも前である。どうしてこのような誤訳が生じたか、adventはフランス語とは違って英語では単独で「キリストの再臨」の意味を持っている。(英辞郎on the Webを参照)単に桂ケイ氏が文脈を無視してadventを英語と見誤って訳したにすぎない。ここから五島氏も同様の間違いから発想したのではないかと推測される。