浅野八郎氏の「ノスタラダムスの予言」2009/10/09 23:30

フランス文学研究文献要覧の1945-1978(戦後編)を見ると、渡辺一夫氏のノストラダムス論考を指し置いて、どういうわけか浅野八郎氏の「ノスタラダムスの予言―世界の終末を予言する」がトップを飾っている。この小論は1978年に刊行された『世界の奇書101冊』81-84頁に載ったものだ。この小論でノストラをわざわざノスタラに書き換えた理由がよくわからない。当時は五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』やたま出版の『原典』は研究文献として扱われておらず文献要覧にはエントリーされていない。五島氏の『ノストラダムスの大予言Ⅱ』は、ようやく79/80年版に見ることができる。浅野氏は『オカルト秘法』(1974年)という本でノストラダムスについて言及している。そこからセンセーショナルな解釈に傾倒しすぎていないノストラダムス論者として、白羽の矢が立ったものと推測する。

6年後、自由国民社による『探索する名著 世界の奇書』が出版されたときには、中村恵一氏の文章に置き換わっている。ところが何故か本のカバーにあるノストラダムスの予言詩は浅野氏の訳文が用いられている。「ノスタラダムスの予言」は、ほとんどが『オカルト秘法』のコピーであるが、最後の予言から描かれた未来の出来事のテーマの羅列が新たな書き下ろしの部分である。予言の紹介で疑問に思わるのが百詩篇2-24のヒスターの詩を紹介した後で、「最近発見された11世紀の24節」の予言詩を引用している。「うえにうえた野獣は、その川をのぼり、ヒスターはその国のすべてを支配する。ドイツの子どもたちが、知らぬまにその偉大な人物が、鉄のカゴで運ばれる」もちろん11巻にこんな詩はない。明らかにローマ数字のⅡを11と見誤ったもので、別な英訳(スチュワート・ロッブ?)を参照したためのミスと思われる。

浅野氏の予言解釈は当時としては斬新で、百詩篇10-75「長く待たれど彼はヨーロッパに戻らずアジアに現れる・・・」を戦後の日本と解釈している。これは五島氏の『大予言Ⅱ』に引き継がれた。では1999年の予言はどう解釈していたか。1974年の時点では従来日本で紹介された説を引用するに留まっている。1978年になると、「1999年7月が訪れ、ヨーロッパ全土にアジア人と反キリスト侵略によって大混乱が起る。」と一歩踏み込んだ形を取っている。解題の最後にたま出版の『原典』が挙げられている。

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