将棋世界2010年1月号を読んだ2009/12/04 23:47

一昔前、将棋雑誌が華やかだった時期を覚えている。将棋、将棋マガジン、近代将棋、将棋ジャーナル、枻将棋讃歌、将棋クラブなど、すでに廃刊となってしまっている。将棋が大衆の娯楽として広く支持を受けていた時代が懐かしい。近所の縁台将棋が町の風景に溶け込んでいたし、ちょっと怪しげな大道詰将棋にも人だかりができていた。昔は男子なら皆駒の動かし方ぐらいは知っていたが、今は将棋を指せない子も多い。それはアナクロニックな遊びから電脳的なデジタル機器のゲームへと急速に移行していったためだ。もっともそうした世界にもわずかに将棋は取り込まれている。ゲームソフトやインターネット対局、タイトル戦のインターネット中継など。そのなかで将棋世界は最後の砦として月刊誌の地位を守っている。

今月号を読んでつくづく感じたのは、月刊誌という宿命でやむを得ないが情報の鮮度の悪さである。竜王戦や倉敷藤花戦など、インターネットや週刊将棋でもすでに結果が報じられているのに「竜王戦3連勝」と表紙に書かれて、4連勝でとっくに終わっているでしょうと突っ込みたくなる。ネット中継や週刊将棋のような速報性にない情報を盛り込む努力をしているが、後追いで新味を出していくのは大変である。それでも最近の将棋世界は様々な企画で誌面を盛り上げようとする相応の努力は認められる。読み物として面白かったのが「続イメージと読みの将棋観」で、続編の出版が決まったほどの人気コーナーの復活である。突き抜ける現代将棋は話は非常に専門的だが、勝又教授がポイントを押さえてわかりやすく解説してくれる。アマチュアには目から鱗の話が満載である。

ちょっと毛並みの違う記事だが「コンピュータは七冠の夢を見るか?」はコンピュータ将棋の現状を的確に分析しており興味深い。一般の将棋ソフトもすでに大半のアマチュアが勝てないほどレベルが向上している。これまではコンピュータ選手権でどのソフトが優勝するか、コンピュータvsプロの対局が話題になることもあった。最近ではコンピュータも局面を点でとらえれば、プロと同じレベルの深い読みが可能になったという。タイトル戦などを観戦するツールとしても役に立つかもしれない。しかし竜王戦第三局の△7九銀のように控え室の棋士が皆衝撃を受けたところにもドラマがある、結果として棋譜に付加価値がついて感動を呼ぶのだ。それがコンピュータが最善と計算した手を指して勝ちました、といわれても味気ない感じがしてならない。

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