名人戦第三局は相掛かりに進んだ ― 2008/05/08 22:06

http://www.asahi.com/shougi/index.html
今日から名人戦第三局が始まった。今期から封じ手の時間が1時間遅くなったにも関わらず、またしてもスローペースで進んでいる。森内の作戦は初手▲2六歩の相掛かり指向、これに羽生が呼応、△8四歩を選択し序盤の骨子が決まった。森内は第一局でも初手が▲2六歩だったはずで今期の先手番での作戦は一貫している。果たして森内の選んだ作戦は引き飛車+棒銀戦法である。最近の相掛かり戦のなかでは最も有力とされている指し方である。これで一気に攻めつぶそうというのではなく、後手の形を限定することで駒組み勝ちを狙っている。
後手は浮き飛車で構えるのが受けの形で、羽生も前例を踏襲した。森内がいったいどういった構想を秘めているか注目されたが、銀が2七のままでなんと悠然と1筋の位を取った。展開が急になると緩手になるリスクも孕んだ手であるが、森内に周到な用意があるのだろう。後手は早めに30手目△7三桂と跳ねて先手に隙があれば△7五歩から△6五桂の先攻を狙う。31手目先手は居玉のままいきなり▲4五銀と出て開戦。次に▲3四銀と出る手があり、△7五歩と飛車の横利きをきかせるのは手筋の受け。34手目△3五歩に▲5六銀は柔らかい一手。後手は現実に1歩損なので先手が居玉のうちに動いてポイントをあげたい。
封じ手の局面は、先手が37手目▲6六歩と角筋を止めて穏やかな展開に持ち込もうという方針を示したところ。後手は5筋を突いているため右銀の活用は△5三銀から△6四銀~△7五銀を狙いたい。封じ手の時点では互角としかいいようがないが、すでに手将棋模様なので明日も一手一手長考が続きそうである。
今日から名人戦第三局が始まった。今期から封じ手の時間が1時間遅くなったにも関わらず、またしてもスローペースで進んでいる。森内の作戦は初手▲2六歩の相掛かり指向、これに羽生が呼応、△8四歩を選択し序盤の骨子が決まった。森内は第一局でも初手が▲2六歩だったはずで今期の先手番での作戦は一貫している。果たして森内の選んだ作戦は引き飛車+棒銀戦法である。最近の相掛かり戦のなかでは最も有力とされている指し方である。これで一気に攻めつぶそうというのではなく、後手の形を限定することで駒組み勝ちを狙っている。
後手は浮き飛車で構えるのが受けの形で、羽生も前例を踏襲した。森内がいったいどういった構想を秘めているか注目されたが、銀が2七のままでなんと悠然と1筋の位を取った。展開が急になると緩手になるリスクも孕んだ手であるが、森内に周到な用意があるのだろう。後手は早めに30手目△7三桂と跳ねて先手に隙があれば△7五歩から△6五桂の先攻を狙う。31手目先手は居玉のままいきなり▲4五銀と出て開戦。次に▲3四銀と出る手があり、△7五歩と飛車の横利きをきかせるのは手筋の受け。34手目△3五歩に▲5六銀は柔らかい一手。後手は現実に1歩損なので先手が居玉のうちに動いてポイントをあげたい。
封じ手の局面は、先手が37手目▲6六歩と角筋を止めて穏やかな展開に持ち込もうという方針を示したところ。後手は5筋を突いているため右銀の活用は△5三銀から△6四銀~△7五銀を狙いたい。封じ手の時点では互角としかいいようがないが、すでに手将棋模様なので明日も一手一手長考が続きそうである。
名人戦第三局は驚異の逆転劇で羽生が2勝目 ― 2008/05/10 00:56

なんと表現したらいいのだろうか。朝日のサイトでは50年に一度の大逆転と見出しにある。それほどまでに衝撃的な逆転劇であった。一言で羽生マジックと片付けられる将棋ではない。羽生の名人に懸ける執念が剥き出しになった一局といえる。いまだに興奮冷めやらぬ。終盤はあるサイトの中継でリアルタイムに観戦したが森内が141手目▲9八銀と打ったときには明らかにポカと気づいた。△8六桂と王手で跳ねられて打ったばかりの銀が取られてしまう。それでも後手が勝つのはまだまだ遠い道のりかと思いきや、ここで森内のなかでピンと張った糸が切れてしまった。最後は秒読みのなか投げ切れず三手詰の局面まで指して無念の投了。羽生は劣勢を粘り強い戦いで挽回し、後手番での貴重な1勝をもぎ取った。
封じ手は予想通り△5三銀だが羽生の40手目△5五角が不思議な一手。その後の森内の構想が見事である。駒組みの進展性のない後手陣を後目に7筋8筋の位を取って着々を厚みを築き上げる。85手目に▲7八飛と転換したところで森内の遠大な構想が明らかになった。先手は一方的に7筋を破ることができる。それに比べて後手はうまく駒を捌くことができない。99手目▲4五金と打ったところでは誰が見ても先手勝勢。ここから後手が勝つなんてまったく想像もできないくらいの大差であった。それでも羽生は手を尽くして粘る。結果的には122手目△4二角から126手目△5四飛の飛角のコンビネーションプレーが大逆転への伏線となった。130手目に△7四桂が入ってなにやら妖しいムード。主力の飛車を取られるは痛い。140手目△7八歩がまさに一歩千金。
先手は秒読みに焦らされた感じで信じられないポカにつながった。森内はこの敗戦の精神的なダメージが大きいに違いない。しかし昨年の名人戦でも必勝の局面から玉の逃げ方を間違えて逆転負けを喫したあとも態勢を立て直して防衛を果たしている。次の後手番がまさしく森内の正念場となる。
封じ手は予想通り△5三銀だが羽生の40手目△5五角が不思議な一手。その後の森内の構想が見事である。駒組みの進展性のない後手陣を後目に7筋8筋の位を取って着々を厚みを築き上げる。85手目に▲7八飛と転換したところで森内の遠大な構想が明らかになった。先手は一方的に7筋を破ることができる。それに比べて後手はうまく駒を捌くことができない。99手目▲4五金と打ったところでは誰が見ても先手勝勢。ここから後手が勝つなんてまったく想像もできないくらいの大差であった。それでも羽生は手を尽くして粘る。結果的には122手目△4二角から126手目△5四飛の飛角のコンビネーションプレーが大逆転への伏線となった。130手目に△7四桂が入ってなにやら妖しいムード。主力の飛車を取られるは痛い。140手目△7八歩がまさに一歩千金。
先手は秒読みに焦らされた感じで信じられないポカにつながった。森内はこの敗戦の精神的なダメージが大きいに違いない。しかし昨年の名人戦でも必勝の局面から玉の逃げ方を間違えて逆転負けを喫したあとも態勢を立て直して防衛を果たしている。次の後手番がまさしく森内の正念場となる。
知の分類史 ― 2008/05/11 23:31
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4121502361.html
ゴールデンウィークも終わり、なぜか土日も仕事。出張中の移動時間に 久我勝利 知の分類史―常識としての博物学 中公新書ラクレ 2007年 を読み終えた。有史以来人類は何を学び、考え、作り上げてきたのだろう。人間は自らが持っている知識を分類によって整理したくなるものらしい。その分類は実は恣意的なのだが、著者は二分割ならぬ三分割による発想の転換を提言している。この本では博物学、百科事典、図書分類のそれぞれの分類について細かく紹介している。博物学とはよく耳にする言葉だが、その実態は「博く物を集まる」ことから始まりそれを分類することで成り立っている。33頁に載っているプリニウスの著作の全37巻の構成は見ていて飽きさせない。ローマ時代にもこれほどの知識を体系づけしょうとしていたのには驚く。
百科事典とは、モノや生きモノの収集に加えて概念的なことまで含める「知」の一大コレクションと定義される。中世の教養とされる自由七科(文法学、論理学、修辞学と算術、幾何学、天文学、音楽)はその体系のはしりと見ることができる。18世紀には百科全書がフランスで出版され、当時の知識人を結束することでフランス革命につながった。知の体系化はそれだけのエネルギーを秘めたプロジェクトといえる。この知を集結させて系統立てする手法で、中国で発展したのに類書というものである。幅広い書物のなかから文章を抜き出し、項目を立てて、内容別に編集したもの。研究者さんのコメントにある「世界のノストラダムス研究を集めた本」というのはこの概念に近いのではないか。もちろんそんな本の執筆はちと荷が重すぎる。ネット上ではウィキペディアのノストラダムスに関する記事が相当する。
ノストラダムス本でいえばレオニの研究書が当てはまると思われるが、英語で書かれており内容も少々古い。日本語で読めるものとしてピーター・ラメジャラーの『ノストラダムス・エンサイクロペディア』の邦訳がある。もっともこの本も見直すべき個所は多い。ラメジャラーは改訂版を出す構想があるようでいつか実現すればと思う。ノストラダムス本の分類については、ノストラダムス国内文献書誌で試みたことがあるが、もう少し系統立てた分類ができれば有用なデータベースになるかもしれない。同様に雑誌記事リストについても何か分類法を考えたほうがもっと便利になるに違いない。本書をベースにいろいろ考えてみるのも面白い。
ゴールデンウィークも終わり、なぜか土日も仕事。出張中の移動時間に 久我勝利 知の分類史―常識としての博物学 中公新書ラクレ 2007年 を読み終えた。有史以来人類は何を学び、考え、作り上げてきたのだろう。人間は自らが持っている知識を分類によって整理したくなるものらしい。その分類は実は恣意的なのだが、著者は二分割ならぬ三分割による発想の転換を提言している。この本では博物学、百科事典、図書分類のそれぞれの分類について細かく紹介している。博物学とはよく耳にする言葉だが、その実態は「博く物を集まる」ことから始まりそれを分類することで成り立っている。33頁に載っているプリニウスの著作の全37巻の構成は見ていて飽きさせない。ローマ時代にもこれほどの知識を体系づけしょうとしていたのには驚く。
百科事典とは、モノや生きモノの収集に加えて概念的なことまで含める「知」の一大コレクションと定義される。中世の教養とされる自由七科(文法学、論理学、修辞学と算術、幾何学、天文学、音楽)はその体系のはしりと見ることができる。18世紀には百科全書がフランスで出版され、当時の知識人を結束することでフランス革命につながった。知の体系化はそれだけのエネルギーを秘めたプロジェクトといえる。この知を集結させて系統立てする手法で、中国で発展したのに類書というものである。幅広い書物のなかから文章を抜き出し、項目を立てて、内容別に編集したもの。研究者さんのコメントにある「世界のノストラダムス研究を集めた本」というのはこの概念に近いのではないか。もちろんそんな本の執筆はちと荷が重すぎる。ネット上ではウィキペディアのノストラダムスに関する記事が相当する。
ノストラダムス本でいえばレオニの研究書が当てはまると思われるが、英語で書かれており内容も少々古い。日本語で読めるものとしてピーター・ラメジャラーの『ノストラダムス・エンサイクロペディア』の邦訳がある。もっともこの本も見直すべき個所は多い。ラメジャラーは改訂版を出す構想があるようでいつか実現すればと思う。ノストラダムス本の分類については、ノストラダムス国内文献書誌で試みたことがあるが、もう少し系統立てた分類ができれば有用なデータベースになるかもしれない。同様に雑誌記事リストについても何か分類法を考えたほうがもっと便利になるに違いない。本書をベースにいろいろ考えてみるのも面白い。
大和証券杯は羽生の時間切れ負け ― 2008/05/12 23:25

http://www.daiwashogi.net/
上の中継サイトで棋譜鑑賞をクリックして渡辺-羽生戦を見てみたら結果はなんと羽生の時間切れ負け。前回の第一回のときは特にトラブルもなく全対局が行われたが、ついに起きてしまった感じだ。もっとも女流のネット対局ではすでに時間切れや指し手のクリックミスなどが起きていた。いつかは男性の公式戦でもと予想はされていたが、それがトップ棋士の羽生であったために衝撃度も大きかった。朝日や読売のニュースサイトでは大きなニュースとして報じられている。それを受けて連盟のページにも「お知らせ」で今回の事件の経緯を説明している。
将棋は渡辺先手番で相矢倉に進む。途中では桂香と銀二枚の交換で後手の羽生が明らかに優勢な局面であった。67手目▲1三歩と垂らしたとき羽生がパソコン画面上では△2七銀と着手はしていたが、着手確認ボタンを押すのが遅れてしまい時間切れとなった。対局者にしても観戦者にしてもなんとも後味の悪い一局といえる。画期的なネット棋戦ではあるが、プロの芸ならぬマウスの操作ミスで決着がついてしまうのはいただけない。パソコンという機械だけにまったく融通がきかないのも問題である。これがテレビ棋戦の秒読みならば、記録係はなかなか・・・8,9,10とは読めないものだが。
まあネット将棋はそこにスリリングな要素もあるわけだが、時間が切れる場合などは確認ボタンを押さなくても画面の着手を優先させるようなシステム変更が今後必要となるだろう。今回は残念な結果ではあるが、これをきっかけにルールの見直しときちんとした対策を講じてもらいたいものだ。
上の中継サイトで棋譜鑑賞をクリックして渡辺-羽生戦を見てみたら結果はなんと羽生の時間切れ負け。前回の第一回のときは特にトラブルもなく全対局が行われたが、ついに起きてしまった感じだ。もっとも女流のネット対局ではすでに時間切れや指し手のクリックミスなどが起きていた。いつかは男性の公式戦でもと予想はされていたが、それがトップ棋士の羽生であったために衝撃度も大きかった。朝日や読売のニュースサイトでは大きなニュースとして報じられている。それを受けて連盟のページにも「お知らせ」で今回の事件の経緯を説明している。
将棋は渡辺先手番で相矢倉に進む。途中では桂香と銀二枚の交換で後手の羽生が明らかに優勢な局面であった。67手目▲1三歩と垂らしたとき羽生がパソコン画面上では△2七銀と着手はしていたが、着手確認ボタンを押すのが遅れてしまい時間切れとなった。対局者にしても観戦者にしてもなんとも後味の悪い一局といえる。画期的なネット棋戦ではあるが、プロの芸ならぬマウスの操作ミスで決着がついてしまうのはいただけない。パソコンという機械だけにまったく融通がきかないのも問題である。これがテレビ棋戦の秒読みならば、記録係はなかなか・・・8,9,10とは読めないものだが。
まあネット将棋はそこにスリリングな要素もあるわけだが、時間が切れる場合などは確認ボタンを押さなくても画面の着手を優先させるようなシステム変更が今後必要となるだろう。今回は残念な結果ではあるが、これをきっかけにルールの見直しときちんとした対策を講じてもらいたいものだ。
東大生はどんな本を読んできたか ― 2008/05/13 23:55
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4582853943.html
永嶺重敏 東大生はどんな本を読んできたか―本郷・駒場の読書生活130年 平凡社新書 2007年 を読んだ。一応自分自身も本好きを自認してはいるが、いろいろ考えさせられることの多い渾身の作である。実をいうと職場は東京大学の本郷キャンパスは隣接しているので普段から東大生を目にする機会は多い。この本では明治から現在に至るまで、東大生がどのような本を読みながら各々の時代を生きていったか、豊富な資料に基づいて実に手堅い論評を行っている。昨今とは違い、明治の学生は数も少なく知識を有する特権階級のような趣きを抱いていた。今のように手軽に情報を得られる時代ではない。海外の文献は翻訳も乏しく原書で読んでいたようだ。それが今やインターネット時代に入り、本を読まない学生が増えたという。
自分の読書を遡ってみると、子供のころは江戸川乱歩のような推理小説、UFOや予言などミステリーもの、世界の遺跡などを読んでいた。国鉄で車掌をしていた近所のオジサンが網棚の漫画本を持ってきてくれたので、当時の少年漫画はほとんど制覇していた。高校時代は理科系のブルーバックスや数学関係が本棚を占めた。大学に入るとノストラダムスとの関連で、教養科目でおもに西洋がらみの講義をとり、はじめて人文系の本に触れた。日本文学では漱石を齧った記憶がある。何といっても大学には大きな図書館があり、調べるためのツールが十分にそろっている。この頃、海外のブックカタログを手当たり次第に調べてノストラダムス文献をリストアップし、目ぼしいのを丸善に注文するようにもなった。社会人になってからは読書量は極端に減った、というか忙しさにかまけてほとんど読まなくなった。せいぜいノストラダムスの新刊本にさっと目を通すくらい。
今はノストラダムスの実証的な検証ということも手伝って人文書を読む機会が増えた。仕事に関係したビジネス書を参照することも多い。通勤時間が長いので、そこが一番の読書タイムとなっている。明治から昭和の戦時中の東大生の読書と思想の変遷を思うと、今はネットで簡単に海外の本も購入できるし、どれを読んだらいいか迷うほど大量の本があふれている。本書を振り返って今の時代の恩恵を改めて感じるし、有難さを実感することができる。
永嶺重敏 東大生はどんな本を読んできたか―本郷・駒場の読書生活130年 平凡社新書 2007年 を読んだ。一応自分自身も本好きを自認してはいるが、いろいろ考えさせられることの多い渾身の作である。実をいうと職場は東京大学の本郷キャンパスは隣接しているので普段から東大生を目にする機会は多い。この本では明治から現在に至るまで、東大生がどのような本を読みながら各々の時代を生きていったか、豊富な資料に基づいて実に手堅い論評を行っている。昨今とは違い、明治の学生は数も少なく知識を有する特権階級のような趣きを抱いていた。今のように手軽に情報を得られる時代ではない。海外の文献は翻訳も乏しく原書で読んでいたようだ。それが今やインターネット時代に入り、本を読まない学生が増えたという。
自分の読書を遡ってみると、子供のころは江戸川乱歩のような推理小説、UFOや予言などミステリーもの、世界の遺跡などを読んでいた。国鉄で車掌をしていた近所のオジサンが網棚の漫画本を持ってきてくれたので、当時の少年漫画はほとんど制覇していた。高校時代は理科系のブルーバックスや数学関係が本棚を占めた。大学に入るとノストラダムスとの関連で、教養科目でおもに西洋がらみの講義をとり、はじめて人文系の本に触れた。日本文学では漱石を齧った記憶がある。何といっても大学には大きな図書館があり、調べるためのツールが十分にそろっている。この頃、海外のブックカタログを手当たり次第に調べてノストラダムス文献をリストアップし、目ぼしいのを丸善に注文するようにもなった。社会人になってからは読書量は極端に減った、というか忙しさにかまけてほとんど読まなくなった。せいぜいノストラダムスの新刊本にさっと目を通すくらい。
今はノストラダムスの実証的な検証ということも手伝って人文書を読む機会が増えた。仕事に関係したビジネス書を参照することも多い。通勤時間が長いので、そこが一番の読書タイムとなっている。明治から昭和の戦時中の東大生の読書と思想の変遷を思うと、今はネットで簡単に海外の本も購入できるし、どれを読んだらいいか迷うほど大量の本があふれている。本書を振り返って今の時代の恩恵を改めて感じるし、有難さを実感することができる。
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