サンチュリの版本の変遷、アルブロン説2008/05/22 23:49

ノストラダムスRGには英語のヤフーと仏語のヤフーの二つのグループがある。参加しているのは英語のものだがそのメーリングを読むと、各々のグループのメンバーが議論した内容も伝えられている。最近ではアルブロンが、仏語グループでのカナダ人研究者とやり取りした内容を紹介している。そのタイトルは「ノストラダムスの生涯において出現したと仮定される版本の新たな見解」。仮定されたというのはどういうことか。ウィキペディアで紹介されているようにアルブロンは1555年版、1557年版、1568年版予言集を後世の偽作ではないかと主張しているのだ。まず1557年版ユトレヒト標本の表紙にある、予言集のサブタイトル「今まで一度も出版されなかった三百篇‐この著者により新たに増補された‐を含む」に注目する。

ブタペスト標本では少し簡略化されて「今まで一度も出版されなかった三百篇を含む」となっている。よくよく考えてみると、この300篇というのは正しくない。1555年版は353篇で1557年版は642篇の四行詩が含まれているのだから正確にいえば増えたのは289篇。一般的には大体の数を示したと見る向きが多い。アルブロンはこの表紙にあるフレーズがオリジナルの版本からそのままコピーされたのではないかと考える。そして1588年に印刷されたピエール・メニエ版こそオリジナルと見なした。確かに表紙には「今まで一度も出版されなかった三百篇を含む」と書かれている。この版本は1568年ブノワ・リゴー以降初めて異なる出版社による予言集の版本で、失われた1561年バルブ・ルニュー版をコピーしたとされる。

しかしその内容は粗雑なもので六巻は74篇(版によっては71篇)、七巻は12篇、八巻は6篇と非常に中途半端で海賊版と考えられている。ルニューの暦書も同じ傾向が強い。問題の増補された四行詩は1555年版と比較すると239篇にしかならず数は合っていない。そもそもオリジナルとするなら300篇の増補というフレーズ自体がナンセンスである。しかしアルブロンは自信たっぷりに、従来1550~1560年としていた年代を1580~1590年に読み替える必要があるとしている。議論のなかでそれを証明したよ、といわれてもなかなか納得できるものではない。