東大生はどんな本を読んできたか2008/05/13 23:55

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4582853943.html
永嶺重敏 東大生はどんな本を読んできたか―本郷・駒場の読書生活130年 平凡社新書 2007年 を読んだ。一応自分自身も本好きを自認してはいるが、いろいろ考えさせられることの多い渾身の作である。実をいうと職場は東京大学の本郷キャンパスは隣接しているので普段から東大生を目にする機会は多い。この本では明治から現在に至るまで、東大生がどのような本を読みながら各々の時代を生きていったか、豊富な資料に基づいて実に手堅い論評を行っている。昨今とは違い、明治の学生は数も少なく知識を有する特権階級のような趣きを抱いていた。今のように手軽に情報を得られる時代ではない。海外の文献は翻訳も乏しく原書で読んでいたようだ。それが今やインターネット時代に入り、本を読まない学生が増えたという。

自分の読書を遡ってみると、子供のころは江戸川乱歩のような推理小説、UFOや予言などミステリーもの、世界の遺跡などを読んでいた。国鉄で車掌をしていた近所のオジサンが網棚の漫画本を持ってきてくれたので、当時の少年漫画はほとんど制覇していた。高校時代は理科系のブルーバックスや数学関係が本棚を占めた。大学に入るとノストラダムスとの関連で、教養科目でおもに西洋がらみの講義をとり、はじめて人文系の本に触れた。日本文学では漱石を齧った記憶がある。何といっても大学には大きな図書館があり、調べるためのツールが十分にそろっている。この頃、海外のブックカタログを手当たり次第に調べてノストラダムス文献をリストアップし、目ぼしいのを丸善に注文するようにもなった。社会人になってからは読書量は極端に減った、というか忙しさにかまけてほとんど読まなくなった。せいぜいノストラダムスの新刊本にさっと目を通すくらい。

今はノストラダムスの実証的な検証ということも手伝って人文書を読む機会が増えた。仕事に関係したビジネス書を参照することも多い。通勤時間が長いので、そこが一番の読書タイムとなっている。明治から昭和の戦時中の東大生の読書と思想の変遷を思うと、今はネットで簡単に海外の本も購入できるし、どれを読んだらいいか迷うほど大量の本があふれている。本書を振り返って今の時代の恩恵を改めて感じるし、有難さを実感することができる。

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