百詩篇1-60の解釈にまつわる雑感2010/01/07 23:48

http://www42.atwiki.jp/nostradamus/pages/653.html
ノストラダムスの大事典で百詩篇第1巻60番の四行詩の項目が立てられている。「皇帝がイタリアの近くに生まれるだろう」という詩句が、ナポレオン一世を見事に予言したと、テレビの特番などに取り上げられることが多かった。日本でも第一次ブーム以前にすでに黒沼健氏が紹介していたこともあり、以後の解釈本には必ずと言っていいほど引用されてきた。自分が子供のときにこれを読んで、どこにもナポレオンなんて書いていないのにどうして予言的中といえるのか不思議だった。当時はナポレオンがどういう人物かほとんど知らなかったというのもあって、余計なバイアスがかかっていない分、ありのままに受け取れる。時は過ぎて・・・自分のHPで「ノストラダムスと心理学」という雑文でこの解釈を考察したことがある。

大事典にあるように、この詩は懐疑者から予言の曖昧さの好例としてしばしば批判を受けることがあった。志水一夫氏が参照した種本に、テレンズ・ハインズ博士の著書(邦訳『ハインズ博士「超科学」をきる』p75以下)がある。「こういう曖昧な文句はどのようにも解釈できる。最初にあげた詩はナポレオンの台頭を予言したものと考えられてきたが、ランディが指摘しているように、ヒットラーにもあてはまるし、神聖ローマ帝国フェルディナンド二世ということもありうる。実際のところ、15世紀から20世紀までの時代に(あるいは未来を含めて)イタリアの”近く”(曖昧きわまる表現)に生まれたヨーロッパの支配者で、よからぬ人間と手を結んで、国家に多大な出費を強いた者なら誰でかまわないのだ。」このときは多少なりとも歴史を学んだこともあって、皇帝ナポレオンというイメージが出来上がっていた。こうした懐疑的批判に対して、そういった単純な見方も論理的に乱暴ではないか。と、そう考えたこともあった。

当時「特命リサーチ200X」で、菊池聡氏が解説されたマルチプルアウトとか確証バイアスといった心理学用語が、予言批判のツールとして独り歩きをしていた。すぐさまこの記事に対して志水氏がご自身のHPで反論された。自著でのこの詩に関する解説部分は、テレンズ・ハインズ博士の本のみでなく他の資料を参照している。そうして「そんなことをいったらノストラダムスが偽預言者になってしまいますよ」と意味不明のことを書いていた。今となっては本人に聞くすべもないが、何をおっしゃりたかったのか今でもよくわからない。

コメント

_ sumaru ― 2010/01/08 22:00

新戦法さん、遅くなりましたが今年もよろしくお願いいたします。

 さて、ハインズの本は読んだことはありましたが手元にないので今回は使いませんでした。どの程度の分量書かれていたかもよく覚えていなかったのですが、引用されたものを見る限り、志水氏と同程度の分量であったのですね。

 ただ、志水氏の言い分はたぶん以下のものだと思うのですが、ちょっと趣旨が違っているように思います。

>なお、あるサイトでこの本の中に 「盗用」 があると主張されていましたが、まったくの誤解です。この本を書いた当時は盗用元とされた本を持っていなかった (^_^;) 上に、その本だけでは書けない内容も出ていたんですがねぇ (^_^)。同じHPには前記 『トンデモ・ノストラダムス解剖学』 への批判も出ているけど、これも一部を除いてほとんど的外れ (もし彼が 「予言者」 ではなく 「預言者」 なのだとしたら、『ノストラダムスの大誤解』 に出ているように明確に外れた予言があるので、「偽預言者」 になっちゃいますよ (^^;)。
そのサイトの作者が熱心な方であるだけに、残念です (/_;)。
http://homepage3.nifty.com/kadzuwo/youkoso.htm とっくにリンク切れになっていますが)

 正直言ってこのくだりは今まで何のことやらさっぱり分からなかったのですが、今回の新戦法さんの記事のおかげで、話がつながりました。
 ただ、見ていなかったとご本人が主張しているので、種本と言い切れるのかは微妙かもしれません。

 それはそれとして志水氏の紹介の場合、「かつてフェルディナント2世の予言とされていたこともあった」的な書き方をしていて不正確なので(言うまもなくレオニはそういう当てはめ方もできると提示しているだけで、ガランシエールを始め、過去の信奉者にそんな解釈例は見当たりませんし)、「その本だけでは書けない内容」云々は必ずしも誇れたものではないだろうとも思ってしまいましたが。

 「一部を除いてほとんど的外れ」発言については、あの本の出来を考えるとにわかには信じがたいのですが、新戦法さんの書評の内容を記憶していないため、論評は控えます。

_ 新戦法 ― 2010/01/09 13:09

sumaruさん、コメントありがとうございます。本年もよろしくお願いします。
ここでツッコミが来るとは意表を突かれました。(^^;

> 引用されたものを見る限り、志水氏と同程度の分量であったのですね。

引用したのは部分的なものですのでオリジナルはもう少し分量は多いです。

> ただ、志水氏の言い分はたぶん以下のものだと思うのですが、ちょっと趣旨が違っているように思います。

確かに志水氏のHPにあった文章ですね。いや~懐かしいです。よくぞ残っていました!10年以上も経っており、うろ覚えで書いたことがバレバレですね。(^^;

当時志水がこうしたコメントをHPに載せていたのは、hayatoさんから教えてもらいました。よっぽど自分のHP上で反論しようかと悩みましたが、「盗用」という表現はちょっときつかったかと反省し、結局スルーした形となりました。すぐには思い出せないのですが、志水氏がどこかのブックレビューだったか、ハインズの原著を参照していた記憶があったのです。それにも関わらず持っていないということ自体、何らかの勘違いがあると思っていました。

もっともsumaruさんも書いておられるように、レオニの注釈を独自にアレンジした解説とか、ムッソリーニへの適用は『ノストラダムス最後の大予言』151頁からと、しっかり別の本からも取り入れているのは事実でしょうが。

たぶん志水氏のいう趣旨とは一致していると思います。志水氏のコメントはあくまでも「ノストラダムスと心理学」に対するものもので、1-60のナポレオン解釈に一見好意的と受け取れる論旨に対してでしょう。そこでは予言が当たっているかもしれないが、明らかに外れの予言のあるでしょうといいたかったのかもしれません。ただし私の真意は、予言解釈の批判をするのならもっとレベルを上げて行うべきといったものでした。

> 「一部を除いてほとんど的外れ」発言については、あの本の出来を考えるとにわかには信じがたいのですが、新戦法さんの書評の内容を記憶していないため、論評は控えます。

まあ、古い話ですし、今更蒸し返しても仕方がないので、どうぞ目をつぶってください。それにしてもマニアックな話題ですね。(^^;

_ 信奉者 ― 2010/01/11 13:36

本当に遅くなりましたが新年明けましておめでとうございます。しかし不況でめでたくもないってのが本当のところ。

>ランディが指摘しているように、ヒットラーにもあてはまるし、神聖ローマ帝国フェルディナンド二世ということもありうる。

曖昧すぎる・・・極めて普通の感覚ですね。
だからこそ事件を特定するのにアナグラムが必要と言ってみる。
分かり図らいことに一つの詩篇に複数の事件、(この場合はナポレオン一世と三世、イタリア国王と普仏戦争、神聖ローマ帝国解体)がほのめされていると言ってみる。息子セザールへの序文エドガーレオニによる区切り6節の中に、《le commun advenement》 (共通の出来事の到来)とあり、これがとても重要な鍵となっていた。つまり、一つの詩篇のなかに最低でも二つの事件が描かれている可能性があると言っておく。

_ 新戦法 ― 2010/01/11 23:42

信奉者さん、お久しぶりです。本年もよろしくお願いします。

> だからこそ事件を特定するのにアナグラムが必要と言ってみる。

そろそろHPは復活しないのですか。是非磨きのかかったアナグラムを駆使した解釈を存分に発表してください。(^o^)

> 息子セザールへの序文エドガーレオニによる区切り6節の中に、《le commun advenement》 (共通の出来事の到来)とあり、これがとても重要な鍵となっていた。

この文脈では、ノストラダムス自身が「意味がわかりづらく曖昧な詩句により」と述べています。ただ、le commun advenementはいろいろな読み方があって難しいですね。一つの詩に二つ以上の事件が描かれているという仮説がどう結び付くのかちょっとわかりませんが。私自身は人類が共通に遭遇するであろう大きな変動をイメージしています。

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