ノストラダムス予言集はいかにして世に出たか2010/01/03 23:51

早いもので正月休みもあっという間に終りである。初詣に行ったり、買い物に行ったり、今年も東京カテドラルの日曜のミサに参列した。そのとき感じたのが、書物で読むキリスト教と実際の信仰のスタイルは必ずしも一致しない。自分の目で見て、耳で聞いて、声に出して感じることの大切さを改めて思った。当時の時代に身を置いたつもりで、ノストラダムス予言集がいかにして世に出たか、考えてみたい。ノストラダムス予言集の初版が1555年に印刷されたのは従来の解説書に書かれており、テクスト画像もインターネット上で閲覧できる。その書物が世に出るまでの経緯について想像を膨らませてみよう。本にするには原稿が必要である。ノストラダムス本人が印刷業者に手渡すための予言集の原稿を執筆したのは間違いない。原稿とはいっても一気呵成に書かれたとは思えない。テクストに関して様々なソースが指摘されているように、長年に渡って予言イメージの下書きメモを用意したのは想像に難くない。

そのメモをもとに十音綴詩(デカシラップ)の交韻のABAB脚韻を踏んだ(例外もある)四行詩に仕上げていったと考えられる。当然予言としての格調を上げるため何度も推敲したはずだ。その最終原稿をマセ・ボノムに引き渡して、その代償に対価を得たと思われる。ただしノストラダムス宛ての書簡に書かれた内容を鑑みるに相当読みづらい字体であった可能性が高い。ボノムの印刷工房に持ち込まれた原稿に基づいて植字工が活字箱から活字を拾い、それを組版に組んでいく。工房の親方が予め飾り文字や木版画の入るレイアウトを決めていたはずだ。それに従って刷り工が校正版を印刷する。校正刷りには一人あるいは複数の校閲者が目を通して誤植を訂正してから印刷に廻した。当時は著者が印刷所に行くことはめったになかったというのでノストラダムス自身が校閲したとは思えない。印刷、乾燥の終わった紙は折り番号の順に積み重ねられて一冊にまとめられる。1555年3月4日のことである。

ボノムには2年間の予言集の独占権を認められる特認が付与されている。その日付は1555年4月末日。当時いったい何部くらい印刷されたのだろうか。資料は残っていないがブリュノ・ブラセルの『本の歴史』89頁には一般大衆向けの本で1000~2000部というから当たらずとも遠からずといったところだろう。そのうち今日残っているのがアルビ標本と思われる。もっとも2年間何度か分けて印刷された可能性もあるので現存しているうちで最古の版としたほうがいいかもしれない。本はリヨンの書籍市場を通じてフランス国内に製本前の刷り本の状態で運ばれたのではないか。それを顧客が製本・装丁を施したと想像する。(前掲書82頁)印刷が終わると組版の活字はとっとと活字箱に戻されて、次の本の印刷で使用される。予言集初版のウィーン標本は一部誤植を修正して1555年6月頃印刷されたらしい。(ギナールによるが根拠は不明)この修正が著者本人によるものとは思えない。

ウィーン標本のテクスト画像もネット上で見られるが、アルビ標本と異なり本全体の装丁をカラーで示したものを見たことがない。個人的には興味があるのでいつか公開してほしいものだ。なおアヴィニョンで印刷業を営んでいたマセ・ボノムの弟バルテルミーにタイトルを変えた予言集初版の印刷を許可した可能性も指摘されているが、実証的な確認が取れないので未だに仮定的である。