希望の仕事論 ― 2008/05/24 01:39
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4582852238.html
斎藤貴男 希望の仕事論 平凡社新書 2004年 を読んだ。人は生きていくためには誰しも仕事をしてお金を稼がなければならない。働くこと自体は人生において重要なことである。定年というリストラで職を失った会社人間は時間を持て余し自分の生きる意義さえも見失ってしまう場合が多い。しかし現在のような状況では企業の繁栄と社員の幸福とは必ずしも直結しているわけではない。人件費の過度の削減が名ばかり管理者職への残業代の支払い訴訟へとつながり、成果主義の名目での給与カット、無理な配置転換の強制による実質的なリストラなど働く側にとって厳しい環境は続く。
第一章では会社で働くということはどういうことか、豊富なデータを引用しながらそこからの脱却の必要性を説いている。2章以下は具体的に仕事論の外堀を埋めていくかのように、会社に雇われないフリー労働者の実態、コンビニでのフランチャイズの独立の現実はどうなのかをテーマとしている。コンビニ経営というのは脱サラして一国一城の主のような夢があるが、これを読むと想像以上に競争が厳しい。四章ではなんの脈略もなく起業家への取材した記事を元にサクセスストーリを列挙して起業への憧れを導く。そして極めつけは著者がいかにしてフリーのライターとして成功したか、身の上話が続く。そしてフリーになる条件を自身のスキルアップによるキャリアの積み上げに置いている。
最後に5人の職業人たちのインタビューを交えた評伝を載せている。それなりに面白いがもちろんそれがそのまま誰にでも当てはまるわけではない。この本はタイトルとリンクして書き下ろしているのが1章のみで他は古い原稿を使いまわしている印象を受ける。そのため全体としては仕事論のアンソロジーといった形に落ち着いたと思われる。
斎藤貴男 希望の仕事論 平凡社新書 2004年 を読んだ。人は生きていくためには誰しも仕事をしてお金を稼がなければならない。働くこと自体は人生において重要なことである。定年というリストラで職を失った会社人間は時間を持て余し自分の生きる意義さえも見失ってしまう場合が多い。しかし現在のような状況では企業の繁栄と社員の幸福とは必ずしも直結しているわけではない。人件費の過度の削減が名ばかり管理者職への残業代の支払い訴訟へとつながり、成果主義の名目での給与カット、無理な配置転換の強制による実質的なリストラなど働く側にとって厳しい環境は続く。
第一章では会社で働くということはどういうことか、豊富なデータを引用しながらそこからの脱却の必要性を説いている。2章以下は具体的に仕事論の外堀を埋めていくかのように、会社に雇われないフリー労働者の実態、コンビニでのフランチャイズの独立の現実はどうなのかをテーマとしている。コンビニ経営というのは脱サラして一国一城の主のような夢があるが、これを読むと想像以上に競争が厳しい。四章ではなんの脈略もなく起業家への取材した記事を元にサクセスストーリを列挙して起業への憧れを導く。そして極めつけは著者がいかにしてフリーのライターとして成功したか、身の上話が続く。そしてフリーになる条件を自身のスキルアップによるキャリアの積み上げに置いている。
最後に5人の職業人たちのインタビューを交えた評伝を載せている。それなりに面白いがもちろんそれがそのまま誰にでも当てはまるわけではない。この本はタイトルとリンクして書き下ろしているのが1章のみで他は古い原稿を使いまわしている印象を受ける。そのため全体としては仕事論のアンソロジーといった形に落ち着いたと思われる。
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