ノストラダムスとシュビラの神託書2007/11/11 23:37

http://www.geocities.jp/nostradamuszakkicho/sonota/simizu_omake.htm
上の記事を読んでいないと何をいっているのかわからないと思うので直リンクさせていただく。ノストラダムス雑記帳の「志水一夫『トンデモ・ノストラダムス解剖学』へのツッコミ・おまけ」には志水一夫氏の書いた『シビュラの書』に関するツッコミが載っている。志水氏がベルクールの『裏切られたノストラダムス』を参照しながら適当なことを書いているのは指摘されている通りである。自分もベルクールの本を読んでいろいろと疑問に思っていたことがあった。その内容がいかなるものだったのか、ノストラダムスの予言集との関わりはあるのか、手元の資料をもとに考えてみたい。主に『神託』と『ヘルメスとシビュラのイコノロジー』に依る。

そもそもシビュラまたはシビュレーとは何者だったのか。もともとは固有名詞で古代ギリシャで巫女の一人を指していたがその名が高まるにつれて各土地固有の女予言者を指すようになる。ローマの作家ウァロは、ギリシャの著作を参照しながらシビュラの託宣は一人のシビュラにより書かれたものでなく、十人を列挙している。その権威において最古の巫女エリュトライのシビュラと並び立つのが、ウェルギリウスが牧歌で言及しているクマエのシビュラであった。伝説によれば、クマエのシビュラが全九巻からなる予言集を最後のローマ王たるタルクィニウスに持ち込み、そのうちの三巻を300黄金ピリペイオイという法外な値段で買い取らせた。

予言集は前83年の大火で焼失するまで、カピトリウムのユピテル神殿に保管されていたのは事実らしい。その後小アジアの各地からシビュラの断片を集めて鑑定されたのち前12年にはパラティヌム丘のアポロン神殿に収められた。しかしこの予言集も408年頃には焼き払われてしまった。古くから伝来する託宣はほとんど失われてしまったが、現在残されているのは後代のユダヤ教徒とキリスト教徒が編纂した偽書『シビュレの託宣』(Oracula Sibyllina)14巻でベルクールの本にコピーが載っているものだ。ベルクールの原書ではLivre des oracles de la Sibylle(神託書はイタリック体)となっているのを邦訳では『巫女の神託書』、les<<Escrits capitolins>>は『キャピトリアムの神託書』としている。

厳密にいえばこの両者は同義ではない。志水氏の解説もあたりさわりのない一般的なものである。ただしsumaruさんが指摘しているように問題点もある。神託の韻文体はヘクサメトロス(六脚韻律)で書かれている。『古代の密儀』301頁には長短短六歩格の詩行の形式とある。そう、ベルクールの原書でもhexametresとなっており、訳者がたまたま六行詩と誤訳したのを志水氏が文脈を勘案することなく誤った紹介を行ったのは明白だ。この程度のことは神託に関する本を参照すればわかること。sumaruさんは志水氏がベルクールの本を知らなかったのではと書いているが、上の誤訳をそのまま転用していることからも参照したのは明らかである。ちょっと揚げ足取りの感も強い。まあ好意的に読むと、志水氏の「日本で刊行されたもの」というのは海外文献の訳書を除いた日本人の研究家が書いたものといいたかったのだろう。

本題に移ってノストラダムスが予言を詩で書いたのはシビュラの神託書と関連はあるのか、sumaruさんは否定的だが『ロンサール詩集』47頁に「その後、世界のいたるところで古代の数多の神託の予言的返答が詩に書きとめられ、掟が詩で書き表わされ、(以下略)」とあるように神託書に倣って予言詩を書くというのは当時の流行だった。ノストラダムスだけがそこから一歩進めて予言を四行詩という形式で表現したのだ。内容のモチーフはアウグスティヌスの『神の国』第十八巻第二十三章(エリュトライのシビュラとキリストにかんする預言)に取り上げられたり、その一部が新約外典に取り込まれていることから間接的な影響があるのではないかと考える。この分野の研究はまだ進んでいない。