ロバーツのノストラダムス本、1949年第二版が届いた ― 2008/11/01 22:10

紀伊国屋のウェブの洋書古本で、1222円のヘンリー・C・ロバーツのノストラダムス本を注文してみた。まとめ買いすると送料が無料になるので割安である。注文したのは1949年第4刷だが本のカバーとか状態とかはこだわらなかった。本ブログでもロバーツの本について書いたが、実は確認したいことがあった。冒頭に載っているノストラダムスの肖像がよく見るタイプ(図版02)のものではなく、帽子を被った職人風の肖像(写真)なのである。(ノストラダムス肖像画コレクションを参照)注釈には「ヘンリー・C・ロバーツコレクションより珍しい木版」とある。この手のタイプの肖像は日本で初期ブームの頃に紹介されることはなかった。
黒沼健氏は1962年『未来をのぞく話』のなかで、ロバーツ本の1949年版に言及しつつノストラダムスの肖像をコピーしているが、ロバーツ本の後の版に載っている図版02なのである。ということは、黒沼氏の参照したのは実際は1949年版ではなく、1962年版だった可能性が高い。そこから1962年版以降で肖像が差し替えられたと推察される。五島勉氏はロバーツの原書を見て、10章73番が章の終りに来るという異例の構成から、ノストラダムスが1999年の詩(10章72番)を重要視していたと書いている。(『ノストラダムスの大予言』143-144頁)ところが実際に1949年版の該当ページを見比べると73番の詩はちゃんと72番の後に置かれている。
どうして73番が章の最後に置かれる構成になったかというと、単純に72番の解釈を大幅に増補したためだ。本の版の変更を最小限に抑える出版社の都合に過ぎない。なのにロバーツ本の第三版もこのあたりの事情を全く無視して、組版を作り直しているにも関わらず73番を章末に置いている。注釈の増補例は他にもあるが(5-100,8-100)、なぜ肖像が差し替えられたのだろう。1949年版と1981年版は同じニューヨークでの印刷だが、出版社名とその所在地が異なる。前者は「ノストラダムス、INC.(社)」、後者が「ノストラダムス CO.(社)」である。出版社が移転した際にテクストの版は引き継いだが、何らかの理由で挿絵の版は引き継がなかった。一冊の古本でこうしていろいろと想いを巡らすのも面白い。
黒沼健氏は1962年『未来をのぞく話』のなかで、ロバーツ本の1949年版に言及しつつノストラダムスの肖像をコピーしているが、ロバーツ本の後の版に載っている図版02なのである。ということは、黒沼氏の参照したのは実際は1949年版ではなく、1962年版だった可能性が高い。そこから1962年版以降で肖像が差し替えられたと推察される。五島勉氏はロバーツの原書を見て、10章73番が章の終りに来るという異例の構成から、ノストラダムスが1999年の詩(10章72番)を重要視していたと書いている。(『ノストラダムスの大予言』143-144頁)ところが実際に1949年版の該当ページを見比べると73番の詩はちゃんと72番の後に置かれている。
どうして73番が章の最後に置かれる構成になったかというと、単純に72番の解釈を大幅に増補したためだ。本の版の変更を最小限に抑える出版社の都合に過ぎない。なのにロバーツ本の第三版もこのあたりの事情を全く無視して、組版を作り直しているにも関わらず73番を章末に置いている。注釈の増補例は他にもあるが(5-100,8-100)、なぜ肖像が差し替えられたのだろう。1949年版と1981年版は同じニューヨークでの印刷だが、出版社名とその所在地が異なる。前者は「ノストラダムス、INC.(社)」、後者が「ノストラダムス CO.(社)」である。出版社が移転した際にテクストの版は引き継いだが、何らかの理由で挿絵の版は引き継がなかった。一冊の古本でこうしていろいろと想いを巡らすのも面白い。
ノストラダムスの失われた四行詩 ― 2008/11/04 22:02

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htmy/0615193528.html
海外ではいまだにノストラダムス本が出版されている。1999年の予言もすっかり過去の出来事になり、イアン・ウィルソンの著作のような最新の研究成果が盛り込まれた伝記も現れている。そしてインターネット上には関連文献データがあふれている。そんな中でノストラダムスというありきたりな素材で一冊の本の書くのは大変なことだ。最近、Sirianusが翻訳、注釈した"The Lost Quatrains of Nostradamus"(ノストラダムスの失われた四行詩)を入手した。この本は2008年2月に刊行された新刊書で紀伊国屋のブックウェブにも本の紹介が載っている。ノストラダムス・チャネラーであるシリアヌスが新たに発見され解釈された四行詩を取り上げるという。
チャネラーといえばドロレス・キャノンの『ノストラダムスとの対話』全三巻(邦訳『ノストラダムス霊界大予言』)を思い起こす。届いた本を見ると、裏表紙にシリアヌスの心霊写真のような妖しげな写真が載っている。ページをめくると、章タイトルとともに四角で囲まれた四行詩が最初に来て解説と解釈が続く。予言集のオリジナルの詩を取り上げるときには仏語原文をイラスト付で掲げている。原詩に対しては1行1行丁寧に注釈を付けている。現代の事件に照準を当てた予言解釈は斬新であるがコジツケをもっともらしく繕ったものだ。例えば、百詩篇10-29に「ポール・マンソルの山羊のほら穴で、(彼は)隠れて、捕らえられ、髭によって引き出される」とある。
もちろんシリアヌスは1行目をノストラダムスの生誕地サンレミ・ド・プロバンスにあるサンポールモゾル(古代ローマの霊廟)と読むのは知っている。ところが、ポールをpoli(微かな光)マンソルをManとsolに分けてそれぞれmanant(無作法な男)、sol(土の)と読み、cauerne(ほら穴)と併せて防空壕と翻訳する。すると、2003年12月に人工の穴のなかに隠れていたサダム・フセインが浮かび上がってくる。他の翻訳もみなこんな感じだ。もっとも、この本の冒頭に出版社の免責事項として注意書きが置かれている。「この本はパロディであり完全に作り話である。風刺目的以外で実在の人物に似ているところはどれも偶然にすぎない」。ノストラダムスのこんな料理方法があるとは面白い。
海外ではいまだにノストラダムス本が出版されている。1999年の予言もすっかり過去の出来事になり、イアン・ウィルソンの著作のような最新の研究成果が盛り込まれた伝記も現れている。そしてインターネット上には関連文献データがあふれている。そんな中でノストラダムスというありきたりな素材で一冊の本の書くのは大変なことだ。最近、Sirianusが翻訳、注釈した"The Lost Quatrains of Nostradamus"(ノストラダムスの失われた四行詩)を入手した。この本は2008年2月に刊行された新刊書で紀伊国屋のブックウェブにも本の紹介が載っている。ノストラダムス・チャネラーであるシリアヌスが新たに発見され解釈された四行詩を取り上げるという。
チャネラーといえばドロレス・キャノンの『ノストラダムスとの対話』全三巻(邦訳『ノストラダムス霊界大予言』)を思い起こす。届いた本を見ると、裏表紙にシリアヌスの心霊写真のような妖しげな写真が載っている。ページをめくると、章タイトルとともに四角で囲まれた四行詩が最初に来て解説と解釈が続く。予言集のオリジナルの詩を取り上げるときには仏語原文をイラスト付で掲げている。原詩に対しては1行1行丁寧に注釈を付けている。現代の事件に照準を当てた予言解釈は斬新であるがコジツケをもっともらしく繕ったものだ。例えば、百詩篇10-29に「ポール・マンソルの山羊のほら穴で、(彼は)隠れて、捕らえられ、髭によって引き出される」とある。
もちろんシリアヌスは1行目をノストラダムスの生誕地サンレミ・ド・プロバンスにあるサンポールモゾル(古代ローマの霊廟)と読むのは知っている。ところが、ポールをpoli(微かな光)マンソルをManとsolに分けてそれぞれmanant(無作法な男)、sol(土の)と読み、cauerne(ほら穴)と併せて防空壕と翻訳する。すると、2003年12月に人工の穴のなかに隠れていたサダム・フセインが浮かび上がってくる。他の翻訳もみなこんな感じだ。もっとも、この本の冒頭に出版社の免責事項として注意書きが置かれている。「この本はパロディであり完全に作り話である。風刺目的以外で実在の人物に似ているところはどれも偶然にすぎない」。ノストラダムスのこんな料理方法があるとは面白い。
レイヴァーのノストラダムス本の初版 ― 2008/11/06 23:48

ノストラダムス本の出版の流れを大まかに見ていくと、フランスでは1930年代が一つの転機になったと思われる。旧説に従っているとはいえ、文学者のジャック・ブーランジェのような客観的な紹介がなされたのもこの時期である。それに引っ張られてか、英語圏では1940年がノストラダムス・ブームのエポックになったのは疑いない。英国人のジェームズ・レイヴァーは1942年に"Nostradamus or The Future Foretold"(ノストラダムス或いは予告された未来)を出版した。第二版が1952年にペンギン・ブックスより、第三版が1972年にジョージ・マン・ブックスから出版されている。自分が最初に読んだのは1973年の再版で1981年版である。日本でも第四次ブームの折りにレイヴァーの本が『預言者ノストラダムス あらかじめ語られた未来』という題名で小学館文庫から出ている。
レイヴァーの名は山内雅夫氏の『世界の占星術とオカルチストたち』や高橋良典編著『世界大予言年表諸世紀の秘密』の参考文献で知った。丸善に注文してみたのだが、なかなか届かなかった。ジョージ・マンというのは出版社の名前だが、どうも係の人が著者名と間違えて手配したらしく調査したがそんな本は存在しませんと、つれない回答が返ってきた。それでも粘り強く交渉してなんとか入手できた、というおぼろげな記憶が残っている。今回届いた初版本はいろいろ興味深い点がある。レイヴァーの著作の一覧があるが、小説、伝記、美術、風刺詩、詩集と多彩である。ノストラダムスに対する関心はセーヌ河岸の古本屋で見つけたバレートの本からと本書の冒頭に書かれている。巻末の参考文献を見ると主要なノストラダムス文献をきっちり押さえてあり、解釈に際しては様々な発想を援用している。
各版の違いについてはベルケルのレポート(http://www.nostradamusresearch.org/en/ww2/laver-1942.htm)に詳しい。ただしベルケルは初版は持っていたがカバーなしだったようである。初版でまず気付いたのは冒頭のところに、書斎に座るノストラダムスの肖像が挿入されていることだ。後になって版を重ねるときにこれは省略された。あと参考文献で3冊増補したり、9章の「世界の終りに向けて」の最後の部分に改訂部分が見られる。当時レイヴァーの本は一応の評価を得たようだが、解釈の文脈にあわない、と判断した四行詩の原文をオミットしたりと結構姑息な手法も用いている。ちなみに邦訳は中山茂氏と中山由佳氏の共訳とあるが、実際にはノストラダムスに造詣のないお二人が下訳したものを解説者の佐々木氏がまとめ直したらしい。
レイヴァーの名は山内雅夫氏の『世界の占星術とオカルチストたち』や高橋良典編著『世界大予言年表諸世紀の秘密』の参考文献で知った。丸善に注文してみたのだが、なかなか届かなかった。ジョージ・マンというのは出版社の名前だが、どうも係の人が著者名と間違えて手配したらしく調査したがそんな本は存在しませんと、つれない回答が返ってきた。それでも粘り強く交渉してなんとか入手できた、というおぼろげな記憶が残っている。今回届いた初版本はいろいろ興味深い点がある。レイヴァーの著作の一覧があるが、小説、伝記、美術、風刺詩、詩集と多彩である。ノストラダムスに対する関心はセーヌ河岸の古本屋で見つけたバレートの本からと本書の冒頭に書かれている。巻末の参考文献を見ると主要なノストラダムス文献をきっちり押さえてあり、解釈に際しては様々な発想を援用している。
各版の違いについてはベルケルのレポート(http://www.nostradamusresearch.org/en/ww2/laver-1942.htm)に詳しい。ただしベルケルは初版は持っていたがカバーなしだったようである。初版でまず気付いたのは冒頭のところに、書斎に座るノストラダムスの肖像が挿入されていることだ。後になって版を重ねるときにこれは省略された。あと参考文献で3冊増補したり、9章の「世界の終りに向けて」の最後の部分に改訂部分が見られる。当時レイヴァーの本は一応の評価を得たようだが、解釈の文脈にあわない、と判断した四行詩の原文をオミットしたりと結構姑息な手法も用いている。ちなみに邦訳は中山茂氏と中山由佳氏の共訳とあるが、実際にはノストラダムスに造詣のないお二人が下訳したものを解説者の佐々木氏がまとめ直したらしい。
ランディのノストラダムス本の仏語訳 ― 2008/11/08 22:55

海外のノストラダムス本で主にチェックしているのは英語、仏語、独語のもので、あとは西語と伊語の本がわずかに手元にあるくらい。その中には翻訳された解説書も少なくない。残念ながら日本語で書かれた解説書の翻訳は存在しない。英語で書かれたノストラダムス本のなかで仏語に翻訳されたひとつにジェームズ・ランディの著作がある。ランディの原書は1990年にニューヨークで出版された"The Mask of Nostradamus: the prophecies of world's most famous seer"(ノストラダムスの仮面、世界一有名な占い師の予言」)である。竹下節子氏の『ノストラダムスの生涯』にも参考文献として挙げられている。その仏語版が手元に届いた。タイトルは"Le Vrai Visage de Nostradamus"(ノストラダムスの真実の顔)で1993年の刊行である。
本の内容から判断すると仏語版のほうがタイトルとして適切のような感じがする。もっともmaskとは「覆い隠されたもの」で婉曲な謂いである。原書の著作権表示を見ると1993年に改訂されているようだが手元には1990年初版しかない。この本はビリーバー・キラーの決定版として、1999年に日本でも『ノストラダムスの大誤解―イカサマまみれの伝説43の真相』として第四次ブームの際に出版された。仏語版をざっと眺めると使用されている図版が原書と一致していない。転用しているのもあるが、モンペリエ大学の医学部図書館から入学宣誓書のコピーしたり、サンレミの観光事務所から、予言詩に描写されているサンレミの風景を掲載している。届いた本はところどころ青鉛筆で線が引かれていて、元の所有者が注目した箇所がわかり興味深い。
久し振りに邦訳を取り出して仏語版と比較してみると、内容はほぼ忠実に原書に準じて訳されている。ただし、邦訳は章構成を変更、9章の「時代の魔術師たち」がカットされて、1999年の予言詩の解説が追加になっている。補遺にある「1555年初版に関する文書」や「世界の終りに関する外れた予言」は邦訳には見られない。ランディの本はブランダムールより前なので古い情報や誤った記述も見られる。なんといってもノストラダムスの予言能力を完全に否定することを念頭に書かれたため、信奉者をめった切りしている。しかし予言能力に懐疑的なブライラーやレオニでさえ、「ノストラダムスは機知に富み、詩人としてかなりのレベルに達していると評価している」にもかかわらず、真っ向から反対しているのは、懐疑のバイアスがかかりすぎている気がしてならない。
本の内容から判断すると仏語版のほうがタイトルとして適切のような感じがする。もっともmaskとは「覆い隠されたもの」で婉曲な謂いである。原書の著作権表示を見ると1993年に改訂されているようだが手元には1990年初版しかない。この本はビリーバー・キラーの決定版として、1999年に日本でも『ノストラダムスの大誤解―イカサマまみれの伝説43の真相』として第四次ブームの際に出版された。仏語版をざっと眺めると使用されている図版が原書と一致していない。転用しているのもあるが、モンペリエ大学の医学部図書館から入学宣誓書のコピーしたり、サンレミの観光事務所から、予言詩に描写されているサンレミの風景を掲載している。届いた本はところどころ青鉛筆で線が引かれていて、元の所有者が注目した箇所がわかり興味深い。
久し振りに邦訳を取り出して仏語版と比較してみると、内容はほぼ忠実に原書に準じて訳されている。ただし、邦訳は章構成を変更、9章の「時代の魔術師たち」がカットされて、1999年の予言詩の解説が追加になっている。補遺にある「1555年初版に関する文書」や「世界の終りに関する外れた予言」は邦訳には見られない。ランディの本はブランダムールより前なので古い情報や誤った記述も見られる。なんといってもノストラダムスの予言能力を完全に否定することを念頭に書かれたため、信奉者をめった切りしている。しかし予言能力に懐疑的なブライラーやレオニでさえ、「ノストラダムスは機知に富み、詩人としてかなりのレベルに達していると評価している」にもかかわらず、真っ向から反対しているのは、懐疑のバイアスがかかりすぎている気がしてならない。
最近読んだビジネス書2冊 ― 2008/11/09 23:02
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4759813047.html
中田亨 ヒューマンエラーを防ぐ知恵―ミスはなくなるか 化学同人 2007年 を読んだ。現代の科学技術は様々な事故例を想定したセキュリティーを構築している。株売買の事務処理だって本来事故が起こらないようなシステムを構築している。ところがヒトのやることには必ず思いもよらないミスがつきものである。本書はいろいろなヒューマンエラーを具体的に挙げ、その分析と対処を解説している。さらにまとめとして一般的な教訓を与えてくれる。身近なところでも仕事上の事務処理のエラー、コミュニケーションのエラー、現場でのエラー、経営判断のエラーなどいたる所にヒューマンエラーが存在している。この本で分類されているエラーのパターンを現実に照らすと、いろいろと考えさせられることが多い。ヒューマンエラーを出さないような「知恵」は絞り出すものなのだ。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4569635415.html
田中和彦 複職時代―「不安定な現代」の働き方 PHPエル新書 2004年 を読んだ。人は何らかの仕事をして生活の糧としているが、各人には多かれ少なかれドラマが隠されている。この本は仕事の転機に直面した人たちの成功例や失敗例を93編のショートストーリにまとめている。人が人生の中で経験しうることは限定されている。本書はいろいろな生き方の選択肢を示してくれるし、身近でも起こり得るリアリティのあるものも含まれている。昨今のニュースを見ると、世界的な不景気の波に飲み込まれて業績が悪化している大企業も多く、切迫した状況に置かれた人々がいる。そうした時にいかに自分に合った仕事を見つけていくか、参考となる指針を与えてくれるはずだ。いいなと思ったのが、『 夢の中で「ありがとう」』という話。夢の中にあらわれた亡くなった奥さんに初めて感謝の気持ちを伝えるというもの。ちょっとジーンとなった。
中田亨 ヒューマンエラーを防ぐ知恵―ミスはなくなるか 化学同人 2007年 を読んだ。現代の科学技術は様々な事故例を想定したセキュリティーを構築している。株売買の事務処理だって本来事故が起こらないようなシステムを構築している。ところがヒトのやることには必ず思いもよらないミスがつきものである。本書はいろいろなヒューマンエラーを具体的に挙げ、その分析と対処を解説している。さらにまとめとして一般的な教訓を与えてくれる。身近なところでも仕事上の事務処理のエラー、コミュニケーションのエラー、現場でのエラー、経営判断のエラーなどいたる所にヒューマンエラーが存在している。この本で分類されているエラーのパターンを現実に照らすと、いろいろと考えさせられることが多い。ヒューマンエラーを出さないような「知恵」は絞り出すものなのだ。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4569635415.html
田中和彦 複職時代―「不安定な現代」の働き方 PHPエル新書 2004年 を読んだ。人は何らかの仕事をして生活の糧としているが、各人には多かれ少なかれドラマが隠されている。この本は仕事の転機に直面した人たちの成功例や失敗例を93編のショートストーリにまとめている。人が人生の中で経験しうることは限定されている。本書はいろいろな生き方の選択肢を示してくれるし、身近でも起こり得るリアリティのあるものも含まれている。昨今のニュースを見ると、世界的な不景気の波に飲み込まれて業績が悪化している大企業も多く、切迫した状況に置かれた人々がいる。そうした時にいかに自分に合った仕事を見つけていくか、参考となる指針を与えてくれるはずだ。いいなと思ったのが、『 夢の中で「ありがとう」』という話。夢の中にあらわれた亡くなった奥さんに初めて感謝の気持ちを伝えるというもの。ちょっとジーンとなった。
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