ノストラダムス予言集のエポックメイキング ― 2009/09/22 23:18
『西洋美術書誌考』という専門的な本を眺めていると、ついついノストラダムス予言集のエディションと比較してみたくなる。いつかノストラダムス予言集書誌考のような形を夢想をしているが、ここでは取り合えず思いつきの段階でポイントを簡単にメモしておこう。予言集の書誌に関する第一のエポックメイキングは、初版の1555年マセ・ボノム版および増補版1557年アントワーヌ・デュ・ローヌ版の生前に印刷されたエディションである。自筆原稿の問題や特認、著者自身の改訂箇所などがポイントか。これ以外に1558年版を含めて仮定的なエディションも議論されているが、現時点で標本が見つかっておらず実証には至っていない。第二のエポックメイキングは、死後版にあたる1568年ブノワ・リゴー版である。この年に出版された理由、テクストの真筆性、数種類の印刷物の系譜、どうしてリゴーが1580年代まで独占的に出版できたのか不明点も多い。
これ以降はフランスの政情とリンクして印刷されることが多くなる。第三のエポックメイキングは、1580年代のカトリック同盟時代の宣伝文書の出版の潮流における予言集のエディションである。1588年以降パリで不完全な予言集の海賊本と思しいエディション、ニコラ・ロフェ版、ラファエル・デュ・プチヴァル版、シャルル・ロジェ版、ピエール・メニエ版、フランソワ・ド・サンジョール版が立て続けに印刷されている。その雛形は1560年にパリで出版されたバルブ・ルニョー版と見られるが、20年以上も経て再版された経緯は謎に包まれている。第四のエポックメイキングは1611年にトロワで印刷されたピエール・シュヴィヨ版で、新たなマテリアルとなる、シャヴィニーの引用した補遺詩と六行詩を取り込んでいる。時代背景としてはアンリ四世の崩御(1610年)と行商本の流行に関連がありそうだ。
第五のエポックメイキングは、フロンドの乱(1648-1653)の時代に発行された政治的パンフレット、マザリナードの影響下のエディションである。マザラン枢機卿を批判する反マザラン文書とこれに反駁するマザラン擁護の文書など数多く出回った。そのなかに予言集のテクストを改竄したもの、さらにそれを修正したものが、年代、出版地の偽った表記で出版者の記載のないものが数多く登場した。有名な1605年版も系譜からしてこのグループに含まれると見られる。モローの目録"Bibliographie des Mazarinades"の三巻本を参照すると、多くのノストラダムス関連のパンフレットが載っている。 この本は最近グーグル・ブックでダウンロードしたのでまた改めて紹介してみたい。
これ以降はフランスの政情とリンクして印刷されることが多くなる。第三のエポックメイキングは、1580年代のカトリック同盟時代の宣伝文書の出版の潮流における予言集のエディションである。1588年以降パリで不完全な予言集の海賊本と思しいエディション、ニコラ・ロフェ版、ラファエル・デュ・プチヴァル版、シャルル・ロジェ版、ピエール・メニエ版、フランソワ・ド・サンジョール版が立て続けに印刷されている。その雛形は1560年にパリで出版されたバルブ・ルニョー版と見られるが、20年以上も経て再版された経緯は謎に包まれている。第四のエポックメイキングは1611年にトロワで印刷されたピエール・シュヴィヨ版で、新たなマテリアルとなる、シャヴィニーの引用した補遺詩と六行詩を取り込んでいる。時代背景としてはアンリ四世の崩御(1610年)と行商本の流行に関連がありそうだ。
第五のエポックメイキングは、フロンドの乱(1648-1653)の時代に発行された政治的パンフレット、マザリナードの影響下のエディションである。マザラン枢機卿を批判する反マザラン文書とこれに反駁するマザラン擁護の文書など数多く出回った。そのなかに予言集のテクストを改竄したもの、さらにそれを修正したものが、年代、出版地の偽った表記で出版者の記載のないものが数多く登場した。有名な1605年版も系譜からしてこのグループに含まれると見られる。モローの目録"Bibliographie des Mazarinades"の三巻本を参照すると、多くのノストラダムス関連のパンフレットが載っている。 この本は最近グーグル・ブックでダウンロードしたのでまた改めて紹介してみたい。
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