第22期竜王戦挑決戦第二局は森内が四間飛車で完勝 ― 2009/09/01 22:31

http://live.shogi.or.jp/ryuou/
あれ程振り飛車の天敵として猛威をふるっている居飛車穴熊が玉頭の厚みでこんなにも脆く崩壊するのだろうか。103手目▲3三角成(上図)で駒割は居飛穴側が▲角桂香対△金で大きな駒得。常識的に考えれば先手が必勝に見える。とはいえ将棋はそんな単純にはいかない。大幅な駒損にも係わらず駒の効率で勝っている振り飛車側が優勢という。居飛穴の堅さに対して玉の周辺に鎧のごとく張り付いた金銀5枚の厚みで対抗するという大局観は、大山十五世を彷彿させる指し回しである。こういう漠然とした大局観はコンピュータでは理解しづらいのではと思い、試しに東大将棋の棋譜解析にかけてみた。やはりというべきか103手目の局面での形勢判断は先手優勢。116手目の△7七香以降でようやく後手優勢から勝勢と東大将棋の形勢数値化は変わっていった。
それにしても一見何の変哲もないノーマルな四間飛車を、森内がこの大事な一局で選択した意図は何だったのだろう。事前に用意周到に作戦を練る森内がただ目先を変えるためだけに従来の四間飛車を指すはずがない。現在は穴熊の最善の形は本譜のような松尾流穴熊への組み換えと見られている。おそらく6七に金がいる形でどこかで1筋で香捨てから1歩を持って△6六歩をクサビを打ち込むのを狙っていたふしがある。四間飛車の△5四銀型は手詰まりになりやすく本譜のように間合いを計った駒組となる。その一瞬のスキを逃さなかったということになろうか。52手目の△4三銀などは相手の攻めを事前にかわす柔らかい感じのする一手。解説にもあるように大山流の受けの極意といえる先受けである。
こういった指し回しは本来はなかなか真似のしづらいものであるが、狙いそのものはわかりやすい。この作戦を有力と見る棋士が出てくれば、これまで少数派になっていた△4四歩と角道を止める昔ながらの四間飛車に戻る可能性も大いにあろう。こうした大勝負での森内の採った作戦は今後の戦法の流行の趨勢を変えるターニングポイントとなるかもしれない。第三局は勢いからいって森内乗りか。振り駒による前後も差も大きいのだが・・・
あれ程振り飛車の天敵として猛威をふるっている居飛車穴熊が玉頭の厚みでこんなにも脆く崩壊するのだろうか。103手目▲3三角成(上図)で駒割は居飛穴側が▲角桂香対△金で大きな駒得。常識的に考えれば先手が必勝に見える。とはいえ将棋はそんな単純にはいかない。大幅な駒損にも係わらず駒の効率で勝っている振り飛車側が優勢という。居飛穴の堅さに対して玉の周辺に鎧のごとく張り付いた金銀5枚の厚みで対抗するという大局観は、大山十五世を彷彿させる指し回しである。こういう漠然とした大局観はコンピュータでは理解しづらいのではと思い、試しに東大将棋の棋譜解析にかけてみた。やはりというべきか103手目の局面での形勢判断は先手優勢。116手目の△7七香以降でようやく後手優勢から勝勢と東大将棋の形勢数値化は変わっていった。
それにしても一見何の変哲もないノーマルな四間飛車を、森内がこの大事な一局で選択した意図は何だったのだろう。事前に用意周到に作戦を練る森内がただ目先を変えるためだけに従来の四間飛車を指すはずがない。現在は穴熊の最善の形は本譜のような松尾流穴熊への組み換えと見られている。おそらく6七に金がいる形でどこかで1筋で香捨てから1歩を持って△6六歩をクサビを打ち込むのを狙っていたふしがある。四間飛車の△5四銀型は手詰まりになりやすく本譜のように間合いを計った駒組となる。その一瞬のスキを逃さなかったということになろうか。52手目の△4三銀などは相手の攻めを事前にかわす柔らかい感じのする一手。解説にもあるように大山流の受けの極意といえる先受けである。
こういった指し回しは本来はなかなか真似のしづらいものであるが、狙いそのものはわかりやすい。この作戦を有力と見る棋士が出てくれば、これまで少数派になっていた△4四歩と角道を止める昔ながらの四間飛車に戻る可能性も大いにあろう。こうした大勝負での森内の採った作戦は今後の戦法の流行の趨勢を変えるターニングポイントとなるかもしれない。第三局は勢いからいって森内乗りか。振り駒による前後も差も大きいのだが・・・
アンリ二世の書簡に見る日付の意味 ― 2009/09/03 00:41
http://www.nostradamusresearch.org/en/debate/14031557.htm
ノストラダムスRGのメーリングを見ると、久しぶりにベルケルのニュースレターが入っていた。ノストラダムス予言集の第二部の序文として置かれているアンリ二世への書簡のなかに1557年3月14日という日付が出てくる。新着の論文では、その日付にどういう意味があるのか、どういった背景があるのかを探っている。原文はベルケルの英訳を参照するとこんな感じか。「1557年3月14日の現在を起点に、1585年と1606年を考慮に入れても大半は必然的に起りうる、都市、場所、地域と年代について書き記しておきたい。じっくりと計算したところ、第七の千年紀の始点に近いところで起る出来事までのはるか遠くに至り・・・」ここではノストラダムスが己の予言の及ぶ期間について言及している。
単純に書簡の聖書クロノロジーを読み取ると七千年紀の起点は1826年。セザールへの序文と百詩篇1-48からは2240年となる。ここらに整合性の難しさがあるのだが、ベルケルはこの年代がユダヤ暦の6000年に対応するとしている。ユダヤ暦は紀元前3760年が元年で創造の時とされているので、なるほど数字合わせはピタリと合う。序文では、ルーサの著作にある聖書年代5199年とトリテミウス周期との組み合わせで七千年紀と期限(有名な3797年は1555+2242)を記述している。一方書簡では七千年紀の始点を予言の期限としている。septiesme millenaireという表記はユダヤ暦で考慮した可能性が高い。そうすると先ほどの1826年は実は2240年(1533+353.4*2)であることがわかる。
これはルーサの記述「月がその通常の運行(354年4ヵ月)を完成するため7086年8ヵ月まで支配を握り、その後太陽が支配を握る(p95)」をそのまま転用したのが明らかである。書簡の4173年8ヵ月の意味がどうかとなるが、これに序文の3797年を足し込むと7970年で8000年に近づくに整合するか。数字の組み合わせでいろいろな意味が引き出されるが果たしてノストラダムスの真意はどこにあったのか。
ノストラダムスRGのメーリングを見ると、久しぶりにベルケルのニュースレターが入っていた。ノストラダムス予言集の第二部の序文として置かれているアンリ二世への書簡のなかに1557年3月14日という日付が出てくる。新着の論文では、その日付にどういう意味があるのか、どういった背景があるのかを探っている。原文はベルケルの英訳を参照するとこんな感じか。「1557年3月14日の現在を起点に、1585年と1606年を考慮に入れても大半は必然的に起りうる、都市、場所、地域と年代について書き記しておきたい。じっくりと計算したところ、第七の千年紀の始点に近いところで起る出来事までのはるか遠くに至り・・・」ここではノストラダムスが己の予言の及ぶ期間について言及している。
単純に書簡の聖書クロノロジーを読み取ると七千年紀の起点は1826年。セザールへの序文と百詩篇1-48からは2240年となる。ここらに整合性の難しさがあるのだが、ベルケルはこの年代がユダヤ暦の6000年に対応するとしている。ユダヤ暦は紀元前3760年が元年で創造の時とされているので、なるほど数字合わせはピタリと合う。序文では、ルーサの著作にある聖書年代5199年とトリテミウス周期との組み合わせで七千年紀と期限(有名な3797年は1555+2242)を記述している。一方書簡では七千年紀の始点を予言の期限としている。septiesme millenaireという表記はユダヤ暦で考慮した可能性が高い。そうすると先ほどの1826年は実は2240年(1533+353.4*2)であることがわかる。
これはルーサの記述「月がその通常の運行(354年4ヵ月)を完成するため7086年8ヵ月まで支配を握り、その後太陽が支配を握る(p95)」をそのまま転用したのが明らかである。書簡の4173年8ヵ月の意味がどうかとなるが、これに序文の3797年を足し込むと7970年で8000年に近づくに整合するか。数字の組み合わせでいろいろな意味が引き出されるが果たしてノストラダムスの真意はどこにあったのか。
第57期王座戦第一局は羽生が連覇に向けて1勝目 ― 2009/09/05 10:04

http://live.shogi.or.jp/ouza/
羽生の王座戦17連覇という成績はまさに空前絶後、神懸っているとしか言いようのないとてつもない記録である。羽生本人にしてみれば1期1期積み上げた結果として、気づいたらここまで来たかという感覚だろう。記録というものはいつかは潰えてしまうのはやむを得ないが、最近のタイトル戦でギリギリの防衛が続いている羽生が今期も連覇記録を伸ばすことができるだろうか。挑戦者として20代の山崎七段が名乗りを挙げた。将棋世界10月号の巻頭インタビューを読むと、先輩棋士と後輩棋士との間で様々な心の葛藤が生じてきたことがわかる。本当は自分が一番でありたいという自信が崩れ、それでも自分には将棋しかない、というジレンマが自虐的なインタビューに投影されているように思われる。関西は現在、久保の初タイトルや豊島、稲葉らの若手の活躍で活気づいている。今回のタイトル初挑戦は山崎もその潮流になんとか乗れたとみていいだろう。
振り駒の結果、山崎の先手で得意の相掛りに進んだが、羽生の22手目△8五飛が名人戦でも現れた最近流行の作戦。ネットの解説では過去12局で先手8勝とあるのでまだまだ後手に工夫の余地がありそうだ。羽生の狙いは、いきなり24手目△9五歩と端攻めに現れた。先手は9筋の歩のたらしを結局取り切れなかった。28手目△9五飛と歩損を解消したところでは後手の主張が通った。その後は先手も9筋の位を避けて左に玉を囲い、ヒネリ飛車のような展開に。先手の玉形は堅くなったが角が使えないのと後手からの1筋の端攻めがわかりやすく少し辛い感じだ。それでも63手目▲4八玉と上がったところでは後手からの継続手も難しい。そこで羽生らしいスピードコントロール、端攻めから一転△6二金から右辺の金銀を繰り替える柔らかい指し回しが流石の構想。76手目△5五香と飛車を捕獲したところで後手の優勢がはっきりした。山崎も終盤執念の粘りを見せるが羽生の指し手は正確無比、なんなく手堅く寄せ切った。
山崎にとって5番勝負の初戦を先手番で落としたのは痛い。インタビュー記事にもあるように、2局目までに1つ勝つ目標を達成するには次はどうしても落とせない。1局目を終えてタイトル戦の雰囲気にのまれることもないはずだ。奪取に向けてまずは待望の1勝を挙げたい。そうすればうまく好調の波に乗れる可能性もある。メンタル面をさらに充実させて羽生の連覇ストップという大きな仕事を成し遂げてほしいものだ。
羽生の王座戦17連覇という成績はまさに空前絶後、神懸っているとしか言いようのないとてつもない記録である。羽生本人にしてみれば1期1期積み上げた結果として、気づいたらここまで来たかという感覚だろう。記録というものはいつかは潰えてしまうのはやむを得ないが、最近のタイトル戦でギリギリの防衛が続いている羽生が今期も連覇記録を伸ばすことができるだろうか。挑戦者として20代の山崎七段が名乗りを挙げた。将棋世界10月号の巻頭インタビューを読むと、先輩棋士と後輩棋士との間で様々な心の葛藤が生じてきたことがわかる。本当は自分が一番でありたいという自信が崩れ、それでも自分には将棋しかない、というジレンマが自虐的なインタビューに投影されているように思われる。関西は現在、久保の初タイトルや豊島、稲葉らの若手の活躍で活気づいている。今回のタイトル初挑戦は山崎もその潮流になんとか乗れたとみていいだろう。
振り駒の結果、山崎の先手で得意の相掛りに進んだが、羽生の22手目△8五飛が名人戦でも現れた最近流行の作戦。ネットの解説では過去12局で先手8勝とあるのでまだまだ後手に工夫の余地がありそうだ。羽生の狙いは、いきなり24手目△9五歩と端攻めに現れた。先手は9筋の歩のたらしを結局取り切れなかった。28手目△9五飛と歩損を解消したところでは後手の主張が通った。その後は先手も9筋の位を避けて左に玉を囲い、ヒネリ飛車のような展開に。先手の玉形は堅くなったが角が使えないのと後手からの1筋の端攻めがわかりやすく少し辛い感じだ。それでも63手目▲4八玉と上がったところでは後手からの継続手も難しい。そこで羽生らしいスピードコントロール、端攻めから一転△6二金から右辺の金銀を繰り替える柔らかい指し回しが流石の構想。76手目△5五香と飛車を捕獲したところで後手の優勢がはっきりした。山崎も終盤執念の粘りを見せるが羽生の指し手は正確無比、なんなく手堅く寄せ切った。
山崎にとって5番勝負の初戦を先手番で落としたのは痛い。インタビュー記事にもあるように、2局目までに1つ勝つ目標を達成するには次はどうしても落とせない。1局目を終えてタイトル戦の雰囲気にのまれることもないはずだ。奪取に向けてまずは待望の1勝を挙げたい。そうすればうまく好調の波に乗れる可能性もある。メンタル面をさらに充実させて羽生の連覇ストップという大きな仕事を成し遂げてほしいものだ。
ロスジェネはこう生きてきた ― 2009/09/06 23:52
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4582854656.html
雨宮処凛 ロスジェネはこう生きてきた 平凡社 2009年5月 を読んだ。今週末のニュースを見ていると、民主党による新政権の話題で持ちきりである。これまでずっと日本の政治の中心で権力を揮った自民党への不満、現代日本に蔓延している閉塞感を何としても打破したいという国民意識が表面化した結果なのであろう。自分自身はそれほど政治に関心があるわけではない。ほどほどの仕事に就き、ほどほどの収入を得て平々凡々の毎日を暮らしている。新聞で報じられる派遣切り、ワーキングプア、いじめ、自殺等々、自分には関係のない遠い世界のことにしか思えなかった。この本は著者自身がロスジェネと自認して、社会の日陰の世界に生きる人たちの周辺を赤裸々に描いている。読み終えて軽いショックを受けた。
タイトルにあるロスジェネとは「失われた世代」をいう。バブル崩壊後の失われた10年に社会に出た世代、1972年から82年生まれの就職氷河期に当たる。社会に息苦しさを感じながらも、もがき苦しみながら生きてきた25歳から35歳の若者を指す。本書は日本あるいは世界の社会的事件と見比べながら著者自身の歴史をなぞっている。その自分史は衝撃的でもある。どうしてこれほどまでに日本社会に歪みが生じてしまったのか。そのあたりを自らの体験をもとに具体的に書き記し、その上積極的な行動を起こしている。老後の年金の問題、働きたくとも働き先がない、そんな若者たちは製造業の派遣労働者として、いつリストラされて住むところさえ失われてもおかしくない厳しい職場環境のなか低賃金で働いている。
前回の総選挙で掲げられた郵政民営化は、薔薇色の未来どころか実際には若年層の「不安定雇用」や「貧困」のような格差社会をさらに促進させた。自分がいくら頑張ってもどうにもならない、住みづらい社会。その結果いつか現状をリセットしてもう一度やり直せる社会を渇望したのが今回の総選挙の結果ではなかったか。ノストラダムスの歪んだ解釈、近未来の人類滅亡という幻のデストピアがサブカルチャーに支持されたのは、同じように時代の申し子だったのかもしれない。
雨宮処凛 ロスジェネはこう生きてきた 平凡社 2009年5月 を読んだ。今週末のニュースを見ていると、民主党による新政権の話題で持ちきりである。これまでずっと日本の政治の中心で権力を揮った自民党への不満、現代日本に蔓延している閉塞感を何としても打破したいという国民意識が表面化した結果なのであろう。自分自身はそれほど政治に関心があるわけではない。ほどほどの仕事に就き、ほどほどの収入を得て平々凡々の毎日を暮らしている。新聞で報じられる派遣切り、ワーキングプア、いじめ、自殺等々、自分には関係のない遠い世界のことにしか思えなかった。この本は著者自身がロスジェネと自認して、社会の日陰の世界に生きる人たちの周辺を赤裸々に描いている。読み終えて軽いショックを受けた。
タイトルにあるロスジェネとは「失われた世代」をいう。バブル崩壊後の失われた10年に社会に出た世代、1972年から82年生まれの就職氷河期に当たる。社会に息苦しさを感じながらも、もがき苦しみながら生きてきた25歳から35歳の若者を指す。本書は日本あるいは世界の社会的事件と見比べながら著者自身の歴史をなぞっている。その自分史は衝撃的でもある。どうしてこれほどまでに日本社会に歪みが生じてしまったのか。そのあたりを自らの体験をもとに具体的に書き記し、その上積極的な行動を起こしている。老後の年金の問題、働きたくとも働き先がない、そんな若者たちは製造業の派遣労働者として、いつリストラされて住むところさえ失われてもおかしくない厳しい職場環境のなか低賃金で働いている。
前回の総選挙で掲げられた郵政民営化は、薔薇色の未来どころか実際には若年層の「不安定雇用」や「貧困」のような格差社会をさらに促進させた。自分がいくら頑張ってもどうにもならない、住みづらい社会。その結果いつか現状をリセットしてもう一度やり直せる社会を渇望したのが今回の総選挙の結果ではなかったか。ノストラダムスの歪んだ解釈、近未来の人類滅亡という幻のデストピアがサブカルチャーに支持されたのは、同じように時代の申し子だったのかもしれない。
セザール・ド・ノートルダムに関する論文を入手した ― 2009/09/07 23:05
先週の土曜日に久しぶりに日仏会館に行った。お目当てはパトリス・ギナールのノストラダムスに関する論文の載った” Revue Française d'Histoire du Livre Nr129、2008”(書物史のフランス誌)の閲覧だったのだが残念ながら所蔵されていなかった。(コーパス・ノストラダムス102番を参照)係りの女性に調べてもらったところ、一番近場では一ツ橋大学に保管されているらしい。今度時間の開いたときにでも、散歩がてらぶらりと足を延ばしてみよう。他に何かノストラダムス関連資料を置いていないかと図書館のパソコンで検索したところ、Gazette des Beaux-Artsの1970年総集編とデニス・パリエの”Recherches sur l'imprimerie à Paris pendant la Ligue, 1585-1594”(カトリック同盟の間のパリの印刷所に関する研究)の2冊を見つけた。さっそく閲覧申込を書いて書庫から出してもらった。
前者は1月にTerence C. Caveのセザールに関する論文”Peinture et émotion dans la poésie religieuse de César de Nostredame”(セザール・ド・ノートルダムの宗教詩における描写と情動)が載っている。ざっと中に目を通してから1枚30円のA3コピーを5枚取った。後者は以前から気になっていた本である。ノストラダムスの予言集は表紙の年代を信じるなら1568年のブノワ・リゴー版完全版以降はずっと刊行されていなかった。ところが1580年代になって突如パリで海賊版と見られる予言集が立て続けに出現している。これはいったいどういう事情があったのか。アルブロンは1555年初版の四行詩テクストがこの少し前に初めて登場したという特殊な偽作説を展開している。オーストリアのエマール・グルーバーのように論理的に見事な反論を提出しているように、この説自体信憑性が低いが、やはり何らかの根拠もあるかもしれない。
そんあ疑問に答えてくれるのではと幽かな期待し、この本はざっと見した結果、借りることにした。前半は当時の印刷事情の背景を詳述、後半は印刷物の年代順のリストアップ。ノストラダムスの予言集はリストになかったような気がする。4週間ほど手元におけるのでもう少し細かく読んでみようかと思う。
前者は1月にTerence C. Caveのセザールに関する論文”Peinture et émotion dans la poésie religieuse de César de Nostredame”(セザール・ド・ノートルダムの宗教詩における描写と情動)が載っている。ざっと中に目を通してから1枚30円のA3コピーを5枚取った。後者は以前から気になっていた本である。ノストラダムスの予言集は表紙の年代を信じるなら1568年のブノワ・リゴー版完全版以降はずっと刊行されていなかった。ところが1580年代になって突如パリで海賊版と見られる予言集が立て続けに出現している。これはいったいどういう事情があったのか。アルブロンは1555年初版の四行詩テクストがこの少し前に初めて登場したという特殊な偽作説を展開している。オーストリアのエマール・グルーバーのように論理的に見事な反論を提出しているように、この説自体信憑性が低いが、やはり何らかの根拠もあるかもしれない。
そんあ疑問に答えてくれるのではと幽かな期待し、この本はざっと見した結果、借りることにした。前半は当時の印刷事情の背景を詳述、後半は印刷物の年代順のリストアップ。ノストラダムスの予言集はリストになかったような気がする。4週間ほど手元におけるのでもう少し細かく読んでみようかと思う。
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