第50期王位戦第三局は木村が勝ち、怒涛の3連勝 ― 2009/08/01 10:19

http://www.kobe-np.co.jp/50oui/
王位戦は木村が怒涛の三連勝でタイトル奪取にあと1勝と迫った。今頃はニヤニヤしながらタイトル戦で勝つのはこんなに容易かったのかと自問自答しているかもしれない。それはまあ冗談だが、これまでストレート負けを二回。棋聖戦では2-1と追い込んでから惜敗ながら着実に一歩一歩前進してきた。ここに来て三連勝と深浦をカド番に追い込んだ。羽生以外であれば十分に互角な戦いができると実感しているかもしれない。あと1勝で新王位の誕生であるが、渡辺の新刊書を見ると初めて三連勝したときの心理を赤裸々に書いている。これで負けてしまったらとマイナス面ばかり考えてしまうという。木村も今が一番ハッピーなのは間違いないが、1勝を返されるとそこで流れが変わる場合もあり心配の種はつきない。
封じ手は予想通りの▲2四飛。その後の展開もまったく想定した通りになった。問題は62手目△6六桂の両取りに対して先手がどう指すかである。深浦の用意した手は▲3五香とひねった指し方だが平凡に△3四歩で精算されると飛車の位置が悪く△2五角の飛車金両取りの手が残ってしまった。本譜も72手目△2五角と打たれている。恐らく本局の勝負どころはこの局面の評価にある。深浦の研究もここで先手が指せるとみて▲2四歩~▲2三歩を決断したと思われる。試しにこの局面を東大将棋のヒントで解析してみると先手有利との形勢判断が出る。しかし実際には木村の74手目△3三金と力強く立ったのが読みの入った手で後手が局面をリードしたようだ。やはりこの辺りの受けの感覚は独特である。一見81手目▲2四金と打って詰めろ角取りで決まったかに見えるが、△3二香がのちの飛車引きを見せた好手で後手優勢。
結局88手目△2八飛が入って後手勝勢となった。研究では深浦の仕掛けは十分先手が指せそうな感じがする。しかし実戦では生き物、木村の深い読みに裏付けされた受けの強手でそれを吹き飛ばした。深浦は二期守ってきた王位の座に赤信号が灯る。タイトルホルダーが4連敗するわけにはいかない。タイトル戦を盛り上げるためにも次の後手番は遮二無二勝ちにいってほしいところだ。
王位戦は木村が怒涛の三連勝でタイトル奪取にあと1勝と迫った。今頃はニヤニヤしながらタイトル戦で勝つのはこんなに容易かったのかと自問自答しているかもしれない。それはまあ冗談だが、これまでストレート負けを二回。棋聖戦では2-1と追い込んでから惜敗ながら着実に一歩一歩前進してきた。ここに来て三連勝と深浦をカド番に追い込んだ。羽生以外であれば十分に互角な戦いができると実感しているかもしれない。あと1勝で新王位の誕生であるが、渡辺の新刊書を見ると初めて三連勝したときの心理を赤裸々に書いている。これで負けてしまったらとマイナス面ばかり考えてしまうという。木村も今が一番ハッピーなのは間違いないが、1勝を返されるとそこで流れが変わる場合もあり心配の種はつきない。
封じ手は予想通りの▲2四飛。その後の展開もまったく想定した通りになった。問題は62手目△6六桂の両取りに対して先手がどう指すかである。深浦の用意した手は▲3五香とひねった指し方だが平凡に△3四歩で精算されると飛車の位置が悪く△2五角の飛車金両取りの手が残ってしまった。本譜も72手目△2五角と打たれている。恐らく本局の勝負どころはこの局面の評価にある。深浦の研究もここで先手が指せるとみて▲2四歩~▲2三歩を決断したと思われる。試しにこの局面を東大将棋のヒントで解析してみると先手有利との形勢判断が出る。しかし実際には木村の74手目△3三金と力強く立ったのが読みの入った手で後手が局面をリードしたようだ。やはりこの辺りの受けの感覚は独特である。一見81手目▲2四金と打って詰めろ角取りで決まったかに見えるが、△3二香がのちの飛車引きを見せた好手で後手優勢。
結局88手目△2八飛が入って後手勝勢となった。研究では深浦の仕掛けは十分先手が指せそうな感じがする。しかし実戦では生き物、木村の深い読みに裏付けされた受けの強手でそれを吹き飛ばした。深浦は二期守ってきた王位の座に赤信号が灯る。タイトルホルダーが4連敗するわけにはいかない。タイトル戦を盛り上げるためにも次の後手番は遮二無二勝ちにいってほしいところだ。
第三回大和証券杯・最強戦は山崎七段が優勝 ― 2009/08/02 23:04

http://www.daiwashogi.net/
今日は公開対局で第三回大和証券杯・最強戦の決勝戦が行われた。決勝に進んだのはまさに今が旬の木村八段と山崎七段。木村は王位戦で三連勝、山崎は王座戦挑戦を決めたばかり。公開といっても対局者はオフィスの一室でパソコンを前にマウスをクリックして対局を行う。解説している場所ではパソコンの画面しか入ってこないので、対局者の様子を伺うことができない。オールドファンにとって将棋を指すということからは少々違和感があるが、ネット将棋全盛の時代では当たり前の所作なのだろう。ちなみに自分自身は未だにネット将棋を指したことがない。上のサイトでは早速オープニングの画像が優勝者の山崎に切り替わっていた。将棋のほうはリアルタイムではなく棋譜鑑賞で後から並べてみた。
山崎の将棋のイメージは不定形での指し回しに独特の嗅覚を持っている。急所のポイントにパッと手が行くような印象がある。木村はどちらかというと序盤はオーソドックスに進めて中終盤に力強い受けを繰り出すタイプ。後手番になった山崎は9筋位取りの一手損角換わりからダイレクト向かい飛車の趣向に出る。飛車を振った瞬間に先手は15手目▲6五角と打ったが、これは定跡で双方バランスが取れている。ただし、そこからどういう方針で指すか、持ち時間が短い将棋では深く読むことができないので己の感性が頼りとなる。形勢に微差がついたのは木村の69手目▲7九玉の辺りだろうか。70手目△2七角が指しにくそうに見えるが、なかなか読みの入った手で後手に流れが傾き始めた。
先手の渾身の勝負手、83手目▲5一金に対して力強く△4二玉と大将自ら敵に近づくのが山崎らしい決め手。最後は木村が粘ることなく▲4四歩と首を差し出し即詰みとなった。これで山崎は羽生王座への挑戦に弾みがついた。久保のタイトル奪取に続いて山崎もホットな関西旋風の勢いに乗れるか、五番勝負が楽しみである。
今日は公開対局で第三回大和証券杯・最強戦の決勝戦が行われた。決勝に進んだのはまさに今が旬の木村八段と山崎七段。木村は王位戦で三連勝、山崎は王座戦挑戦を決めたばかり。公開といっても対局者はオフィスの一室でパソコンを前にマウスをクリックして対局を行う。解説している場所ではパソコンの画面しか入ってこないので、対局者の様子を伺うことができない。オールドファンにとって将棋を指すということからは少々違和感があるが、ネット将棋全盛の時代では当たり前の所作なのだろう。ちなみに自分自身は未だにネット将棋を指したことがない。上のサイトでは早速オープニングの画像が優勝者の山崎に切り替わっていた。将棋のほうはリアルタイムではなく棋譜鑑賞で後から並べてみた。
山崎の将棋のイメージは不定形での指し回しに独特の嗅覚を持っている。急所のポイントにパッと手が行くような印象がある。木村はどちらかというと序盤はオーソドックスに進めて中終盤に力強い受けを繰り出すタイプ。後手番になった山崎は9筋位取りの一手損角換わりからダイレクト向かい飛車の趣向に出る。飛車を振った瞬間に先手は15手目▲6五角と打ったが、これは定跡で双方バランスが取れている。ただし、そこからどういう方針で指すか、持ち時間が短い将棋では深く読むことができないので己の感性が頼りとなる。形勢に微差がついたのは木村の69手目▲7九玉の辺りだろうか。70手目△2七角が指しにくそうに見えるが、なかなか読みの入った手で後手に流れが傾き始めた。
先手の渾身の勝負手、83手目▲5一金に対して力強く△4二玉と大将自ら敵に近づくのが山崎らしい決め手。最後は木村が粘ることなく▲4四歩と首を差し出し即詰みとなった。これで山崎は羽生王座への挑戦に弾みがついた。久保のタイトル奪取に続いて山崎もホットな関西旋風の勢いに乗れるか、五番勝負が楽しみである。
Prognosticationの訳語に関する雑感 ― 2009/08/02 23:53
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/nostradamuszakkicho/view/20090825/1251210422
本ブログでPrognosticationに関する記事を書いたところ、sumaruさんからトラックバックをかけていただいた。その場の思いつきのメモに対し、いつもながらの綿密な調査に基づく重厚な記事には本当に頭が下がる思いである。いま出張中の大阪のホテルでこれを書いているので手元に資料を参照することができないが、少しコメントしてみたい。まず誤解のないように、単語としてのPrognosticationの訳語として「占筮」が誤訳とか不適切と申し上げているわけではない。ただラブレーのPrognosticationとノストラダムスのPrognosticationとは、自分のなかで少し違ったニュアンスがあるので機械的に同じ訳語を充てるのはどうかという疑問である。
ブログ記事のなかでsumaruさんはPrognosticationを辞書的に調べており大変参考になる。が、それはあくまでもPrognosticationという単語の語義に過ぎない。もちろん外国語であるからひとつの単語に対して一義的に訳語が決まるというケースはそれほど多くはないだろう。よって用いられている文脈において一番しっくりする訳語を選択するほかはない。だからこそこの辺りが個人的な語感の範疇に入ってくるのは全くご指摘の通りである。渡辺氏が当て字として用いている「占筮」、ここでは単に「占い」でもいいが、「ノストラダムスのPrognostication」という場合に、著作のタイトルとして「ノストラダムスの占い」という呼び方がぴったりフィットするかどうかに尽きる。
> 4.の意味合いが強いはずですが、日本語の場合、「予測」といってしまうと1.の意味合いが強い一方、4.の意味合いは薄くなってしまうようにも思います。
これはPrognosticationを切り取った場合の見方で、意味合いからすれば確かに、「占星予測」と訳すべきかもしれない。そうなるとAlmanachのほうは「占星暦」ということになろうか。ただしそこに「ノストラダムスの」という言葉を伴うと、現代ではノストラダムス自体に占星術師の総称を意味する用法もあったはずで(手元に辞書がないのであやふやな記憶なのだが)「ノストラダムスのPrognostication」を「ノストラダムスの予測」と訳出すれば自動的に4.のニュアンスも入ってくるのではないかと勝手に考えている。同様にAlmanachについても「ノストラダムスの占星暦」と訳すのでは意味が二重になり、少々くどい感触があるので単に暦でいいという気がする。
もっともこれを無理やり押し付けようとか、sumaruさんに喧嘩を売ろうとか(笑)、そんな気は毛頭ないのでちょっとした問題提起になればと、とりとめのない雑感を記したに過ぎない。
本ブログでPrognosticationに関する記事を書いたところ、sumaruさんからトラックバックをかけていただいた。その場の思いつきのメモに対し、いつもながらの綿密な調査に基づく重厚な記事には本当に頭が下がる思いである。いま出張中の大阪のホテルでこれを書いているので手元に資料を参照することができないが、少しコメントしてみたい。まず誤解のないように、単語としてのPrognosticationの訳語として「占筮」が誤訳とか不適切と申し上げているわけではない。ただラブレーのPrognosticationとノストラダムスのPrognosticationとは、自分のなかで少し違ったニュアンスがあるので機械的に同じ訳語を充てるのはどうかという疑問である。
ブログ記事のなかでsumaruさんはPrognosticationを辞書的に調べており大変参考になる。が、それはあくまでもPrognosticationという単語の語義に過ぎない。もちろん外国語であるからひとつの単語に対して一義的に訳語が決まるというケースはそれほど多くはないだろう。よって用いられている文脈において一番しっくりする訳語を選択するほかはない。だからこそこの辺りが個人的な語感の範疇に入ってくるのは全くご指摘の通りである。渡辺氏が当て字として用いている「占筮」、ここでは単に「占い」でもいいが、「ノストラダムスのPrognostication」という場合に、著作のタイトルとして「ノストラダムスの占い」という呼び方がぴったりフィットするかどうかに尽きる。
> 4.の意味合いが強いはずですが、日本語の場合、「予測」といってしまうと1.の意味合いが強い一方、4.の意味合いは薄くなってしまうようにも思います。
これはPrognosticationを切り取った場合の見方で、意味合いからすれば確かに、「占星予測」と訳すべきかもしれない。そうなるとAlmanachのほうは「占星暦」ということになろうか。ただしそこに「ノストラダムスの」という言葉を伴うと、現代ではノストラダムス自体に占星術師の総称を意味する用法もあったはずで(手元に辞書がないのであやふやな記憶なのだが)「ノストラダムスのPrognostication」を「ノストラダムスの予測」と訳出すれば自動的に4.のニュアンスも入ってくるのではないかと勝手に考えている。同様にAlmanachについても「ノストラダムスの占星暦」と訳すのでは意味が二重になり、少々くどい感触があるので単に暦でいいという気がする。
もっともこれを無理やり押し付けようとか、sumaruさんに喧嘩を売ろうとか(笑)、そんな気は毛頭ないのでちょっとした問題提起になればと、とりとめのない雑感を記したに過ぎない。
ノストラダムスの伝記に見るアドリエット ― 2009/08/03 22:39
http://www42.atwiki.jp/nostradamus/pages/380.html
一般的なノストラダムスの伝記では、1530年代に最初の結婚をしたが妻と二人の子供を流行病で失ったとされる。日本の解釈本ではその妻の名前がアドリエット・ド・ルーブジャックと紹介されることが多い。大事典の記述にあるように、マッキャン、レオニ、レイヴァー、チータムら英語圏の研究書では、アドリエットという名前がスカリジェの若妻と混同したものであることにわざわざ言及している。では何故日本でこの誤った名前が流布してしまったのか。以前HPでも書いたが、日本で最初に予言者としてのノストラダムスを紹介した黒沼健氏が、『謎と怪奇物語』53頁でこう書いている。「ノストラデムスが美しいアドリエット・ド・ルーブジャックに会ったのは、黒死病流行地に献身的な治療の旅をつづけていた時のことだった。」この記述がそもそもの出所で孫引きされていった。
ではどうして黒沼氏が伝記にアドリエットなる名前を持ち出したのだろう。これもソースははっきりしている。黒沼氏の参照した伝記はヘンリー・ジェームズ・フォアマンの"The story of prophecies in the life of mankind"(人類の生涯における予言物語)である。その177-8頁にAdriete de Loubejac(アドリエット・ド・ルーベジャック)がノストラダムスの妻の名前として紹介されている。フォアマンの本の初版は1936年、何を基に伝記を書いたか巻末の参考文献を見ると、先ごろ紹介したジャン・ムーラとポール・ルーヴェの『伝記』であることが判明した。フォアマンが『伝記』を誤読したに違いないと該当ページを見てみると、67頁にこう書かれている。「スカリジェは・・・1520年にはアジャンで司教の座に就いていた。かの哲学者は美しいアドリエット・ド・ルーベジャックを愛して妻とした。」
どう見ても誤読のしようがないのだが、恐らくフォアマンはかの哲学者がノストラダムスを指したものと勘違いしてしまった。フォアマンの本はわざわざ副題に「ノストラダムスの神託の完全分析を含む」と入っているし、1940年代の英語圏のノストラダムスブーム以前にポピュラーな解説書だったために、これを孫引きするものが多かった。そのため特に後年輩出した英語圏の研究家たちが敢えて注意を促したのだろう。その影響が日本でずっと残ってしまったというのも驚くほかない。解釈者の本のみならず、海外の邦訳書、チータムやトゥシャールの本でも原書にない余計な注釈を追加する始末である。
一般的なノストラダムスの伝記では、1530年代に最初の結婚をしたが妻と二人の子供を流行病で失ったとされる。日本の解釈本ではその妻の名前がアドリエット・ド・ルーブジャックと紹介されることが多い。大事典の記述にあるように、マッキャン、レオニ、レイヴァー、チータムら英語圏の研究書では、アドリエットという名前がスカリジェの若妻と混同したものであることにわざわざ言及している。では何故日本でこの誤った名前が流布してしまったのか。以前HPでも書いたが、日本で最初に予言者としてのノストラダムスを紹介した黒沼健氏が、『謎と怪奇物語』53頁でこう書いている。「ノストラデムスが美しいアドリエット・ド・ルーブジャックに会ったのは、黒死病流行地に献身的な治療の旅をつづけていた時のことだった。」この記述がそもそもの出所で孫引きされていった。
ではどうして黒沼氏が伝記にアドリエットなる名前を持ち出したのだろう。これもソースははっきりしている。黒沼氏の参照した伝記はヘンリー・ジェームズ・フォアマンの"The story of prophecies in the life of mankind"(人類の生涯における予言物語)である。その177-8頁にAdriete de Loubejac(アドリエット・ド・ルーベジャック)がノストラダムスの妻の名前として紹介されている。フォアマンの本の初版は1936年、何を基に伝記を書いたか巻末の参考文献を見ると、先ごろ紹介したジャン・ムーラとポール・ルーヴェの『伝記』であることが判明した。フォアマンが『伝記』を誤読したに違いないと該当ページを見てみると、67頁にこう書かれている。「スカリジェは・・・1520年にはアジャンで司教の座に就いていた。かの哲学者は美しいアドリエット・ド・ルーベジャックを愛して妻とした。」
どう見ても誤読のしようがないのだが、恐らくフォアマンはかの哲学者がノストラダムスを指したものと勘違いしてしまった。フォアマンの本はわざわざ副題に「ノストラダムスの神託の完全分析を含む」と入っているし、1940年代の英語圏のノストラダムスブーム以前にポピュラーな解説書だったために、これを孫引きするものが多かった。そのため特に後年輩出した英語圏の研究家たちが敢えて注意を促したのだろう。その影響が日本でずっと残ってしまったというのも驚くほかない。解釈者の本のみならず、海外の邦訳書、チータムやトゥシャールの本でも原書にない余計な注釈を追加する始末である。
第50期王位戦第四局は相矢倉になった ― 2009/08/04 23:03

http://event.nishinippon.co.jp/shogi/oui/50oui/
つい先日王位戦第三局が行われたと思ったら、すぐさま第四局が始まった。今回の西日本新聞社は深浦の地元ということもあってかネット中継に力を注いでいる。棋譜にもきちんとコメントがあるし、たくさんの画像や動画もアップされている。まさに至れり尽くせりの観戦環境が提供されている。そんな地元の力強い後押しを受けて深浦が踏み止まるか、木村が4タテで奪取するか、注目の第四局の1日目が終了した。昨日発売された将棋世界9月号には名人戦の総括記事が載っている。なにか随分昔のことのように思えるが、まだ1ヵ月ちょっとしか経っていない。ネットの速報性と比べると月刊誌のタイムラグはとてつもなく大きい。しかし月刊誌としての掘り下げ方によって別な付加価値をつけることもできる。
特集記事では「羽生善治、大いに語る」が二部構成になっている。羽生の発言はいろいろな本で扱われているので新味を出すのは難しい。ロング・インタビューの聞き手、浅川浩氏はいろんなネタを用意して切り込んでいった。が、羽生の発言を聞いていると将棋とは深奥の哲学であるかのような錯覚をしてしまう。やはりトップ棋士のなかでも特別な存在であるのは間違いない。王位戦を戦う深浦と木村はもちろん禅僧のような境地に到達してはいない。今が指し盛りと思えば兎にも角にも結果がほしいところだ。木村の▲7六歩に対して深浦は相手に戦型の選択を委ねる△8四歩、序盤は二人の波長が合って相矢倉の定跡形で飛ばしていく。森下システムから随分とレトロ調な将棋に見えたが、中盤は双方が穴熊を目指すという現代感覚の展開に切り替わっていった。
封じ手の局面は後手が穴熊に囲い、本来先手が攻めるはずの3筋に飛車をまわって反撃ののろしを上げたところ。先手は次に無条件に△3六歩と打たれると将棋が終わってしまうので何か受けなければならない。後手は△4二銀と引く形が鉄壁なので先手は大捌きを避けて押さえ込みたい。よって第一感は▲3五歩と位と取る手である。△3四歩と合わせてくる手にはどこかで▲4五桂がさく裂しそう。後手は黙っていると▲4五歩と自然に攻められてしまう。攻めの形の先手か、玉の深さの後手か、その辺りが勝敗を分けるポイントになると思う。
つい先日王位戦第三局が行われたと思ったら、すぐさま第四局が始まった。今回の西日本新聞社は深浦の地元ということもあってかネット中継に力を注いでいる。棋譜にもきちんとコメントがあるし、たくさんの画像や動画もアップされている。まさに至れり尽くせりの観戦環境が提供されている。そんな地元の力強い後押しを受けて深浦が踏み止まるか、木村が4タテで奪取するか、注目の第四局の1日目が終了した。昨日発売された将棋世界9月号には名人戦の総括記事が載っている。なにか随分昔のことのように思えるが、まだ1ヵ月ちょっとしか経っていない。ネットの速報性と比べると月刊誌のタイムラグはとてつもなく大きい。しかし月刊誌としての掘り下げ方によって別な付加価値をつけることもできる。
特集記事では「羽生善治、大いに語る」が二部構成になっている。羽生の発言はいろいろな本で扱われているので新味を出すのは難しい。ロング・インタビューの聞き手、浅川浩氏はいろんなネタを用意して切り込んでいった。が、羽生の発言を聞いていると将棋とは深奥の哲学であるかのような錯覚をしてしまう。やはりトップ棋士のなかでも特別な存在であるのは間違いない。王位戦を戦う深浦と木村はもちろん禅僧のような境地に到達してはいない。今が指し盛りと思えば兎にも角にも結果がほしいところだ。木村の▲7六歩に対して深浦は相手に戦型の選択を委ねる△8四歩、序盤は二人の波長が合って相矢倉の定跡形で飛ばしていく。森下システムから随分とレトロ調な将棋に見えたが、中盤は双方が穴熊を目指すという現代感覚の展開に切り替わっていった。
封じ手の局面は後手が穴熊に囲い、本来先手が攻めるはずの3筋に飛車をまわって反撃ののろしを上げたところ。先手は次に無条件に△3六歩と打たれると将棋が終わってしまうので何か受けなければならない。後手は△4二銀と引く形が鉄壁なので先手は大捌きを避けて押さえ込みたい。よって第一感は▲3五歩と位と取る手である。△3四歩と合わせてくる手にはどこかで▲4五桂がさく裂しそう。後手は黙っていると▲4五歩と自然に攻められてしまう。攻めの形の先手か、玉の深さの後手か、その辺りが勝敗を分けるポイントになると思う。
最近のコメント