アントワーヌ・ショリエのノストラダムス講演2009/11/07 22:57

手元に1940年に出版された"Les propheties de Maistre Michel Nostradamus"(ミシェル・ノストラダムス師の予言集)という本がある。題名だけ見ると予言集のテクストかと見間違えそうだが、実際には1939年11月19日にアントワーヌ・ショリエが行った講演をまとめた、わずか54頁の小冊子である。ショリエは1894年グルノーブルに生まれ、1914年の戦争を経てドーフィネの作家連(?)の会長という。この本は講演の内容をそのまま活字にしたものらしく、話し言葉でところどころに聴衆への呼びかけが入っている。どうしてノストラダムスの予言をテーマにした講演が行われたのだろうか。当時はドイツがポーランドに侵攻し、すでに第二次世界大戦が勃発している。講演の翌年にはドイツはヨーロッパ西部に軍を進めている。こうした暗い世相の中、なんとしても先の見えない未来を覗いてみたい、そうしたニーズに応えたのであろう。

構成を見ると、まず簡単な前置きがあり、第1部はノストラダムスの人物像、予言とはどういうものか、解釈手法についてのレクチャーとなっている。第2部は本題の予言詩の紹介で、まずは過去予言の確認から始まっている。そこにはアンリ二世の横死やアンリ四世の到来、ルイ十四世、ルイ十六世、フランス革命、ナポレオンといった有名な四行詩から国際連盟の失敗まで取り上げている。ただし予言集の章番号が明記されていないのは不便である。テーマは未来へと移るが、そこには黄渦論が見られる。「アンテクリストの出現、危険な教義を持って東洋よりやって来る。アジア人とアラブ人は西洋に反抗する。これが黄色人種の大侵攻となろう。教皇は暗殺されフランスは教会と同時に崩壊する。空には恐怖させる現象が現れる。二つの蝕が起こる年。海は波が高まり、死者たちが墓から出てくる。神が世界の審判のため到来する。」

第二次世界大戦の戦況の予測も行っている。なかなか何年にどうこうとは事件を特定できるものではないが、アンリ二世への書簡の73年7ヵ月の起点を1870年の第三共和政において1944年に3月に共和政が終わりを告げるとの見方を示している。これはフォンブリュヌ博士の解釈に近い。あるいは百詩篇2-9の9年間に目をつけ1931+9=1940年がおおよそドイツが戦争に参入する時期と一致しているなどとしている。しかし結論部にはこうある。過去予言については洞察力の目印が見出せたが、未来予言については複数の解釈があるため困難である。教会とキリストの加護の下、永遠のフランスの勝利が示されていると結んでいるが、不幸にもその直後にパリは占領されてしまうことになる。