澁澤龍彦の少年時代 ― 2009/08/29 23:39
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4087831078.html
澁澤幸子 澁澤龍彦の少年時代 集英社 1997年4月 を読み終えた。少し前に『澁澤龍彦の時空』という本を読んでみたが、一言でいうと「ノスタルジアとエクゾティシズムの交点にひらかれた未聞の世界を綿密に読み解いた決定版澁澤龍彦論」となる。澁澤作品をきめ細かく分析したちょっと硬めの重厚な評論で、面白いことは面白いのだがそんなにすらすら読み進める本ではない。澁澤作品のノスタルジアのルーツはどこにあるのだろうか。そんな疑問に答えてくれるのが、澁澤氏のすぐ下の妹である幸子の目を通して書き記した少年時代なのである。澁澤氏が好んだテーマはなんだかおどおどしく妖しげな印象が強い。そのため異端の文学者と呼ばれていたようだが、本書に見る龍雄少年は快活そのもの子供っぽい茶目っけに富んでいる。
戦中から戦後にかけての話は、それほど深刻に感じさせないほどサラリと描かれているが、やはり実際に東京大空襲を受けて家が焼失してしまった下りは胸を熱くさせる。十代の頃に終戦を迎えた世代はそれまでの教育もがらりと変わり、それこそ価値観が一夜にして正反対になるような劇的な変化に身を置いていた。龍雄少年もフランス文学を勉強する前には徴集を避けるために理系に進んでいた。戦争が終わりようやく自分の進むべき道を見つけたのだろう。それがエッセイ的な評論スタイルに落ち着いていった。それにしても光り輝いた黄金時代とまでいう、子供時代の記憶が随分と豊潤なのに驚く。幸子氏は兄のノスタルジックなエッセイを引用しながら、自分自身も共有した体験を今この場で見ているかのように活き活きと描いて見せる。
本書は澁澤氏が逝って10年後くらいに書かれたものだが、今でも子供の時のように兄龍彦を敬愛しているのが十分伝わってくる。普通自分の子供時代をただ振り返ってもそんなに多くは思い出せない。龍雄少年は自分が見たり聞いたり面白いと感じたものを妹に話して聞かせることで結果としてよりいっそう記憶が定着していったのではないか。誰しもある子供の時代、たとえ戦時中の生活であっても、それを素晴らしい黄金時代の幸せの光に溢れた宝物として残っているというのは羨ましい限りである。
澁澤幸子 澁澤龍彦の少年時代 集英社 1997年4月 を読み終えた。少し前に『澁澤龍彦の時空』という本を読んでみたが、一言でいうと「ノスタルジアとエクゾティシズムの交点にひらかれた未聞の世界を綿密に読み解いた決定版澁澤龍彦論」となる。澁澤作品をきめ細かく分析したちょっと硬めの重厚な評論で、面白いことは面白いのだがそんなにすらすら読み進める本ではない。澁澤作品のノスタルジアのルーツはどこにあるのだろうか。そんな疑問に答えてくれるのが、澁澤氏のすぐ下の妹である幸子の目を通して書き記した少年時代なのである。澁澤氏が好んだテーマはなんだかおどおどしく妖しげな印象が強い。そのため異端の文学者と呼ばれていたようだが、本書に見る龍雄少年は快活そのもの子供っぽい茶目っけに富んでいる。
戦中から戦後にかけての話は、それほど深刻に感じさせないほどサラリと描かれているが、やはり実際に東京大空襲を受けて家が焼失してしまった下りは胸を熱くさせる。十代の頃に終戦を迎えた世代はそれまでの教育もがらりと変わり、それこそ価値観が一夜にして正反対になるような劇的な変化に身を置いていた。龍雄少年もフランス文学を勉強する前には徴集を避けるために理系に進んでいた。戦争が終わりようやく自分の進むべき道を見つけたのだろう。それがエッセイ的な評論スタイルに落ち着いていった。それにしても光り輝いた黄金時代とまでいう、子供時代の記憶が随分と豊潤なのに驚く。幸子氏は兄のノスタルジックなエッセイを引用しながら、自分自身も共有した体験を今この場で見ているかのように活き活きと描いて見せる。
本書は澁澤氏が逝って10年後くらいに書かれたものだが、今でも子供の時のように兄龍彦を敬愛しているのが十分伝わってくる。普通自分の子供時代をただ振り返ってもそんなに多くは思い出せない。龍雄少年は自分が見たり聞いたり面白いと感じたものを妹に話して聞かせることで結果としてよりいっそう記憶が定着していったのではないか。誰しもある子供の時代、たとえ戦時中の生活であっても、それを素晴らしい黄金時代の幸せの光に溢れた宝物として残っているというのは羨ましい限りである。
最近のコメント