世の終りのための幻想曲2009/04/06 23:12

http://www.d2.dion.ne.jp/~octa/
アトリエOCTAから刊行された『幻想文学』第54号[季刊]を読んでみた。発行日を見ると1999年2月20日であり、「【特集】世の終りのための幻想曲」は第四次ノストラダムスブームに便乗して組まれたものであろう。当時は他のお固い雑誌でも終末をテーマにしたものがそぞろ現れていたので特段不思議でもない。SFと終末というのはテーマとしては「塩鮭とお茶漬けづらいには」相性がいいらしい。その他に終末幻想をモチーフにした神話やら文学やらSFを包括的に紹介しており、逆に人間が抱く終末のイマジネーションの限界も感じさせてくれる。特集の冒頭に小松左京氏のインタビュー記事「原風景としての終末幻想」が載っているが最近リメークされた『日本沈没』や『復活の日』、『首都消失』が書かれた背景を語っている。

1999年といえばノストラダムスの例の予言だが、あくまで雑誌のテーマは幻想文学なので表立った取扱いはされていない。牧野氏の作品「アンゴルモアと私」で、ノストラダムスの予言にかすかに触れているがメインテーマではない。氏は直接ノストラダムスの予言を読んだのではなく、いわゆる解釈本の訳を引いている。「アンゴルモアの大王を甦らさんと/その先も後も火星がとぎれなく統べん」とあるが、この訳はチャールズ・バーリッツの『1999年運命の日』23頁からで、アングルモアをアンゴルモアと読み直したもの。ぐずぐずと何かが変わっていくがよくわからない、ハッと気がつくと取り返しがつかないことになっているというのは世の終りに限ることではない。この作品ではラーメン屋で隣に座った男が「株式会社アンゴルモア」の店長とパロディ化している。

人類の終末に対するとらえ方も十人十色でさまざまな妄想がまかりとおている。幻想文学のモチーフに取り込まれた世の終わりはまた予言解釈とは違った味わいがある。ところで上のサイトを見ると、『幻想文学』が2003年7月、67号で終刊とのインフォメーションがあった。もう5年にも経っている。終刊の理由が単刀直入で「雑誌を継続していくだけに充分な部数が売れないから」。こういうマニアックな雑誌はコアな読者のみで部数を伸ばすのが大変だっただろう。バックナンバーも在庫しているようなので興味のある方は入手してみてはいかがか。資料的価値は十分と思う。