19世紀の百科事典に見るノストラダムス2009/04/02 23:05

4月に入ったというのに朝晩肌寒い日々が続いており、まだコートは手放せない。電車に乗ると新入社員らしき若者の集団を見かけるのもこの時期の風物詩である。けれども、もう少し気温が上がらないことには春を迎えたと実感できない。1875年に出版された"Grand dictionnaire universel du XIXe siecle"(19世紀の世界大百科事典、フランス語、歴史、地理、神話、書誌、文学、芸術、科学・・・)第11巻の復刻本(1982年、スラトキン)を閲覧してみた。ノストラダムスの項を見ると、だいたいパターンは決まっている。ミシェルの項では簡潔な伝記と有名な百詩篇1-35の四行詩が引用されている。大百科事典に載るくらいだから、当時この予言とアンリ二世の悲劇的な死との結び付きはすでに市民権を得ていたのだろう。

その後晩年の伝記、簡潔な著作の紹介、ベズとジョデルによるラテン語の風刺詩が来て、ギノー(1693)、ルルー(1710)、シャヴィニー(1596)、ブーイ(1806)、バレートまで研究書目が挙げられている。ここまではこれまでも読んだことがある。その次に「ノストラダムス」というベランジェのシャンソン(1833)が紹介されている。内容は王族に対して攻撃的なものでノストラダムスの四行詩からの注釈か心象であるという。「ノストラダムスはアンリ四世の誕生を予見、偉大な占星術師で詩句により予言する、人々が議論しうる日付こそ2000年、メダルから人々は敗北を見る、ああ、パリは歓喜のなかに・・・」正直ちゃんと訳せているかどうか不安もあるが、2000年 l'an deux mil とあるので1999年の詩をモチーフにしたのかもしれない。

他の関連項目としては、弟のジャン、息子のセザール、偽者のノストラダムス二世が載っている。ここもそうだが他の事典でもセザールの生年が1555-1629年となっている。これがずっと定説になっていたが最近の研究では1553-1630年が正しいとされる。没年は遺言書に1630年1月の日付があることからの推定である。