ノストラダムスのウォーラー手稿コレクション ― 2009/01/27 23:47
http://cura.free.fr/dico3/807cn100.html
パトリス・ギナールのコーパス・ノストラダムスの100番目の記事"Une lettre inédite de Nostradamus à Joachim de Cléron (25 février 1566) "「ヨアヒム・ド・クレロン宛のノストラダムスの未刊の手紙」が更新されている。ノストラダムス自身が署名した手紙は、ジャン・モレルへの手紙や未刊行書簡41番(フランソワ・ベラール宛)が知られている。あるいはロレンツォ・ストロッツィーのための通風の処方箋にも同様の署名が見られる。手紙の日付の1566年はノストラダムスが死去した年にあたる。デュペーブの未刊書簡集の手紙のなかで日付の最後は1565年12月であるから、その3ヵ月後に書かれたことになる。おそらくノストラダムスの口述を秘書のシャヴィニーが書き写したものだろう。
この未刊の手紙はウップサラ大学図書館内にあるエリック・ウォーラー文庫で見ることができる。それはインターネット上でも公開されている。(http://waller.ub.uu.se/object.xsql?DBID=40471)ウォーラー文庫にノストラダムス関連の手稿が5点ヒットする。その中のWaller Ms fr-06795には、カラーの手稿を鮮明な画像で見ることができる。手紙の末尾に記されたノストラダムス本人のサイン、これがカラーというのはちょっと感動ものである。こうしたオリジナル手稿が公開されるのは大変喜ばしい。手紙の内容は、受取人の病気の母親に関するコメント、受取人のホロスコープと未来からの一瞥、彼女の父親に対するフランソワーズ・プラコンタの訴訟に関して、手紙の受取人の妹であるベルナルド・ド・クレロンの将来について等。
有難いことに、ギナールはこの手紙をテクストに直してくれたので中身について読むことができる。手紙の受取人ヨアヒム・ド・クレロンは騎士であるギィ・ド・クレロン(サフレとベルモンの領主)の息子とある。まだチラ見なので、もう少し細かく見ていきたいと思う。
パトリス・ギナールのコーパス・ノストラダムスの100番目の記事"Une lettre inédite de Nostradamus à Joachim de Cléron (25 février 1566) "「ヨアヒム・ド・クレロン宛のノストラダムスの未刊の手紙」が更新されている。ノストラダムス自身が署名した手紙は、ジャン・モレルへの手紙や未刊行書簡41番(フランソワ・ベラール宛)が知られている。あるいはロレンツォ・ストロッツィーのための通風の処方箋にも同様の署名が見られる。手紙の日付の1566年はノストラダムスが死去した年にあたる。デュペーブの未刊書簡集の手紙のなかで日付の最後は1565年12月であるから、その3ヵ月後に書かれたことになる。おそらくノストラダムスの口述を秘書のシャヴィニーが書き写したものだろう。
この未刊の手紙はウップサラ大学図書館内にあるエリック・ウォーラー文庫で見ることができる。それはインターネット上でも公開されている。(http://waller.ub.uu.se/object.xsql?DBID=40471)ウォーラー文庫にノストラダムス関連の手稿が5点ヒットする。その中のWaller Ms fr-06795には、カラーの手稿を鮮明な画像で見ることができる。手紙の末尾に記されたノストラダムス本人のサイン、これがカラーというのはちょっと感動ものである。こうしたオリジナル手稿が公開されるのは大変喜ばしい。手紙の内容は、受取人の病気の母親に関するコメント、受取人のホロスコープと未来からの一瞥、彼女の父親に対するフランソワーズ・プラコンタの訴訟に関して、手紙の受取人の妹であるベルナルド・ド・クレロンの将来について等。
有難いことに、ギナールはこの手紙をテクストに直してくれたので中身について読むことができる。手紙の受取人ヨアヒム・ド・クレロンは騎士であるギィ・ド・クレロン(サフレとベルモンの領主)の息子とある。まだチラ見なので、もう少し細かく見ていきたいと思う。
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