アンリ二世への書簡と黙示録解釈2008/06/01 23:41

ノストラダムス雑記帳のブログの雑感で、黙示録との類似性についての見解が記されている。従来から指摘されているように、書簡における終末のイメージはヨハネ黙示録のクライマックスに重ね合わせることができる。これについては異論の余地はない。しかしノストラダムスが黙示録の部分をそのまま引用したかといえば必ずしもそうではない。以前にも触れたことがあるが、書簡は年代記的な部分をピックアップすると、三つの部分―創世からの一連の年代記、創世からの別の年代記、アンテクリスト到来に関する年代記―に分けられる。そのいずれにもサタンに関する記述が見られる。

ノストラダムスが直接参照したかどうかは別にして、黙示録の解釈のソースはアウグスティヌスの『神の国』第二十巻にあると思われる。全訳の68節には「地獄の牢からサタンを解放したのではないかと思われることでしょう」(第十一章)、113d節「そしてサタンはもう一度縛られ、人々の間には世界的な平和がもたらされるでしょう。」(第九章)123節「(サタンは)およそ千年の間縛られたままで・・・解き放たれるでしょう」(第八章)『神の国』では黙示録20章の部分を何度も取り上げていろいろな観点から解説を行っている。書簡の手法もこれと似たような感じを受ける。

なおsumaruさんが疑問視している、サタンが「もう一度」縛られるというのは『神の国』第二十巻第十五章(黙示録20の13,14)に対応している。ここでの世界的な平和とは終末ののちの新しいエルサレムの栄光(第十七章)をモチーフとしたものでいわゆる至福千年ではない。ノストラダムス自身の解釈が含まれているとはいえ、書簡のこの部分の記述には特に矛盾がないと考えるがいかがだろう。

コメント

_ sumaru ― 2008/06/03 23:39

あんな雑感にコメントしていただけると思っていなかったので、ビックリです。
『神の国』は10年くらい前に岩波文庫版をまとめて買った筈なんですが、今回の対訳を仕上げるときには見つからなくて、今も見つかっていません(苦笑)

内容については見つかり次第検討させていただきますが、ひとまずはコメントしていただいたことのお礼まで。

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