『昭和・平成オカルト研究読本』2019/07/04 22:38

すでにノストラダムスの大事典で紹介されていたが7月2日に『昭和・平成オカルト研究読本』が発売された。仕事帰りに会社近くの小さな町の本屋に立ち寄ってみると、棚に一冊だけ置かれているのを見つけたので早速購入した。帰りの電車でペラペラと本のページ捲ると片手で持つには結構分厚い。目次を開いてみるとこの分野を代表する執筆者が揃っており内容はオカルト全般を網羅し充実している。筆者はちょうど子供のときにオカルトブームの洗礼を受けた世代なので自分自身のオカルトとの関りを丸ごと振り返ることができる。資料的な価値も高く、永久保存版といえるだろう。

オカルトといってもその分野は多岐にわたる。一人ですべての範囲をカバーするのは到底無理なので各分野の専門家といえる方々が分担して徹底した調査をもとに執筆というのは理に適っている。取り急ぎsumaruさんの「日本のノストラダムスブームを振り返る」(115-131頁)を読んでみた。古い雑誌記事からごく最近の情報にいたるまで膨大な資料を読み込み日本のノストラダムスブームを手際よく、しかも核心をついた形で分析している。各ブームの時代背景、特質、内容についてもほぼ同意できるし、読み物としても面白い。そのお手並みはさすがとしかいいようがない。

sumaruさんの日本のノストラダムスのWikiの情報の質と量は海外の研究者からも驚嘆の声が上がっているほどである。本書のようにノストラダムスブームをノストラダムス本の刊行点数や読書調査という新たな切り口で分析しているのは妥当なところであるが、浸透度を考慮するファクタとして単行本よりも雑誌、雑誌よりも映画、映画よりもテレビ番組が一般に対する影響度が高いのではないかと想定される。さらには関連するイベントやグッズなどいろいろな要素を重み付けをして点数化することでブームの重みを再評価するというアイデアもこれまで自分の頭の中にはあった。

しかしながら過去のノストラダムスブームを語る分にはそう大差はないだろう。参考文献のところに「日本のノストラダムス現象」を挙げていただいたのは光栄であるが、今回久し振りに読み返してみると内容が古いしその後の情報をまったくアップデイトせずにそのままになっていたのでお恥ずかしい限りである。本文とは別にちょっと気になった箇所もある。表1のノストラダムス関連書のベストセラーリストのなかに『宇宙人 謎の遺産』がピックアップされているのはなぜだろうか。日本の関連書刊行年順の1975年の項にもないしSPA!や日経エンターテイメントにも取り上げられていない。

おそらく出版年鑑の編者が誤って含めたものを転記したのであろうがグラフ「ノストラダムス本の刊行点数」にも含まれていないのだからあえてオミットしてもよかったのではないか。その他にsumaruさんの記事では黒沼健や五島勉の人物伝についても多くの資料に基づいて的確にまとめている。ただ少々気になったのは黒沼氏がノストラダムスを日本で最初に紹介した人という話のなかで「そこには、1947年に日ソ関係が悪化し戦争になり、ソ連がうちのめされるという完全に外れた解釈が載っており、確かにそれ以前に書かれたことを思わせる。」(391頁)とある。

実際にこの部分は1938年に出版されたエミール・リュイアの"le grand carnage d'apres les propheties de ”Nostradamus” de 1938 a 1947"(ノストラダムスの予言による大虐殺)の出版社によるリュイアの解釈をまとめた序文(同書11頁)からの転用である。黒沼氏はこの日付を後から振り返って皮肉交じりに書いていたのであり、それ以前に書かれたことを思わせるというのは誤読と思われる。黒沼氏はこの部分をこう結んでいる。「だが、この戦争でとことんまで撃ちのめされるのはソ連であると、ノストラデムスは嬉しいことをいっているのである」皆さんはこれをどう感じ取られるだろうか。

黒沼氏は「七十世紀の大予言」の別な箇所で「これが1930年頃―いまから25年ほど前の政界情勢に対するノストラダムスの予言の一部である。」とも書いている。素直に読むと、原稿を書いている「今」は1955年頃になってしまう。初出の『探偵実話』は昭和27年3月15日発行とあるため単純に3年ほどずれてしまうが誤差の範囲といえるかもしれない。いずれにしても1947年以前に黒沼氏がこの原稿を書いたとはいえない。そのためその後の論調は少々ピントがずれている感じがする。他の項目についてはこれからノスタルジーにひたりながらゆっくり読んでみたい。

日本で最初にノストラダムスを紹介したのは?2019/07/06 21:44



『昭和・平成オカルト読本』のノストラダムス関連についてとりとめのない雑感を書いたところ、私の疑問点についてsumaruさんがノストラダムスの大事典 編集雑記で裏話も含めて丁寧にコメントしてくれた。五島勉著『宇宙人 謎の遺産』はテーマが古代宇宙飛行士飛来説をベースにしたものでノストラダムスに関しては「十字架→神」への批判者、ノストラダムス (212-215頁)の実質3頁ほどしか触れられていない。内容は詩百篇3-77について高木彬光氏に対するコメントに過ぎない。手元にあるこの本の後ろ扉に昭和50年の「12月21日クリスマスのプレゼント」のメモが見つかった。

当時はエーリッヒ・フォン・デニケンの「神々の戦車」(UFOと宇宙 コズモの連載記事)に触発されて何度も読み返した記憶がある。それなのにノストラダムスサロン文献書誌から抜けていたのは今更ながら不覚であった。sumaruさんの作成した表1 のタイトルはノストラダムス関連書のベストセラーリスト(『出版年鑑』)とあるので出版年鑑の編者が誤って含めたものを転記したのではと推測したのだが「あくまでも私自身の調査と判断に基づくものです。」というのには正直ビックリした。また「含めた判断自体は間違っていなかったと今でも思っています。」ともおっしゃっている。

そうであればなぜ日本の関連書刊行年順に含めていないのか、明らかに整合が取れていない。この場合、ノストラダムス関連書の定義はいろいろあってもいいし、そこに異議を唱えるつもりはないが、著者のなかで統一されていないこと自体、読者を混乱させるのではないだろうか。実際、同じ記事の中でノストラダムス関連書の定義が異なることになってしまう。(『昭和・平成オカルト読本』117頁と125頁)そのため「そのあたりの採録基準の違いについて、もう少し詳しい注記」というよりは、商業出版では読者がシンプルに理解しやすい形が望ましいというのが個人的な感想である。

さて黒沼氏が「ノストラダムスの日本人最初の紹介者」という話についてだが、そもそも黒沼氏の人物伝のなかで相当な分量を割いて取り上げるほどのものかという気がする。確かにsumaruさんが書かれたように本格な評伝という意味では渡辺一夫氏が最初というのに異論があるはずもないし、 黒沼健氏のノストラダムス物語にもそう書いている。今思うと、ここでポイントとなるのは「日本で最初にノストラダムスを紹介した」の定義とは何ぞやという気がする。紹介したというのを、どこに(刊行本や雑誌、新聞等)どの程度の分量で書かれたかを見るのがひとつの目安となろう。

例えば簡単な評伝であれば注釈の形だが、1928年に青木昌吉氏が紹介している。(ノストラダムスの光 参照)黒沼氏が歴史読本臨時増刊号 特集占い予言の知恵 1975年12月号 所載の「世紀の大予言者」で書いた情報は以下の二つで、それが『奇人怪人物語』(1987)の志水一夫・編「黒沼健略年譜」に盛り込まれている。他に手掛かりはない。

私がノストラダムスの『紀元七千年にいたる大予言』を読んだのは、1935年、第二次世界大戦が風雲急を告げて、欧米からの最後の郵便物が届いたときである。
 
私にとってノストラダムスに執着のあるのは、戦後最初に書いた原稿ということにもある。

黒沼氏が、戦後すなわち1946年頃にノストラダムスに関する原稿を書いて新聞か何かのコラムにでも発表していた可能性は考えられる。ノストラダムスの資料(少なくともピエール・ピオッブの解説書)が黒沼氏の手元にあったことは間違いない。もちろん当時はGHQの占領下にあったが娯楽としてちょこっとノストラダムスを紹介したところで特に問題があったとは思えない。現に渡辺一夫氏の原稿もGHQの検閲を通っている。(「ある占星師の話」の初出の話参照)ただあまりに古い話なのでそれを裏付けることがいまだにできていないのである。

志水氏にしても「七十世紀の大予言」がその原稿といっているわけではない。黒沼氏本人が「戦後最初に書いた原稿」と書いているのであれば鬼の首でも取ったようにそれ自体を否定しなくともいいのではないだろうか。

反面、1930年から25年後、という件はもちろん知っていましたが、あまり重視はしていませんでした。
書いた時期と発表した時期に開きがあるときに、情報をアップデートすることは珍しくないですが、全体の論旨が崩れる部分では古いままになっていたりすることはあるので、これはそういった例と考えていました。

このコメントはよくわからない。原稿を書いた時期と発表した時期がずれていることはあるかもしれないが、それでなぜ1947年以前うんぬんになるのか。この部分についても雑誌版(1952年)と単行本版(1957年)で特に変更はされていないのだ。仮に戦後の1946年頃書いたとすればここは16年後ということになり年数のずれがさらに大きくなる。そのためわざわざプレスコードを持ち出してまで1947年の日ソ戦争の見通したという誤読をことさら強調する必要もない。きっと黒沼氏も天国で「俺のことを語るのに自分に関係ないことを書いてくれるなよ」とニヤリとしているだろう。

雑誌『ムー』のノストラダムスの総力特集2019/07/12 00:01

雑誌『ムー』2019年8月号、No.465の総力特集にノストラダムスが登場している。タイトルは「甦る大予言者ノストラダムスの真実」である。『ムー』は昔から購読していたが1999年以降は気になる記事が載っているとき以外に手にすることもなくなっていた。『ムー』は過去に何度となく総力特集にノストラダムスを取り上げてきた。オカルトネタはそれほどバリエーションがあるわけではないので周期的に同じネタを使いまわすことでその命脈を保ってきたといえる。しかしまさか1999年の第四次ブームからすでに20年も経た今になってノストラダムスを取り上げるとは意表を突かれた。

平成から令和へ時代が移るタイミングで平成を振り返るといったテレビ番組にノストラダムスを扱ったものも多々見られた。今回の登場はその余韻さめやらぬうちにもう一度総力特集に据えようという英断の企画だったのかもしれない。文=松田アフラ、さらにあの五島勉氏が特別寄稿しているのも驚きだ。『ノストラダムスの大予言』電子版で加筆した部分を転用したところもなく、その中身は1999年の詩は的中していたという従来の主張の焼き直しで新味があるわけではない。松田氏はタロット占いや高等魔術の本の訳書を出しているがノストラダムス関係の著作はなかったと思う。

なにか新たな視点を示したところがないかと期待しながら読み進めてみると、今更ながら海外のガチガチのビリーバーであるディヴィッド・オーヴァソンとヴライク・イオネスクの解釈を援用したもので自称ノストラダムスファンとしてみればちょっと物足りない。イオネスクの原書ルーマニア語版?の写真がちょっと目を引いた。イオネスクの本『ノストラダムス・メッセージⅡ』(角川書店、1993)もオーヴァソンの本『ノストラダムス大全』(飛鳥新社、1999)すでに日本でも紹介されていたものだ。しかしよっぽどのマニアでない限りこの二人の名前が記憶に残っている人は皆無であろう。

日本でノストラダムスといえば五島勉なのだから、1999年の予言に対する海外の研究家の説の紹介は一般読者からすれば新鮮に映るかもしれない。そしてブランダムールの学術的研究の成果もさりげなく取り込んでいる。最近の解釈本である『秘伝ノストラダムス・コード 逆転の世界史』(海竜社、2011)のトピックも取り入れており、一般的には外れ予言と見られる逆風があるなかで、なんとか力技で乗り切って全体的にはムーらしいまとまった記事に仕上がっている。ただ、今この記事を読んで面白いと思う読者がどれほどいるのだろうか、他人事ながら少々心配になる。

本号の「ムー」クロニクル第7回には今回の総力特集の編集後記らしきものが載っている。それを読むと、ノストラダムスの名が本誌に最初に登場したのは1981年5月号(第10号)の五島氏の「ノストラダムスの謎を解くKEY」としている。確かに記事のタイトルにノストラダムスが登場したのはこれが最初といえるかもしれないが、実際には1980年3月号(創刊第3号)の総力特集「衝撃の大予言」のなかでノストラダムスはケーシーやディクソン夫人とともに登場している。おそらくこれが最初ではないかと思われる。その後1982年11月号には「ノストラダムス復刻肖像画」が特別付録についた。

1983年4月号には総力特集「大予言者ノストラダムスの秘密」(文=金森誠也)が掲載された。今となっては内容も古くなっているが初期の頃の紹介としてはわりとまともな評伝で、何より現地取材による様々なカラー写真を掲載したのが特筆される。第三次ブームの1989年以降は頻繁に総力特集や企画記事でノストラダムスが取り上げられることになる。そして最後の総力特集は、注目の1999年7月に出された1999年8月号「ノストラダムス最終大予言1999」であった。ここですっかり幕が引かれたと思っていたが、今回久し振りにノストラダムスが甦ったというのは少なからず喜ばしいことではある。

S-Fマガジン 特集:世界は破滅する2019/07/15 23:33




少し前になるが本屋に立ち寄って何気なく棚を見ると『S-Fマガジン6月号』が目に留まった。表紙には追悼・横田順彌とある。そこでSF作家の横田氏が亡くなったのを知った。ニュースによると今年の1月4日に逝去されたという。筆者はSF小説に特に詳しいわけではないが横田氏といえば古典SF研究のパイオニアとして知られ、『日本SFこてん古典』が代表作とされる。志水一夫著『トンデモノストラダムス解剖学』125頁には、横田氏が日本でノストラダムスが紹介されたのがカミーユ・フラマリオンの『此世は如何にして終わるか』(高瀬毅訳、改造社、1923)ではないかと述べていたとある。

何年か前に近所のショッピングセンター前で古本市が開かれていたとき『S-Fマガジン 1974年10月臨時増刊号』(特集:世界は破滅する!)を見つけたので購入しておいた。印刷された1974年9月当時は五島勉著『ノストラダムスの大予言』が大ヒットしている時期である。もともとSFにおいては破滅というテーマは親和性が強いので満を持して臨時増刊号という形で世に出したと思われる。まるまる1冊が特集なのでかなり重厚な構成となっている。表紙(画像参照)を見てわかるようにPart1~4までの4部構成に特別大図解が加わって当時のブームを垣間見ることができる。

『ノストラダムスの大予言』の「迫りくる1999年第7の月、人類滅亡の日」という刺激的なキャッチフレーズがクローズアップされたことで、世界の終わりとか人類の破滅がもしも訪れるとすればどんなことが起きるのかSF小説の観点やレポートにより描き出される。横田氏は「特別版日本SFこてん古典 破滅がいっぱい」(152-165頁)というレポートを寄稿している。冒頭では五島氏の『大予言』の1999年の7の月に空から恐怖の大王が降ってくるだろうという話をハチャハチャに扱っている。そこから破滅をテーマとする古典SFを論じていくのだが古典の作品数が少ないのには理由があるという。

明治時代初期は、西欧の科学技術文化の導入に国家も国民も夢中で、とうてい”破滅”を考えるのは不可能だった(中略)新時代に明るい未来を夢見る一般大衆に破滅など思いつくはずもなかった。仮りに、やがて破滅がやてくるであろうことを示しても、その破滅・終末思想を受け入れる余地など当時の国民の頭にはなかったのだ。

そうして破滅をテーマとする古典SFを次々と紹介していく。162頁には大正12年に翻訳されたフラマリオンの『此の世は如何にして終るか』の紹介でノストラダムスについて触れている。

物語中に引用されている、人類の歴史開始から現代までの各時代の終末観、終末予言はたいへんに興味深く、その中には例のノストラダムスの大予言の解説もされている。確証はないがノストラダムス紹介の最初のものかも知れない。

確証はないがと留保をつけているので今更ここに異議を唱えるつもりはないのだが、ノストラダムス(表記はノストラダマス)の名前だけなら1904年(明治37年)に発行された『ファウスト』(東京文栄閣蔵版)50頁に見ることができる。また1913年(大正2年)の森林太郎訳『ファウスト第一部』43頁にも見られる。簡単な人物紹介であれば先に書いたように1928年(昭和3年)の『ファウスト註釈』15頁がある。ただいずれも『ファウスト』絡みなのでそれ以外での言及ということであれば横田氏のいうフラマリオンの邦訳が最初といえるかもしれない。本論では6篇の古典SFを紹介しているが最後にノストラダムスに立ち返ってこうユーモラスに閉めている。

ノストラダムスさんに、予言取り消しをおねがいする手紙を書こう。恐怖の大王の天下りを阻止するキャンペーンを張ろう。キミだって、まだ死にたくはないだろう!!

謹んでご冥福をお祈りします。