日本で最初にノストラダムスを紹介したのは?2019/07/06 21:44



『昭和・平成オカルト読本』のノストラダムス関連についてとりとめのない雑感を書いたところ、私の疑問点についてsumaruさんがノストラダムスの大事典 編集雑記で裏話も含めて丁寧にコメントしてくれた。五島勉著『宇宙人 謎の遺産』はテーマが古代宇宙飛行士飛来説をベースにしたものでノストラダムスに関しては「十字架→神」への批判者、ノストラダムス (212-215頁)の実質3頁ほどしか触れられていない。内容は詩百篇3-77について高木彬光氏に対するコメントに過ぎない。手元にあるこの本の後ろ扉に昭和50年の「12月21日クリスマスのプレゼント」のメモが見つかった。

当時はエーリッヒ・フォン・デニケンの「神々の戦車」(UFOと宇宙 コズモの連載記事)に触発されて何度も読み返した記憶がある。それなのにノストラダムスサロン文献書誌から抜けていたのは今更ながら不覚であった。sumaruさんの作成した表1 のタイトルはノストラダムス関連書のベストセラーリスト(『出版年鑑』)とあるので出版年鑑の編者が誤って含めたものを転記したのではと推測したのだが「あくまでも私自身の調査と判断に基づくものです。」というのには正直ビックリした。また「含めた判断自体は間違っていなかったと今でも思っています。」ともおっしゃっている。

そうであればなぜ日本の関連書刊行年順に含めていないのか、明らかに整合が取れていない。この場合、ノストラダムス関連書の定義はいろいろあってもいいし、そこに異議を唱えるつもりはないが、著者のなかで統一されていないこと自体、読者を混乱させるのではないだろうか。実際、同じ記事の中でノストラダムス関連書の定義が異なることになってしまう。(『昭和・平成オカルト読本』117頁と125頁)そのため「そのあたりの採録基準の違いについて、もう少し詳しい注記」というよりは、商業出版では読者がシンプルに理解しやすい形が望ましいというのが個人的な感想である。

さて黒沼氏が「ノストラダムスの日本人最初の紹介者」という話についてだが、そもそも黒沼氏の人物伝のなかで相当な分量を割いて取り上げるほどのものかという気がする。確かにsumaruさんが書かれたように本格な評伝という意味では渡辺一夫氏が最初というのに異論があるはずもないし、 黒沼健氏のノストラダムス物語にもそう書いている。今思うと、ここでポイントとなるのは「日本で最初にノストラダムスを紹介した」の定義とは何ぞやという気がする。紹介したというのを、どこに(刊行本や雑誌、新聞等)どの程度の分量で書かれたかを見るのがひとつの目安となろう。

例えば簡単な評伝であれば注釈の形だが、1928年に青木昌吉氏が紹介している。(ノストラダムスの光 参照)黒沼氏が歴史読本臨時増刊号 特集占い予言の知恵 1975年12月号 所載の「世紀の大予言者」で書いた情報は以下の二つで、それが『奇人怪人物語』(1987)の志水一夫・編「黒沼健略年譜」に盛り込まれている。他に手掛かりはない。

私がノストラダムスの『紀元七千年にいたる大予言』を読んだのは、1935年、第二次世界大戦が風雲急を告げて、欧米からの最後の郵便物が届いたときである。
 
私にとってノストラダムスに執着のあるのは、戦後最初に書いた原稿ということにもある。

黒沼氏が、戦後すなわち1946年頃にノストラダムスに関する原稿を書いて新聞か何かのコラムにでも発表していた可能性は考えられる。ノストラダムスの資料(少なくともピエール・ピオッブの解説書)が黒沼氏の手元にあったことは間違いない。もちろん当時はGHQの占領下にあったが娯楽としてちょこっとノストラダムスを紹介したところで特に問題があったとは思えない。現に渡辺一夫氏の原稿もGHQの検閲を通っている。(「ある占星師の話」の初出の話参照)ただあまりに古い話なのでそれを裏付けることがいまだにできていないのである。

志水氏にしても「七十世紀の大予言」がその原稿といっているわけではない。黒沼氏本人が「戦後最初に書いた原稿」と書いているのであれば鬼の首でも取ったようにそれ自体を否定しなくともいいのではないだろうか。

反面、1930年から25年後、という件はもちろん知っていましたが、あまり重視はしていませんでした。
書いた時期と発表した時期に開きがあるときに、情報をアップデートすることは珍しくないですが、全体の論旨が崩れる部分では古いままになっていたりすることはあるので、これはそういった例と考えていました。

このコメントはよくわからない。原稿を書いた時期と発表した時期がずれていることはあるかもしれないが、それでなぜ1947年以前うんぬんになるのか。この部分についても雑誌版(1952年)と単行本版(1957年)で特に変更はされていないのだ。仮に戦後の1946年頃書いたとすればここは16年後ということになり年数のずれがさらに大きくなる。そのためわざわざプレスコードを持ち出してまで1947年の日ソ戦争の見通したという誤読をことさら強調する必要もない。きっと黒沼氏も天国で「俺のことを語るのに自分に関係ないことを書いてくれるなよ」とニヤリとしているだろう。