ジャン・シャルル・ピションのノストラダムス本 ― 2009/02/06 01:02

海外のノストラダムス本のなかには何度も再版されているものがある。英語圏では以前に紹介したウォードやマッキャン、ロッブ、レオニ、ロバーツ、チータムらが挙げられる。本国フランスのフォンブリュヌ親子、ドイツではツェントゥーリオ博士らの名前も思い浮かぶ。これら有名どころの研究家はこれまでに日本の関連書で言及されたことがある。今回のジャン・シャルル・ピションJean-Charles Pichonの本は、2001年箱入りの二巻本で刊行された。薄いほうが「ノストラダムス、伝記編」や厚いほうが「ノストラダムス、作品編」となっている。ピションは1920年生まれ、詩人、歴史家、数学者、哲学者と紹介があり、多くの精神世界系の著作がある。1959年と1970年にノストラダムス本を書いており、新装版の二巻本は実質的にこれらの再版である。
1959年『ノストラダムスと時代の秘密』は、ノストラダムスの伝記が占めている。本文は2001年版と同一だが付録が異なる。1959年版は「1566年版に従ったサンチュリの批判的研究」で過去の注釈者たちを引き合いに出しながら予言解釈に充てている。さらに「1930-1940」、「1940-1950」、「1950-19…?」と近過去、現在、近未来に分けて四行詩の原文を掲げている。注釈等はほとんどついていないので読者に解釈を委ねた形だ。2001年版は付録がアンリ二世への書簡の年代暗号の解説である。書簡の年代記の数字から、人類は変革のときである分点歳差周期の2160年に近づき、予言集における「永劫回帰」の法則は過去の映像があたかも未来のものであるかのように説いている。(ミシャル・C・トゥシャール『時の旅人ノストラダムス』174頁)
1970年の『解明されたノストラダムス』は、予言解釈本である。こちらも本文は2001年版と同じだが、1970年版には2001年にない序文11-39頁があり、さらに付録に前述のアンリ二世への書簡(解説)が載っている。2001年版の作品編では、2000年5月付の「後記 予言の未来」が追加された。当時ピションは80歳、1999年と911の米同時多発テロのちょうど合間に書いたことになる。とはいえ最新の研究が盛り込まれているわけではなく、持論である時間循環サイクルについて述べている。ノストラダムスの示した時の転換期を2240年(ヨアキムの年代記で1000年?)とし、最後にお得意の年代表が載っている。ピションは予言集に出てくる年代に1238年を足して西暦に直している。
この論法で、1999年は西暦3237年に換算されている。ところが1959年の本では1557年を足していたのだが・・・ピションは年代記を考える上で予言集に出てくる年代に足し算するのがお好きなようである。イオネスクのピションへの評「ノストラダムス四行詩を単なる偽文学的漫談の隠れ蓑と見なしているのだから救いようがない」は手厳しい。正直どこを読むと漫談が出てくるのかわからないが。忘れ去られた研究家ピションの本がなぜ21世紀に再登板したか、不可思議としかいいようがない。
1959年『ノストラダムスと時代の秘密』は、ノストラダムスの伝記が占めている。本文は2001年版と同一だが付録が異なる。1959年版は「1566年版に従ったサンチュリの批判的研究」で過去の注釈者たちを引き合いに出しながら予言解釈に充てている。さらに「1930-1940」、「1940-1950」、「1950-19…?」と近過去、現在、近未来に分けて四行詩の原文を掲げている。注釈等はほとんどついていないので読者に解釈を委ねた形だ。2001年版は付録がアンリ二世への書簡の年代暗号の解説である。書簡の年代記の数字から、人類は変革のときである分点歳差周期の2160年に近づき、予言集における「永劫回帰」の法則は過去の映像があたかも未来のものであるかのように説いている。(ミシャル・C・トゥシャール『時の旅人ノストラダムス』174頁)
1970年の『解明されたノストラダムス』は、予言解釈本である。こちらも本文は2001年版と同じだが、1970年版には2001年にない序文11-39頁があり、さらに付録に前述のアンリ二世への書簡(解説)が載っている。2001年版の作品編では、2000年5月付の「後記 予言の未来」が追加された。当時ピションは80歳、1999年と911の米同時多発テロのちょうど合間に書いたことになる。とはいえ最新の研究が盛り込まれているわけではなく、持論である時間循環サイクルについて述べている。ノストラダムスの示した時の転換期を2240年(ヨアキムの年代記で1000年?)とし、最後にお得意の年代表が載っている。ピションは予言集に出てくる年代に1238年を足して西暦に直している。
この論法で、1999年は西暦3237年に換算されている。ところが1959年の本では1557年を足していたのだが・・・ピションは年代記を考える上で予言集に出てくる年代に足し算するのがお好きなようである。イオネスクのピションへの評「ノストラダムス四行詩を単なる偽文学的漫談の隠れ蓑と見なしているのだから救いようがない」は手厳しい。正直どこを読むと漫談が出てくるのかわからないが。忘れ去られた研究家ピションの本がなぜ21世紀に再登板したか、不可思議としかいいようがない。
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