郷田九段が名人戦挑戦者に2007/02/02 23:41

http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/shougi/news/20070202k0000e040022000c.html
昨日A級順位戦8回戦が行われ郷田九段の初の名人挑戦が決まった。その日に父親が死去したというのはなんとも因果なものだ。名人戦はその弔い合戦といえるかもしれない。何かが乗り移ったかのように勢いな名人奪取ということでもなればマスコミでも大いに話題になるだろう。A級順位戦はまだ最終局が残っている。相手は降級の可能性のある元名人の丸山九段。ここを突破できるかどうかは、名人戦に与える影響も大きいと見る。

最近はネット中継をする棋戦がほとんどだが、毎日の順位戦だけがいまだに有料となっている。そのため会員登録しなければ順位戦や名人戦はネット上で棋譜を閲覧することはできない。自分も登録していないので棋譜をネットで見れないが毎日新聞を購読しているので観戦記は読める。このネット時代に有料というのはどうも引っかかる。金額はそんなに高いと思わないがニフティの会員登録とクレジットカードでの支払いに抵抗感がある人も多いだろう。今後は朝日と毎日の共催となるため今のシステムは変わっていくのではないか。

この辺りの運用に関して今のところ何もインフォメーションはないが、是非将棋ファンが順位戦や名人戦に容易にアクセスできるしくみも合わせて考えてもらいたい。

1627年ジャン・ユグタン版ノストラダムス予言集2007/02/03 17:24

http://biblionostra.ath.cx/1600.html
Bibliotheque Nostradamus(ノストラダムス・ライブラリー) の#0211aにユグタン版予言集のオリジナル版カラー画像がアップされた。早速ダウンロードして内容を確認したところ、まずリュゾ・ライブラリの蔵書マークは見られなかった。いったいどこから仕込んだのだろうか?含まれているテクストはセザールへの序文、アンリ二世への書簡、百詩篇第一巻から第十巻、六巻100番にラテン語詩が置かれているはブノワ・リゴー版と同じ。

ところが七巻には44篇含まれており、43番と44番(ユニコーンとブルボンの詩)はこの版本が初出とされる。十巻の最後には101番の四行詩が見られるが「1568年以降追加された・・・」の但し書きはない。その次に百詩篇十一巻の表紙に続いてヴァンサン・セヴの書簡、58篇の六行詩が続く。そして最後に百詩篇十一巻と十二巻の補遺が載っている。予兆集の四行詩は見られない。

注目すべきはセヴの書簡の日付である。シュヴィヨ版では1605年3月19日だったのがユグタン版では1606年3月19日になっている。単なる誤植なのか、その理由はわかっていない。この版本はマテリアルを考える上で非常に重要である。1605年版予言集に見られる予兆集がこの時点でもまだ補遺として確立していないのだ。一方百詩篇の十一巻と十二巻はシャヴィニィの作品から取られたのに何故か六巻100番は組み入れられなかった。

七巻に新たな2編の四行詩が出現したが1630年のリュオー版には載っていない。この版本を参照しなかったからであろう。ちなみにリュオー版には六巻100番や七巻、八巻の補遺が含まれ、十巻101番は番外、百詩篇十一巻、十二巻の補遺、そして予兆集を含んでいる。ただし、何故かリュオー版のセヴの書簡は本の一番最後に置かれており、書簡のタイトルや冒頭の日付などが省略されている。

こうした予言集のテクストのマテリアルの構成、すなわち増補の流れを見ていくとやはり1627年版→1630年版→1605年版(おそらく実際は1649年)と考えるのが自然ではないか。

映画「マリー・アントワネット」を観て2007/02/05 22:52

http://www.ma-movie.jp/
昨日は久しぶりに映画を見た。フランス革命時の悲劇の王妃の物語である「マリー・アントワネット」である。ヴェルサイユ宮殿の装飾品や豪華な調度品など、あたかも自分が18世紀にタイムスリップしたかのように錯覚するほど素晴らしい映像であった。ストーリーは14歳で未来のフランス国王ルイ十六世へ嫁ぐところから始まる。映画のなかでナレーションがなく情景のバックグランドを追いづらい難点があると感じた。宮廷内での大きな家族の肖像の架け替えなどは見ているとき意味がわからなかった。

最近は邦画と洋画の興行収入が久しぶりに逆転したという。洋画の問題点としてアクションや豪華なセットに金をかける割りにストーリー性に乏しいことが挙げられる。この映画もアントワネットの人生をどこまで描くのか興味深く観ていたが、エンディングでは宮殿から馬車に乗り込んで脱出するところで終わる。この後は例のヴァンレンヌでの逮捕になるのだろう。ノストラダムス予言集、百詩篇第九巻20番の四行詩にはヴァレンヌの地名が出てくる。同時代の注釈者はこの詩にヴァレンヌ事件の顛末を読み取ったことがあった。

果たしてこの映画の第二段はあるのだろうか。逃亡の失敗、幽閉生活から夫の処刑、そして最後の断頭台のシーンが一番のクライマックスかと思う。是非次回作を期待したい。

ロレンツォ・トューブがノストラダムスに宛てた手紙2007/02/06 22:36

http://biblionostra.ath.cx/
ビブリオテク・ノストラダムスの0038bに未刊書簡の画像がアップされた。ノストラダムスの未刊行書簡についてはノストラダムスサロンでもその概要を紹介している。テクスト自体は1983年のジャン・デュペーブの著作で見ることができるが、そのオリジナルの画像は初めてお目にかかった。この書簡は8番にあたり、書かれた日付は1559年11月4日とある。この手紙を書いたトューブなる人物はノストラダムスの占星カウンセラーの顧客である。この書簡以降1562年までに何通かの往復書簡が残っている。和書でも竹下節子著『ノストラダムスの生涯』の付録や『ノストラダムス 予言の真実』の資料篇でトゥーブ関連の手紙の一部を読むことができる。

さて今回アップされたオリジナルを見ると3枚の手稿で135-137または121-122のページ数が振ってある。蔵書印を見るとエクサン・プロヴァンスのメジャンヌ図書館に保管されているらしい。文字はなんとか読むことができる。果たしてこれはノストラダムスの自筆の文書なのだろうか。1561年9月9日付の書簡30番には、ノストラダムスの仕事を手伝うようになった一人のフランス人青年が清書をしていると書かれている。この人物こそが秘書であるジャン・エメ・ド・シャヴィニィであろう。他の書簡によればノストラダムスの自筆は非常に読みづらい筆記体であったのでシャヴィニィの清書というのはほぼ確実だ。

この書簡に対してノストラダムスは1510年5月10日のホロスコープAを作成している。これはアウグスブルク生まれのチロルの鉱山主ハンス・ローゼンベルクのホロスコープである。ご覧の通り書簡はラテン語で書かれているがゆっくりと読む時間があればなぁ。

銀行における顧客の差別化2007/02/07 23:54

ビジネス書を読んでいると、顧客の差別化や優良顧客の囲い込みという戦略経営のことが出てくる。当然企業ではライバル社との競争に打ち勝つために日夜顧客データを管理しながらロイヤルティ・マーケティング(RM)を取り込んでいるはずだ。その店にとっての優良顧客を識別し、その層に重点的に手厚いサービスを与えて顧客を囲い込むのである。銀行など営業といえば法人主体と思われがちだが、実は個人に対する営業力の差が収益につながる場合がある。

みずほ銀行と武蔵野銀行。一方は大手都市銀行、片方は埼玉県の地方銀行。それぞれ同程度の大口の個人預金客あるいは取引客がいたとする。みずほは個人営業課をおいて手紙や電話で積極営業。武銀は最低限のサービスさえ提供せず客をほったらかし。ある日アポなしでそれぞれの窓口を訪ねて同じような話―ちょっと意地悪とも思えるような課題を与えた。すると、みずほのほうは担当者が時間を取って顧客情報を確認したらしく、これまでの経緯に基づいた話ができた。そして顧客の悩みを一緒に解決しようとするきちんとしたソリューションを提示し、顧客を満足させ次のビジネスへとつなげた。

武銀のほうは顧客情報がきちんと管理できておらず窓口の対応もしどろもどろ。挙句の果てに店長らしき男性が出てきたが銀行側の身勝手な主張を繰り返すばかり。顧客の視点に立てないというお粗末なものだった。結局は客を怒らせた上にソリューションを提示しないまま窓口担当の女性に代わるといった大失態。もともと地元の銀行を少しでも盛り上げようと取引を始めたのだが、これほどコケにされサービスに対する不満を抱えては取引停止を考えなければならない。ちなみに両者とも最後に出てきた粗品なタオルであったという。

CS(顧客満足)と顧客ロイヤルティの関係は、頭ではわかっていても現場において実践するのは難しいもの。こうした事例を参照しながら自戒しなければならないと感じた。結論は同じであるとしても顧客の納得感が肝要なのだ。