アナトール・ル・ペルティエの予言集校訂テクスト考 その2 ― 2018/08/21 22:21

ル・ペルティエが言及した Chez PIERRE RIGAVD (ピエール・リゴーの店で) とある標本の表紙に出版年は印刷されていない。パトリス・ギナールは、ブノワ・リゴーの息子ピエールが1606年頃に出版したと見なしている。他の研究者も1600年頃とほぼ一致している。この版本はブノワ・リゴー後継者版と並んで17世紀に出版された予言集の大半のテクストのベースとなった重要なものである。(Revue francaise d'histoire du livre, 2008, p.101)ル・ペルティエはなぜこの標本を原典(初版本)としたのか。著書の中で表紙(画像参照)の手書き部分を引用している。(同書第一巻41頁)
« Ex lib. mand. B. M. Albo Mant. ord.
« S. Benedicti cong. S. Maur...... 1555
Et...... 1558
Ex lib.とは ex libris(蔵書)を意味する。ord.とは盛式誓願修道会(オルドordo)か。サン・モール会(La congrégation de Saint-Maur)は1618年に創立されたフランスのベネディクト派修道会で学識レベルの高さで知られている。cong.とは会憲のみによるものを単式誓願修道会(コングレガティオcongregatio)をいう。フランス革命後サン・モール修族の文書保管から王立図書館へ渡ったのだろう。手書きで書かれたのは標本の出処を記したもので、年代のメモは表紙に年代表記がないため分類上、予言集のセザールへの序文とアンリ二世への書簡の日付から出版年を推定したに過ぎない。
ところがル・ペルティエはすべて仮説のなかで、1566年ノストラダムスの死後すぐピエール・リゴーが初めてノストラダムス予言集第二部を出版したと結論付けている。(同書第一巻42頁)表紙のメモに1558とあるが第一部のテクストを1558年とした根拠は何か。バレートにより予言集初版は1555年と判明しているが詩百篇七巻まで出たのが1557年という情報がないためアンリ二世への書簡の年代を拝借したのだろう。ル・ペルティエが実際に王立図書館の標本を調査したのは間違いないが、実際のテクスト編纂は手元にあった1716年頃の偽年代ピエール・リゴー版を利用したと考えられる。
この版本は表紙の図版の違いで3種類の標本が知られているが、ル・ペルティエはそのいずれかを所有していたのではないか。それらはすべて表紙に出版年が1566年と表記されている。ル・ペルティエが予言集第二部の最初の出版を1566年と誤って認識したのは、18世紀に出版された偽年代版に引きつけられたためと推察される。ル・ペルティエは Les Oracles de Michel de Nostredame 第二巻の予言集のテクストをこの偽年代版に依拠して単語を追加したり削除することなく、句読点や綴りもあえて修正せずに誤植もそのまま再録したと述べている。(同書第一巻43頁)
(続く)
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