「七十世紀の大予言」の初出 ― 2018/04/11 23:05

これも書こう書こうと思いつつも随分と時間が経ってしまった。黒沼健氏の「七十世紀の大予言」については以前にこのブログで紹介したことがある。(黒沼健氏のノストラダムス物語)国会図書館で『雑誌記事索引集成データベース ざっさくプラス(皓星社)』を利用して「黒沼健」と入力して検索をかけてみると記事の年代と点数がグラフ化されて、どの時代に最も雑誌に精力的に執筆していたのか大雑把な傾向をつかむことができる。初期と見られるのは1931年5月の作品で当時29歳、雑誌『探偵』に海外の推理小説を翻訳した作品がずらりと並んでいる。
グラフによると1939年頃と1953年頃にピークの山が見られる。当初コラムや小説を発表していたが検索結果の172番目に『探偵実話』に掲載された「七十世紀の大予言」が目に留まる。国会図書館には該当する『探偵実話』の号の蔵書はないが、池袋駅から15分ほど歩いた光文社ビルの一角にある「ミステリー文学資料館」で『探偵実話』のバックナンバーを閲覧することができる。それは『探偵実話』1952年(昭和27年)3月特大号で、表紙はいかにも昭和の時代の風情が漂っている。発行所は「株式会社 世界社」で価格は九十円とある。当時は創刊してから2年経っている。
全部読み切りと表紙にあるが実際は連載物もある。当時は他にも似たような探偵話のミステリー雑誌が数多く出版されていたようでこの分野は人気があったのだろう。目次を見ると、三大特別実話読物のなかに「実録秘史 七十世紀の大予言 黒沼健」がエントリされている。他のふたつは「怪事件回顧録 怪教大本検挙の真相 元警視総監 藤沼庄平」と「名刑事苦心譚 妖婦菊江の物語 三角寛」といかにも読者の興味を引くように工夫されたタイトルになっている。メインは探偵小説で新人傑作選が4作、新掲載連続短編が6作、大長編怪奇読み切りが1作、掲載されている。
それまでの黒沼氏の作品とは少々毛並みが違うと感じる。この作品を書くにあたって数冊の海外文献を参照したのは確実で、相当力を入れて取り組んだと思われる。最終的にこの作品は5年後の1957年12月に出版された単行本『謎と怪奇物語』に収録された。雑誌版と単行本版と比較してみると、まず雑誌版の冒頭に書かれているウェブスター大辞典の記述が単行本版では省かれている。本文には目立った変更はない。ピオッブの本から転載した図2つがノストラデムスの描いた奇妙な図形として載っているのも変わりがないが単行本版にある枠のデコレーションは見られない。
細かいところでは本来「っ」となる表記が雑誌版では「つ」、同様に「ょ」が「よ」となっている。また雑誌版ではふりかなを多く振っている傾向があり、使用された漢字も旧式の表記のがところどころ見られる。雑誌版では本文中は一貫して予言を豫言と表記されている。目次の表記は予言となっているのはなぜなのだろう。また雑誌版と単行本版で決定的に異なるのは挿絵である。雑誌版の挿絵は3つ挿入されている。「星を見ながら書斎で予言を執筆するノストラダムス」(下の画像参照)「国王の家族に拝謁するノストラダムス」「患者を診察するノストラダムス」
単行本版では冒頭に「書斎で予言を執筆しながら眠り込むノストラダムス」が載っている。『探偵実話』では目次を見ると小説については挿絵を描いた人の名前がクレジットされているが三大特別実話読物にはついては特に表記されていない。ノストラダムスの肖像に関する資料が皆無だった時代に黒沼氏の文章からイメージを膨らませて描いたものだろう。予言者のトレードマークともいえるあごひげは描かれている。改めて読み返してみると、この作品は黒沼氏にとって推理小説から謎と神秘と怪異を追求するノンフィクション・ミステリーへ移行する大きな転機になったのではないかと思う。

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