フランス詩人デュ・ベレーの手紙 その2 ― 2018/04/07 04:30
衝撃的な国王死去の約3カ月後という時期的なことからも手紙に書かれた「かの予言」というのはアンリ二世崩御に関係する予言を指しているのはないか。予言の好事家たちが国家の大事件をノストラダムス予言集のなかから血眼になって探し当てようとする行為は現代に至るまで変わらない。細かい字句に注意を払うこともなく一部の字句をアナロジー的に当てはめて吹聴するというのは十分想定され得ることである。デュ・ベレーは「かの予言」を詩百篇1-35としているわけではないがほのめかしとも受け取れる。あるいは念頭に置いていた可能性があるとすれば詩百篇3-55あたりだろうか。
1-35には「若き獅子が老いた獅子を制するだろう、戦いの野での一騎打ちにおいて、黄金の籠のなかの両眼を突き刺す、二つの艦隊のうち一方しか残らぬ、そうして酷き死を迎える」とある。この詩は後世にノストラダムスの最も有名な予言として百科事典にまで載るようになった。しかし当時の人から見ても二者の戦闘という漠然としたイメージしか湧いてこないだろう。3-55は「一つの眼がフランスで君臨する年、宮廷はもっとも苛立たしい動揺があるだろう、ブロワの偉人が友を殺す、王国は痛手を負い疑惑は倍増する」と書かれている。この2詩は「両眼」と「ひとつの眼」で表記が異なる。
片目を突き刺されたアンリ二世、偉人Le grand をgrain(穀粒)→l'orge(大麦 )→Gabriel LORGES(ガブリエル・ロルジュ)と致命傷を与えたモンゴメリーの名前が浮かび上がる。当時詩人であったジャン・ド・ヴォゼルがそういった解釈を行い、ノストラダムス自身も暦のなかでそれに言及している。その後この詩の後半部分はアンリ3世によるギーズ公暗殺の事件と解釈されると信奉者の間に一定の支持が得られ定着していった。そのため Le grand をモンゴメリーと読み解く解釈は見向きもされなくなった。前半と後半では明らかに時代が大きく離れているためご都合主義の予言解釈といえる。
息子セザールの著作『プロバンスの歴史と年代記』(1614,1624)のなかで1-35の前半の3行のみを引用し事件と結び付けている。エドガー・レオニは『ノストラダムス、生涯と作品』(1961)でこう記している。「セザールが伝えるところでは、パリ郊外で民衆がノストラダムスの人形を造って焼き、予言者自身も同じように処すべきと教会に訴えた」ソースが同じなのか不明であるが、ミシェル・トゥシャールも「従順なる聴衆は、ノストラダムスの人形を火あぶりにした」と述べている。こうしたことから国王の悲惨な事件とノストラダムスの予言が結びつけられてひと騒動あったのは間違いなさそうである。
それを裏付けるかのように、ロンサールも翌年1560年に予言と国王の死をテーマにした詩を残している。「古代のお告げのように、何年にもわたって我々の運命の大勢を予告している。善や悪は彼の分野ではない、我らの国王も楽しんでいる間に死んでしまった」(『ノストラダムスの生涯』115頁)ここからは推論だが、アンリ二世の事故死のあとでノストラダムス予言集を紐解いた誰かがぱっと見で詩百篇1-35を予言的中として当てはめたのではなかったか。しかし、事件と詩文で完全なディテールが一致していないのは明らかである。百詩篇3-55については単にヴォゼルによる後知恵に過ぎない。
そのため知識人のなかでは取るに足らない予言解釈と受け取られ1-35との結びつけが公の文書に残らなかった。ノストラダムスが国王の死を不吉な予言で的中させたという流言飛語が当時飛び交っていたのだろう。デュ・ベレーも予言集の当該詩を実際に読んでみたがこんなばかばかしい予言と一笑に付していたと思われる。こうした風潮を踏まえて4行目を含めた整合性のある解釈に到達できなかったシャヴィニーはあえて自著『フランスのヤヌス、第一の顔』(1594年)のなかに取り込まなかった。J.H.ブレナンは『ノストラダムス未来のビジョン』(1992年)のなかでこう記している。
Word quickly began to circulate that the 'old lion' was King Henri II, who sometimes used a lion emblem on his shield. Before long England's Ambassador Throgmorton was writing to alert Queen Elizabeth I of speculation about the prophecy at the French Court.
この「老いた獅子」はアンリ二世のことをさしているといううわさがあっというまに広まった。王はときどき、楯に獅子の紋章を用いていたからである。それからほどなくして、イングランド大使スログモートンはフランス王室にまつわる予言について注意をうながす手紙をエリザベス一世に送っている。(小川謙治訳)
この「老いた獅子」はアンリ二世のことをさしているといううわさがあっというまに広まった。王はときどき、楯に獅子の紋章を用いていたからである。それからほどなくして、イングランド大使スログモートンはフランス王室にまつわる予言について注意をうながす手紙をエリザベス一世に送っている。(小川謙治訳)
ニコラス・スロックモートン(スロッグモートン)卿 (1515/16?-1571)は、エリザベス1世に登用され1559年5月から1564年4月までフランス大使であった。アンリ二世の事故が起こった1559年7月にはフランス宮廷のすぐ近くで事の推移を見ていたのは確実だろう。1863年に出版されたCalendar of State Papers 1558-1559 第1巻の1559年8月27日セシルへの書簡の追伸には「愚かなノストラダムスが船乗りたちを大いなる恐怖に落とした」とあるが仏国王の予言に言及したものは見当たらない。ただしノストラダムスという名前が当時国内外を含めて独り歩きをしていったのは間違いなさそうである。
(続く)
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