ノストラダムスの時代の文献情報2014/06/02 22:49

ノストラダムスの著作については近年かなり情報が整備されてきた。とはいえ、まだまだ未解決の部分の多いことが逆に魅力となり興味を引き立てているところもあろう。最近は欧州の古い文献もインターネット上で閲覧することができるため、今までノストラダムス研究書のなかでしか見たことのない文献が簡単に入手できるようになった。ノストラダムスは生前、予言集をはじめとして暦書や予測書は毎年のように世に送り出していた。しかし16世紀当時にはまだまとまった文献書誌という観念はなかったと思われる。リアルタイムの記録がなければ後年の後追いでの調査に頼らざるを得ない。

そのなかにあって貴重な同時代の証言といえるのが、1584年のラ・クロワ・デュ・メーヌ(La Croix du Maine)と1585年のデュ・ヴェルディエ(Du Verdier)であろう。ノストラダムスの大事典にはそれらの書誌のなかのノストラダムスの項が全訳されている。それに加えて丁寧な注釈が施されており、非常に有益な資料となっている。ノストラダムスの項について、ラ・クロワ・デュ・メーヌの書誌は、1772年の『ビブリオテック・フランソワーズ』 第二巻に、アントワーヌ・デュ・ヴェルディエの書誌は1773年の同書第五巻に復刻されている。いずれもGoogle Booksで公開されており、原文と補注を参照できる。

同時代の書誌学者の貴重な記述であるには違いないが、著者の目の届いた文献の紹介しか見られないし、かならずしも網羅的に書誌情報を収集しているわけではない。また明らかに事実誤認の記述も一部に見られる。後世の時代に大きな影響を与えた情報が、ラ・クロワ・デュ・メーヌの挙げた、1556年リヨンでシクスト・ドニーズ(Sixte Denyse)により印刷されたというノストラダムス予言集である。この予言集は現在も存在が実証されておらず、いまなお謎につつまれている。似た名前のエチエンヌ・ドニーズは知られているが、シクスト・ドニーズという出版業者の存在は確認されていない。

ラ・クロワ・デュ・メーヌは16世紀の書誌学者の権威と見なされたか、たとえば1961年のエドガー・レオニのノストラダムス研究書のなかでも言及されている。その真偽については「(予言集のみならず)この出版業者の名前さえ記録にない」とコメントしている。ヨーロッパの文献カタログは現在も充実したものが古本書店で作成されている。これまでいろいろなノストラダムス文献を注文したからか、海外からよくブックリストのカタログが届く。最近"La fontaine d'Arethuse"というエゾテリスム関連のカタログ2014年版が手元に届いた。カラー印刷の56頁のパンフレットだが眺めているだけでも楽しめる。

ブックカタログ

コメント

_ sumaru ― 2014/06/04 01:37

 ラ・クロワ・デュ・メーヌについては、ノストラダムスの墓碑に言及した最古の例という点でも価値があると考えています。かつてセザールの書いた「62年6か月10日」などを根拠にギナールが提案した1503年12月21日誕生説には、有力な反証といえるでしょうから。

>"La fontaine d'Arethuse"

 これはどこかの書店がまとめているカタログということなのでしょうか。タイトル自体がどういう由来でついたのかと思ってしまいますが。
 私もabebooks経由とかでならいろんな国の古書店から購入していますが、その類のカタログを送ってくれた書店はないです(^^;

_ 新戦法 ― 2014/06/05 01:02

sumaruさん、

コメントありがとうございます。

> ラ・クロワ・デュ・メーヌについては、ノストラダムスの墓碑に言及した最古の例という点でも価値があると考えています。

この墓碑の情報をいったいどこから知ったのか、ちょっと不思議です。何らかの文献に載っていたものを参照したと推定されますが思い当たりません。

> これはどこかの書店がまとめているカタログということなのでしょうか。

参考までにアドレスを掲げます。
http://www.librairiesfontaine.com/

> その類のカタログを送ってくれた書店はないです(^^;

ここの書店はカタログのpdfもメールで送ってきます。思い当たるふしはないのですが、もしかしたら優良顧客のリストにでも載っているのでしょうか。(^^;
そういえばSwannのオークション情報The Trumpetなども送られてきます。ネット上にアップされているのと同じものですが。

_ sumaru ― 2014/06/06 00:38

>参考までにアドレスを掲げます。

 情報ありがとうございます。サイト名にfontaineが使われているのですね。書名がいったい何事かと思いましたが・・・(^^;

>この墓碑の情報をいったいどこから知ったのか、ちょっと不思議です。

 あくまでも印象論ですが、生前の肖像画(あの円形のだとおもいますが)を知っていることから言っても、また、他の作家についての細かな情報群から言っても、たぶんあっちこっちを回って資料の収集はしたでしょうから、ついでに立ち寄って墓碑の実物を見ていたとしてもおかしくない気はします。

 ラ・クロワ・デュ・メーヌがノストラダムスに心酔していたことはないにしても、デュ・ヴェルディエよりは好意的にとらえていた印象がありますし。

_ 新戦法 ― 2014/06/07 08:52

sumaru さん、

> ついでに立ち寄って墓碑の実物を見ていたとしてもおかしくない気はします。

なるほど、肖像画の情報も知っていたというのは、確かに実際に現物を見た可能性も否定できません。ラ・クロワ・デュ・メーヌは自分の蔵書と推論で書誌情報をまとめたという先入観があってフィールドワークはしていないだろうという偏見を持ってしまいました。(^^;

古文書館を巡ったついでにゆかりの地に立ち寄るというのはありうることですね。

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