ノストラダムスの予言の鍵 ― 2009/02/17 23:42

http://michel.nostradamus.free.fr/rech.html
1941年にスピカ・カペラという人の書いた"La cle des predictions nostradamiques "(ノストラダムスの予言の鍵)という27頁の小冊子が手元にある。ロベール・ブナズラのウェブサイトの「研究(上のアドレス)」のページの「我々の読者の一人が販売もしくは交換を申し出ている」本のなかにリストアップされた1冊である。どんな本かと思い入手してみたところ、タイトルにノストラダムスとあるが中身は占星術のお話である。表紙には副題として「コスモスの影響と歴史」とノストラダムスの予言の源泉が占星術にあったとの主張である。ブナズラの『ノストラダムス年代順文献目録』497頁では「この著者にとっては、ノストラダムスはコンジャクション(合)の周期及び春分点歳差に関する予言を確立した」との注釈が載っている。
そのコメント通り、最初からずっと占星術の教義と年代の対比の話が続き、ノストラダムスのノの字も出てこない。この惑星とあの惑星がどこどこの宮で合となる何年にはどうなるといったのが大半を占める。ようやく後半の24頁にノストラダムスの名前が登場するが「多くの注釈者たちはノストラダムスのテクスト群に関して無駄に向き合ってきた。彼の有名な予言集の鍵の研究と再構築のために・・・」それが自分の示した占星術論といいたいのである。ノストラダムスが占星術師だったというのはまあ間違っていない。アラビア占星術の合の理論を予言に応用したのも賛同できる。しかし本書ではテクストと比較した具体的な裏付けが皆無である。ノストラダムスを隠れ蓑に自分の占星術談義をぶち上げたと見られても仕方ない。
そういえばウィキペディアのノストラダムスの項で西洋占星術師という紹介がある。用語の使い方が明らかに不自然で、今までこのような呼ばれ方をしたのを知らない。ずっとこのまま残っているのはこんなヘンテコな称号が市民権を得てしまったからなのだろうか。
1941年にスピカ・カペラという人の書いた"La cle des predictions nostradamiques "(ノストラダムスの予言の鍵)という27頁の小冊子が手元にある。ロベール・ブナズラのウェブサイトの「研究(上のアドレス)」のページの「我々の読者の一人が販売もしくは交換を申し出ている」本のなかにリストアップされた1冊である。どんな本かと思い入手してみたところ、タイトルにノストラダムスとあるが中身は占星術のお話である。表紙には副題として「コスモスの影響と歴史」とノストラダムスの予言の源泉が占星術にあったとの主張である。ブナズラの『ノストラダムス年代順文献目録』497頁では「この著者にとっては、ノストラダムスはコンジャクション(合)の周期及び春分点歳差に関する予言を確立した」との注釈が載っている。
そのコメント通り、最初からずっと占星術の教義と年代の対比の話が続き、ノストラダムスのノの字も出てこない。この惑星とあの惑星がどこどこの宮で合となる何年にはどうなるといったのが大半を占める。ようやく後半の24頁にノストラダムスの名前が登場するが「多くの注釈者たちはノストラダムスのテクスト群に関して無駄に向き合ってきた。彼の有名な予言集の鍵の研究と再構築のために・・・」それが自分の示した占星術論といいたいのである。ノストラダムスが占星術師だったというのはまあ間違っていない。アラビア占星術の合の理論を予言に応用したのも賛同できる。しかし本書ではテクストと比較した具体的な裏付けが皆無である。ノストラダムスを隠れ蓑に自分の占星術談義をぶち上げたと見られても仕方ない。
そういえばウィキペディアのノストラダムスの項で西洋占星術師という紹介がある。用語の使い方が明らかに不自然で、今までこのような呼ばれ方をしたのを知らない。ずっとこのまま残っているのはこんなヘンテコな称号が市民権を得てしまったからなのだろうか。
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