セルジュ・ユタンによる恐怖の大王の注釈2007/12/08 23:51

今更1999年の詩の解釈といってもすでに出し遅れの証文のような感がなきにしもあらず、なのは自覚している。たまたまセルジュ・ユタンの"les propheties de Nostradamus"(1982年)ジェリュポケット版をぱらぱらめくっていると97頁に載っている百詩篇第十巻72番の注釈を見つけた。ポール・ド・サン・イレールの注釈では恐怖の大王とはアンテクリスト(偽キリスト)を指すのではなく、むしろキリストの再臨を指す言葉としている。その理由として16世紀のフランス語ではeteindre(御霊を鎮める),apaiser(なだめる、和らげる)を意味するという。これが本当かどうかわからないけれど、地元フランスでそんなふうに考える人がいたというのは小さな発見である。

1982年といえばジャン・シャルル・ド・フォンブリュヌの本が地元フランスでベストセラーになり、ノストラダムス・ブームが再来した時期に当たる。ユタンもフォンブリュヌの注釈「単に国家の指導者が最も不吉に降り立つさま」を紹介しているが、きっぱり反対の立場を表明している。ではユタンはどう捉えていたかといえば、アンテクリストなんかじゃなくて天文現象、すなわち人類の現在のサイクルの終焉を迎えることが示唆されている。具体的に何かといえば天体が落下してきて地上に恐怖の大王が降りる、これは彗星を指すものか。あるいは極移動のような地質学上のカタストロフィが起こりうるのか。そうだとしたら世界的な洪水が生じて人類もわずかしか生き残れない。

もちろんこの詩ではそこまでの具体的な事件を読み取ることはできない。日本の解釈者たちと同様他の四行詩とのコラボに従い想像力のみを先行させた物語に過ぎない。こういった注釈自体にもその時代における空気が読み取れるのは間違いないなさそうだ。

大和証券杯・女流最強戦を観戦した(石橋vs岩根)2007/12/09 23:57

http://www.daiwashogi.net/
毎日曜日の午後八時よりネット将棋の女流の公式戦が行われている。簡単な登録をするだけで無料で観戦できるのはありがたい。ネット将棋というのは未だにやったことがないが単純なクリックミスがどこかで出やしないかと心配になる。アマチュアの練習対局で気軽に指す将棋ならともかくプロの公式戦で棋力以外にマウス操作を迅速に行うのも勝負のうちである。男性プロの最強戦のときには大きなトラブルもなく無難に終了したが、本日の中継では最後の最後にクリックミスによる意味のない指し手がアップされてしまい結果的に棋譜を汚すことになった。

石橋女流王位と岩根女流初段の一戦は因縁の対決でもある。前期A級リーグで石橋は最終局岩根に敗れて陥落した。今期復帰を果たしたとはいえ石橋としてはここで叩いておきたい相手。対する岩根は奨励会の1級(とはいってもBで2級降級目前だった)から女流プロに転向した第一号。一昔の女流棋界であれば、奨励会である程度の修行をすればすぐにでもタイトルに手が届く程度のレベルだった。さすがに今はレベルアップも著しく、そう簡単にタイトル戦に登場できるわけではない。ぼやぼやしているともうすぐそこに次世代の若手が迫ってきている。イベントや普及も大切であるがやはり将棋がずば抜けて強いニューヒロインが待望されているのだ。

将棋のほうは先手石橋の居飛穴に後手岩根の三間飛車。序盤は居飛車作戦勝ちと思えたが指し手が乱れて後手有利に。その後形勢は先手優勢に進んだが寄せ間違えて後手の勝勢になり押し切った。クリックミスは大勢に影響はないが、それにしてもネット将棋は普段の対局と完全に切り離してトレーニングする必要があると思わされた一局であった。

王将戦の挑戦者は久保八段に決まった他2007/12/10 23:16

http://mainichi.jp/enta/shougi/index.html
今日は王将戦の挑戦者決定リーグの最終戦が行われ、久保八段が深浦を破って4勝1敗で初の王将戦の挑戦者への名乗りを挙げた。王座戦に続いてのタイトル戦登場は久保の充実ぶりを示している。深浦が先ごろ念願のタイトルを奪取して一皮むけたというのもあり、久保もここは絶対に結果を出したいところだろう。これまでのタイトル戦はいずれも羽生と戦ってすべて敗れている。先の王座戦でも終盤まで良さそうな局面もあったのだが羽生のふところの深さを打ち破ることができなかった。王将戦では根本的な戦略を練り直す必要があるだろう。久保の捌きの振り飛車はゼニのとれる将棋だ。

http://open.mycom.co.jp/broadcast/index.html
マイナビ女子オープンの中村真vs清水が行われ中村が勝って二回戦への進出を決めた。思い起こせばレディースの第一回で新人の清水が優勝し女流トップの座をつかみ取った。今回は中井も里見に敗れてここ20年ほど女流棋界を牽引してきた二人がそろって若手女流に敗れるという象徴的な事件が起きた。二人はこれまで後輩の矢内、千葉、石橋らの進撃を食い止めてきた。しかし女流の大型棋戦として誕生したマイナビオープンでは何か世代交代の雰囲気も漂っている。里見と中村あたりが決勝で激突するとなれば大いに盛り上がるだろう。今後の展開が注目される。

充実したネット中継があるのはありがたいが、すべてをじっくり観戦するのもなかなか難しい。贅沢な時代になったものだ。

ノストラダムスの魔法鏡2007/12/11 22:58

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/475422082X.html
仕事帰りにぶらっと古本屋に立ち寄ったとき島崎晋『世界ミステリー人物伝100』(英知出版、2007年)という本を見つけた。(上記のウェブによればすでに絶版とある)まえがきにもあるように単なる人物事典ではなく「その人の意外な一面や異聞、珍説などを特化」ということでちょっとアウトロー的な人物紹介のようだ。パラパラとつまみ読みしてみたが一人あたり2頁から3頁の分量のため、それほど踏み込んだ話があるわけではない。軽い読み物としては十分であろう。そのなかにノストラダムスの項もあった。さてどんな取り上げ方をしているか、楽しみにしながら該当ページを開いてみた。すると冒頭にノストラダムスの魔法鏡の話のエピソードが挿入されていた。サブタイルに「予言者の実像とは?」とあるのに本文にも書かれているが信憑性の薄いエピソードで限られたページを埋めるというのはどういう了見か。

日本でこのエピソードが紹介されたのはフランス文学者の渡辺一夫氏のエッセイ「ノストラダムスの「魔法鏡」の話」が最初である。その元ネタはジャン・ムーラとポール・ルヴェの『ノストラダムスの伝記』の第七章「王妃の魔術師」である。その後詳しく紹介したのは山内雅夫氏の『占星術の世界』125頁であるがレイヴァーを参照したはずなのに事実として扱われている。ちなみにレイヴァーはこのエピソードをノストラダムスではなくコシモ・ルジェリに帰している。さらにトゥシャールの『大予言者ノストラダムスの謎』145頁以下ではこの話の出所がシモン・グーラールの1610年の作品であることを明かしている。(ミノワは1616年としている『未来の歴史』383頁)1560年の出来事とされるが、ノストラダムスの伝記を見てもショーモンに行った形跡はなく明らかに後世の想像の産物である。

こうしたエピソードを実像として取り上げたり、相も変わらず「ミシェル・ド・ノストラダムス」という表記をするなど著者の不勉強ぶりが目立つ。この項だけで判断するのも乱暴ではあるが、他の記事のレベルも眉に唾して読む必要があるかもしれない。

竜王戦第六局は見たことのない力戦形に2007/12/12 22:47

http://live.shogi.or.jp/ryuoh/
竜王戦もいよいよ佳境に入ってきた。内容的には渡辺が押しているが佐藤も執念を見せて前局で貴重な2勝目を挙げた。今回は渡辺の先手番。佐藤の作戦が注目されたが、なんと昨年も二回採用した二手目△3二金戦法。棋理から云えば先手の振り飛車に対して明らかに損なのだが、対渡辺限定の作戦であろう。さらにこの作戦で後手番をブレイクすれば流れを変えることができ、一気に奪取への勢いがつく。佐藤にしてみればリスクも伴うがその分ハイリターンも期待できるという選択だ。昨年渡辺はこの作戦に対して振り飛車にして敗れ、矢倉にして勝っている。

しかし第一人者の竜王としてはこんな手を指されて普通の形に戻すわけにはいかない。積極的に優位を求めてこそ見せる将棋である。序盤の早い段階ですでに未知の領域に踏み込んでいる。とはいえ渡辺の得意の展開は玉を固めて攻めをつなぐという現代的な戦略である。この将棋も最終的には左穴熊を目指すと思われたが五筋に位を取って大模様を張った。昔は5五の位は天王山といって重視されていたが、最近はそれほどでもない。佐藤陣は窮屈な感じでぺしゃんこであるが、玉の囲いを優先させ相手の出方をうかがっている。封じ手局面では渡辺の構想力が問われている。

まだ居玉なのでともあれ▲4九玉としたいところ。▲4五銀はちょっと危険が感じがする。2八まで囲えれば先手のほうが指したい手が多く、作戦勝ちになりそうだ。果たして佐藤はどのような構想を秘めているのか。将棋ファンはこうした人間味のある力と力がぶつかり合う将棋を見たいのだ。序盤の研究で決まる昨今の風潮のなかでこういう将棋は貴重である。中終盤も力のこもった熱戦を期待したい。