ノストラダムスの魔法鏡 ― 2007/12/11 22:58
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/475422082X.html
仕事帰りにぶらっと古本屋に立ち寄ったとき島崎晋『世界ミステリー人物伝100』(英知出版、2007年)という本を見つけた。(上記のウェブによればすでに絶版とある)まえがきにもあるように単なる人物事典ではなく「その人の意外な一面や異聞、珍説などを特化」ということでちょっとアウトロー的な人物紹介のようだ。パラパラとつまみ読みしてみたが一人あたり2頁から3頁の分量のため、それほど踏み込んだ話があるわけではない。軽い読み物としては十分であろう。そのなかにノストラダムスの項もあった。さてどんな取り上げ方をしているか、楽しみにしながら該当ページを開いてみた。すると冒頭にノストラダムスの魔法鏡の話のエピソードが挿入されていた。サブタイルに「予言者の実像とは?」とあるのに本文にも書かれているが信憑性の薄いエピソードで限られたページを埋めるというのはどういう了見か。
日本でこのエピソードが紹介されたのはフランス文学者の渡辺一夫氏のエッセイ「ノストラダムスの「魔法鏡」の話」が最初である。その元ネタはジャン・ムーラとポール・ルヴェの『ノストラダムスの伝記』の第七章「王妃の魔術師」である。その後詳しく紹介したのは山内雅夫氏の『占星術の世界』125頁であるがレイヴァーを参照したはずなのに事実として扱われている。ちなみにレイヴァーはこのエピソードをノストラダムスではなくコシモ・ルジェリに帰している。さらにトゥシャールの『大予言者ノストラダムスの謎』145頁以下ではこの話の出所がシモン・グーラールの1610年の作品であることを明かしている。(ミノワは1616年としている『未来の歴史』383頁)1560年の出来事とされるが、ノストラダムスの伝記を見てもショーモンに行った形跡はなく明らかに後世の想像の産物である。
こうしたエピソードを実像として取り上げたり、相も変わらず「ミシェル・ド・ノストラダムス」という表記をするなど著者の不勉強ぶりが目立つ。この項だけで判断するのも乱暴ではあるが、他の記事のレベルも眉に唾して読む必要があるかもしれない。
仕事帰りにぶらっと古本屋に立ち寄ったとき島崎晋『世界ミステリー人物伝100』(英知出版、2007年)という本を見つけた。(上記のウェブによればすでに絶版とある)まえがきにもあるように単なる人物事典ではなく「その人の意外な一面や異聞、珍説などを特化」ということでちょっとアウトロー的な人物紹介のようだ。パラパラとつまみ読みしてみたが一人あたり2頁から3頁の分量のため、それほど踏み込んだ話があるわけではない。軽い読み物としては十分であろう。そのなかにノストラダムスの項もあった。さてどんな取り上げ方をしているか、楽しみにしながら該当ページを開いてみた。すると冒頭にノストラダムスの魔法鏡の話のエピソードが挿入されていた。サブタイルに「予言者の実像とは?」とあるのに本文にも書かれているが信憑性の薄いエピソードで限られたページを埋めるというのはどういう了見か。
日本でこのエピソードが紹介されたのはフランス文学者の渡辺一夫氏のエッセイ「ノストラダムスの「魔法鏡」の話」が最初である。その元ネタはジャン・ムーラとポール・ルヴェの『ノストラダムスの伝記』の第七章「王妃の魔術師」である。その後詳しく紹介したのは山内雅夫氏の『占星術の世界』125頁であるがレイヴァーを参照したはずなのに事実として扱われている。ちなみにレイヴァーはこのエピソードをノストラダムスではなくコシモ・ルジェリに帰している。さらにトゥシャールの『大予言者ノストラダムスの謎』145頁以下ではこの話の出所がシモン・グーラールの1610年の作品であることを明かしている。(ミノワは1616年としている『未来の歴史』383頁)1560年の出来事とされるが、ノストラダムスの伝記を見てもショーモンに行った形跡はなく明らかに後世の想像の産物である。
こうしたエピソードを実像として取り上げたり、相も変わらず「ミシェル・ド・ノストラダムス」という表記をするなど著者の不勉強ぶりが目立つ。この項だけで判断するのも乱暴ではあるが、他の記事のレベルも眉に唾して読む必要があるかもしれない。
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