百詩篇第四巻三十一番の注釈 ― 2007/10/24 23:49
ノストラダムス予言集には古代ギリシャ・ローマをモチーフとしたものが多く見られる。昨今の実証的な研究では四行詩のソースを突きとめるというのが流行である。百詩篇4-31は五島氏が『ノストラダムスの大予言スペシャル日本編』196頁で「脳の詩」と名付けたもの。直訳すれば「高き山の上にただよう夜の満月を、唯一の頭脳を持った新しい賢者が見上る、弟子たちにより不死たらんと招かれ、両目は南に向け両手は胸に組み身体は火中に」。この詩こそ救世主の誕生を謳ったと解釈した『ノストラダムスの遺言書』(邦訳版)、いや自分こそこの詩に描かれている救世主だとした『ノストラダムス秘密の大予言』などがあった。
ブランダムールは、月が出ているときは人を狂気に誘うもので新しい賢者も文字通りではなく嘲笑の皮肉をこめて用いたとする。具体的には再洗礼派が1520年から1530年の間に焚刑に処せられたことを指すと見る。最近ラメジャラーはこの詩のソースがルキアノスの「ペレグリーノスの昇天」にあるという説を提言した。それに対してこの話自体がオウィディウスの『変身物語』の変形に過ぎないとの意見もある。ルキアノスに関しては邦訳が岩波の『遊女の対話 他3編』にあるらしいがすでに絶版で参照できない。後者については岩波文庫で上下巻の再版が出ているので入手してみたがどの部分か見当もつかない。
オウィディウスはAD17年でルキアノスはAD120-180年に生きたギリシャの風刺作家だったので類似性があっても不思議ではない。ラメジャラーは弟子に関する言及と南に向けた顔という表現から、ノストラダムスがルキアノスのラテン語訳を読んだのではないかと踏んでいる。ノストラダムスの「ヤヌス・テクニック」と文学を借用した好例であると看做しているが、もう少し細かな検証が必要となろう。
ブランダムールは、月が出ているときは人を狂気に誘うもので新しい賢者も文字通りではなく嘲笑の皮肉をこめて用いたとする。具体的には再洗礼派が1520年から1530年の間に焚刑に処せられたことを指すと見る。最近ラメジャラーはこの詩のソースがルキアノスの「ペレグリーノスの昇天」にあるという説を提言した。それに対してこの話自体がオウィディウスの『変身物語』の変形に過ぎないとの意見もある。ルキアノスに関しては邦訳が岩波の『遊女の対話 他3編』にあるらしいがすでに絶版で参照できない。後者については岩波文庫で上下巻の再版が出ているので入手してみたがどの部分か見当もつかない。
オウィディウスはAD17年でルキアノスはAD120-180年に生きたギリシャの風刺作家だったので類似性があっても不思議ではない。ラメジャラーは弟子に関する言及と南に向けた顔という表現から、ノストラダムスがルキアノスのラテン語訳を読んだのではないかと踏んでいる。ノストラダムスの「ヤヌス・テクニック」と文学を借用した好例であると看做しているが、もう少し細かな検証が必要となろう。
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