アウグスティヌス講話 ― 2007/10/01 23:45
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/406159186X.html
山田晶 アウグスティヌス講話 講談社学術文庫 1995年 を読んだ。この本は昭和48年に著者がアウグスティヌスをテーマに北白川教会で話した講話が活字になって残されたもの。この年の年末にはかの『ノストラダムスの大予言』が出版されている。第五話では「終末と希望」がテーマになっている。このなかで当時創刊された「終末から」という雑誌についても言及している。当時の日本の世相は漠然とした不安感にかられて終末がブームとなっていたのはこの本からも窺える。キリスト教でいう世の終わりは、ヨハネの黙示録にあるようにイエス・キリストが再臨し、最後の審判が行われて、すべての死者が復活し、栄光のときが来る。こうして時間的世界そのものが終わるのだ。
アウグスティヌスについては終末の教義に少々関心を持っていて以前「ノストラダムスの年代記」で予言集との関連について触れたことがある。その後同じ講談社学術文庫から出た伝記 宮谷宣史著『アウグスティヌス』(2004年)を読んだ。人間アウグスティヌスの波乱万丈な生き方はなかなか興味深いし、残された膨大な著作にも目を瞠った。キリスト者でないものが『講話』で展開している神学論争を読んでもなかなかピンとこない。一例を挙げると、目には見えない観念的な存在でしかない神の三位一体説の解釈がどうたらというのは正直どうでもいいことに思えてしまう。とえいえ本書はキリスト教理解のための必読書であるのは違いない。
最近、アウグスティヌスの『神の国』五巻セットを購入した。以前より手に入れたいと探していたが最近岩波文庫の一括重版のおかげで書店の棚に並んでいたのを見つけた。こちらも暇を見つけて読んでみようと思う。
山田晶 アウグスティヌス講話 講談社学術文庫 1995年 を読んだ。この本は昭和48年に著者がアウグスティヌスをテーマに北白川教会で話した講話が活字になって残されたもの。この年の年末にはかの『ノストラダムスの大予言』が出版されている。第五話では「終末と希望」がテーマになっている。このなかで当時創刊された「終末から」という雑誌についても言及している。当時の日本の世相は漠然とした不安感にかられて終末がブームとなっていたのはこの本からも窺える。キリスト教でいう世の終わりは、ヨハネの黙示録にあるようにイエス・キリストが再臨し、最後の審判が行われて、すべての死者が復活し、栄光のときが来る。こうして時間的世界そのものが終わるのだ。
アウグスティヌスについては終末の教義に少々関心を持っていて以前「ノストラダムスの年代記」で予言集との関連について触れたことがある。その後同じ講談社学術文庫から出た伝記 宮谷宣史著『アウグスティヌス』(2004年)を読んだ。人間アウグスティヌスの波乱万丈な生き方はなかなか興味深いし、残された膨大な著作にも目を瞠った。キリスト者でないものが『講話』で展開している神学論争を読んでもなかなかピンとこない。一例を挙げると、目には見えない観念的な存在でしかない神の三位一体説の解釈がどうたらというのは正直どうでもいいことに思えてしまう。とえいえ本書はキリスト教理解のための必読書であるのは違いない。
最近、アウグスティヌスの『神の国』五巻セットを購入した。以前より手に入れたいと探していたが最近岩波文庫の一括重版のおかげで書店の棚に並んでいたのを見つけた。こちらも暇を見つけて読んでみようと思う。
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