ノストラダムスと聖エルモの火2019/05/25 23:42

先日「NHKの番組と人類滅亡のイメージ」を書く際にセネカの『自然研究』のページを手繰っていると訳注の部分にある「聖エルモの火」という言葉が目に留まった。ノストラダムスの予言集の詩百篇第二巻15番の四行詩に「君主が弑逆される少し前に、カストルとポルクスが舟に、髪を靡かせた星。国庫は海と陸により使い尽くされる。ピサ、アスト、フェラーラ、トリノは禁じられた地となろう」とある。この2行目の「カストルとポルクスが舟に」というのが俗に「聖エルモの火」と呼ばれる放電現象であり、これが舟のマストの上に出現すると吉兆と見做された。(岩波書店『ノストラダムス予言集』127頁)

カストルとポルクスについて古代ローマの博物学者プリニウスが『博物誌』(AD77年)のなかで記している。その内容は一部岩波書店の『ノストラダムス予言集』127-128頁で引用されている。「そういう星が二つあれば、それは安全のしるしで、航海成功の前触れだ。そしてそれらが近づくとヘレナと呼ばれる恐ろしい星を追い払うということだ。そういうわけで、それらはカストルとポルクスと呼ばれ、人々は神々のようにそれらに航海の安全を祈る」この部分はプリニウスの『博物誌』第二巻第三七章からの引用であるが省略されたこの前の部分にはこう書かれている。

私は兵士たちの夜間の見張りの間に、城壁の槍が付けられた星のような明るい外観を見た。・・・それらが単独で発生すると、それらは人に害を及ぼす時、船を沈めようとする。そして、舟の竜骨のより低いところに落ちるならば、火を放す」という記述があり、「城壁の槍が付けられた星のような明るい外観」というのがノストラダムスのいう「髪を靡かせた星」astre criniteに対応しているのがわかる。プリニウス以前に目を向けるとセネカが『自然研究(全)—自然現象と道徳生活—』(AD65年)11頁、「第一巻 大気中の火[光]について」でカストルとポルクスについてこう記している。(茂手木元蔵訳)

船乗りたちは、沢山の星が急いで空を飛び去るときは、嵐の来る証拠と考える。(中略)大きな嵐の場合には「星」と言われるものが船の帆のところに現われてじっと坐っていることがよくある。そんなときは、危険の最中にある船乗りたちは、自分たちがポルクスとカストルの神霊によって救われつつあると信ずる。ところが実は、さらに良い期待の理由がある。つまり、すでに嵐が弱まり風が止むことが明らかになっているからである。そうでなければ、それらの火は動き回っていて、そこには坐らなかったであろうから。

ここでいうポルクスとカストルが後に「聖エルモの火」と呼ばれるもの。聖エルモとは五世紀のイタリアの殉教者。嵐のとき船乗りが彼の名を呼んだところからそう言われる。帆桁(ほげた)や帆柱(ほばしら)の先端で時に見られる空中放電で、地中海で頻繁に起きた現象とされる。頭上に二つの星が現れると航海中の暴風雨が起きても導いてくれるが一つの星の場合は船を破壊したり全焼させるという。『ノストラダムス予言集』132頁では「ただし、注意すべきは、ここでのノストラダムスはどうもカストルとポルクスを吉兆として扱っていないらしいことである。件の四行詩では不吉な徴として、この聖エルモの火と彗星が言及していると思われるからだ。

この解説は少々違和感がある。プリニウスのいうヘレナと彗星は同一視できるもので、それが二つであればポルクスとカストルの神霊、すなわちエルモの火が吉兆に導いてくれるが一つであれば不吉な予兆となると読み取れる。彗星解釈学の系譜を見ると、国王の死と彗星の出現を結び付けた記録を探すのにことかかない。(『占星綺想』90頁)そしてルネサンスの時代から17世紀にいたるまで彗星による王の死の予言の伝統は続いていた。ノストラダムスのこの予言はわかりやすくこの言説に沿ったもので、彗星の到来により君主の死去に伴うイタリア各地での転覆を描いたといえるだろう。

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