アナトール・ル・ペルティエの予言集校訂テクスト考 その32018/08/22 21:01



次に異文の抽出に利用された、1568年に出版されたというブノワ・リゴー版について検証してみたい。ル・ペルティエは1568年に印刷された予言集の標本を所有していると述べている。そのタイトルはLes Propheties de M. Michel Nostradamus, Dont il y en a trois cens qui n'ont encore jamais été imprimées. Ajoutées de nouveau par ledit Auteur.(ミシェル・ノストラダムス師の予言集、前記の著者により新しく追加された、これまで出版されたことのない300篇を含む)としている。表題を見る限りでも本物の1568年版と比較すると明らかに正書法の変化が見られる。

異文について、ル・ペルティエは予言者の死の2年後、1566年版に手が加えられたものと見ているようだがテクストの正字の微妙な変化に無頓着であると思える。ル・ペルティエの著作の第一巻、第二巻の表紙には楕円形の枠のなかに立つ予言者の姿の図像が挿し込まれている。これは1772年頃に出版された1568偽年代版(画像参照)のものとレイアウトが一致している。ただし細かいところで様々な差異があるためル・ペルティエの二巻本の出版の際に改めて制作されたのだろう。タイトルとこの図像から彼の手元にあった予言集の標本は1568偽年代版予言集であったのは確実である。

ただし、この標本はこれまでもたびたび本物の1568年版予言集と混同されて紹介されることが多かったので一概にル・ペルティエの誤認を責めることはできない。パリの図書館(王立図書館)にもブノワ・リゴーのオリジナル版が欠けていると述べていることから、結果的に16世紀に出版された本物のブノワ・リゴー版の標本が見つからず偽年代版で代用したのかもしれない。ル・ペルティエはブノワ・リゴー版がピエール・リゴーの版本と比べて間違いが少ないことが一目瞭然であるためノストラダムスの残された手稿に準じて訂正を試みたものと考えていた。(同書第二巻3頁)

サンチュリのシュプレマン(補遺)については1605年改訂版からセーヴの書簡や六行詩集、前兆集などのテクストを得たとしている。ル・ペルティエは参照した標本を王立図書館のY, n°4622と記している(第二巻4頁)のでその典拠は明らかだ。補遺を含む版本でもっとも古い年代表記のものを初出としたのだろう。これが20世紀のエドガー・レオニらの研究者により踏襲された。しかし以前このブログで触れたように1605年版は出版地や出版社の表記のない偽年代版予言集である。ジャック・アルブロンによれば1643-1644年頃に出版されたものと推定しており、筆者もこれを支持している。

ル・ペルティエはその他の予言集の版本についても自分自身で図書館の蔵書を調査した形跡があり、相当荒いところも見られるが当時としてはウージェヌ・バレートの書誌情報を補完した最良の書誌学研究であったといえる。巻末のノートルダムの言語の用語集(Glossaire de la lange de Nostredame)は後世の語彙注釈の基礎となったものだ。現在の眼で見ると疑問な点も多々あるが当時はほとんど先行研究のないところでこれを作成したのはノストラダムス研究における大きな功績といってもいいだろう。最後に岩波書店の『ノストラダムス 予言集』ではこう付け加えている。

ただル・ペルティエはノストラダムス『予言集』の註解者としては、予言解釈が19世紀にかたよりすぎてはいるものの、高く評価されていることを、彼の名誉のため付け加えておこう。(2頁)

アナトール・ル・ペルティエが本物の初期の予言集の版本をもとに校訂テクストを編纂していたならばその後のノストラダムス研究の進展も多少は違っていたかもしれない。
(了)