サン=ジェルマンの予言2016/09/25 22:06

「心」という総合文化誌1972年7月号では、渡辺一夫氏の「白日夢 カトリーヌ太后の最期とその脚の行方」というエッセイのなかで「IVノストラダムスの予言」が取り上げられている。それによると、ノストラダムスが庇護を受けたカトリーヌ・ド・メディシスに「サン=ジェルマンの近くで他界するだろう」と予言していたというのだ。その典拠として、歴史評論家アンドレ・カストロAndré Castelotの『歴史暦』L'Almanach de l'histoire (1959)のなかに1589年1月5日の項でカトリーヌ太后の最期の様子を脚色交じりに描いたものがある。

他のノストラダムス本(セルジュ・ユタンとチャールズ・A・ウォード)を調べてみても載っていない。さらにこの話をフィレンツェ生まれの占星術師コシモ・リュグッジェリ(1615没)に帰している文献(Georges Pillement, 1966)もあるようで、不吉な予言を行ったのが誰であるか確定できないとし、「この問題の究明は、現在の私の手にあまる」と述べている。こういう予言の内容だけならEtienne Pasquier (1556-1594), Jules Michelet (1898), J.Aug.de Thou (1740)といった古文献にも載っているという。ところがノストラダムス側の伝記でこの話がクローズアップされたのを聞いたことがない。

ノストラダムスが死去したのは1566年、カトリーヌ太后は1589年なので23年後にあたる。ノストラダムスがカトリーヌ太后に直接語ったとすれば1564年のサロン巡幸が有力だが、そこに遡って予言をずっと意識していたというのも現実味に乏しい。サン=ジェルマンが場所でなく臨終の秘蹟を受けた王付司祭の名前というのも話があまりにもうまくできすぎている。予言の部分については後世の創作ではないか。ネット上のアーカイブを検索してみると、エピソードの初出は渡辺氏の示した1740年のHistoire universelle de Jacques-Auguste de Thou 第七巻 1587-1591、367-368頁と思われる。

そこでは「迷信家だったカトリーヌ太后のお抱えの占星術師たちはサン=ジェルマンに近づかぬよう警告していた」とあるが特定の占星術師の名前が挙がっているわけではない。Intermédiaire des chercheurs & curieux, 第 508~518号によると、エティエンヌ・パスクリエを含む何人かの同時代の人たちに実際にカトリーヌ・ド・メディシスがサン=ジェルマンの近くで亡くなると予言があったことが知られている。1777年の『フランス宮廷の聖職者の歴史』 Histoire ecclésiastique de la cour de France にもこの予言に触れているが誰がというのは示されていない。

1993年に出版された岩波文庫版の「白日夢 カトリーヌ・ド・メディチ太后の最期とその脚の行方」では横文字で記された欧米文献の引用はすべて省略されており、「四 ノストラダムスの予言?」と疑問符が添えられている。新情報としてフィリップ・エルランジェの『アンリ三世伝』(1948)にもカストロの記述そのままの対話が見られるという。そのソースとなる古文献が存在する可能性もあるが未だに特定できていない。未見だが1990年に出版された講談社文芸文庫『白日夢』にも「白日夢 カトリーヌ・ド・メディチ太后の最期とその脚の行方」が収録されている。

インターネット検索すると「予言通り亡くなった王妃」にもこの話が見られるが誰がそう予言したのかはわからないとしている。手元にあるカトリーヌ・ド・メディシスの伝記を引っ張り出してみると、オルソラ・ネーミ、ヘンリー・ファースト著 千種 堅訳『カトリーヌ・ド・メディシス』(中央公論社、1982)ではカトリーヌの臨終シーンにこのエピソードは見られない。桐生操著『王妃カトリーヌ・ド・メディチ』(新書館、1982)では264頁にルグジエリ(原文ママ)の予言としている。ちなみにこの本では例の魔法鏡のエピソードの主役もルグジエリに帰している。

ジャン・オリユー著 田中梓訳『カトリーヌ・ド・メディシス 下』(河出書房新社、1990)の532頁にはルッジェーリ(原文ママ)の予言としており、ジュリアン・ド・サン=ジェルマンがなぜカトリーヌの臨終に立ち会えたのか詳しい注釈がされている。サンプル数は少ないが差し当たりリュグッジェリ説が優勢のようで今更ながらノストラダムスの出る幕はないようである。ちなみに岩波文庫版には付記としてこのエッセイのテーマであったカトリーヌ太后のミイラの右脚の写真が載っている。これはポントワーズの博物館に保管されているものだが、その時点では真偽のほどは突き止められていない。