ついに刊行された『秘伝ノストラダムス・コード』2011/05/23 22:55

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4759311386.html

日本では本当に久しぶりのノストラダムス本といえるだろう。結構前から出版の予告が出ていたようだが、何故かずるずると延期されて、本当に刊行までたどり着けるかと訝しげに思っていたがまずはメデタシである。5月20日発売というのでその日仕事帰りに町の本屋に立ち寄ってみたが見当たらない。翌日出張の航空券を手配するついでに近所の紀伊国屋で探してみたが収穫なし。ちょっと足を伸ばして駅近くのブック1stを覗いてみると、精神世界の棚の下のほうに1冊だけ目立たずに置いてあった。一応書店に流通していることがわかった。すぐ手に取りページをめくってみると、見慣れぬサイズの本で結構分厚く持ちづらい。これでは平積みされるスペースも取れないだろう。

取り敢えず最後の竹本氏の文章を読むと、11版まで校正を重ねたとある。いったい何を校正していたのだろうか。何か世界の大事件を時事ネタに取り込もうと最終章を練り直していたとすれば、不謹慎だが先の東日本大震災と原発事故は格好の素材といえる。現にフィナーレは「放射能と薔薇」といったタイトルで急遽書き直したと思われる解釈が挿入されている。出版社はここを売りにしょうと目論んだのだろう。しかし、これは大きな賭けでもある。その後の事件の経過について本書を手にした読者は知っている。出版されたとき内容がすでに陳腐と化している可能性もあるからだ。ノストラダムスの大事典では、本が出ると同時に記事が起こされた。そのスピードはすごいとしかいいようがない。

新刊書にざっと目を通してみたが精読はまだこれからである。その印象はノストラダムスの解釈本としてはなかなか面白い切り口と思う。本書のなかにもあるように、これはノストラダムスの研究書ではなく著者の竹本氏が描く壮大な物語なのである。これまで竹本氏はイオネスクの本の翻訳者という立場であった。今回だって『ノストラダムス・メッセージ』の未発表部分の翻訳だけで済ますこともできたはずだ。しかしイオネスク亡き後、竹本氏は解釈者に身を投じる道を一歩踏み出した。現地の紀行文やイオネスクとの関わりなど、竹本氏の自分探しの旅を振り返ったものかもしれない。参考文献に敢えて「以後、特に画期的といえるほどの新研究なし。」と言い切ったのも確信的である。フランス語に堪能な著者は当然ブランダムールの著作に目を通していないはずはない。

ここではノストラダムスの研究という定義が根本から異なるのだ。イオネスク~竹本氏は「ノストラダムスが未来からのインスピレーションを得て予言詩を書き記した派」であるし、ブランダムールはギナール風にいえば「ノストラダムスが未来からのインスピレーションを得て予言詩を書き記したことを断固拒否する一派」の頭領みたいなもので、まさに水と油の関係なのである。つまりはノストラダムスの予言の暗号解読に一石を投じるような本でなければ研究書と呼べないと、こんなところだろう。その意味では伝記や書誌情報の正確さにそんな大きな軸足を置く必要はない。まあ、それも一つのアプローチの仕方といえなくもないが。ノストラダムスの大事典で示された目次を見ても判るとおり、予言解釈はこれまでの古典的解釈にイオネスクの修正的解釈をミックスさせた流れである。

実質的には『ノストラダムス・メッセージ』や改訂版『秘密の世界史』の前半部分を援用したものだが、まだ細かくは分析していない。興味があるのはイオネスク解釈のベースを踏まえて解釈者としてデビューした竹本氏がどのように味付けをしたかである。果たして師匠を超える画期的な解読は果たされたのであろうか。最後に価格については4,515円と少々お高い。この本はどういった読者層をターゲットにしているのだろう。第一次ノストラダムスブームの洗礼を受けた世代は現在50歳前後である。こうしたノストラダムスのオールドファンをうまく引き付けることができれば、懐に余裕のある世代で懐古趣味で買ってみる人も案外いるかもしれない。自称ノストラダムスファンとしては、良きにつけ悪しきにつけ本書をきっかけに日本でもノストラダムスを読み直す気運が高まればそれもノストラダムス現象としては意義があることかなと思う。