ノストラダムス封印された予言詩(下) ― 2010/04/01 23:56
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4102175229.html
マリオ・レディング 務台夏子訳 ノストラダムス封印された予言詩(下) 新潮文庫 2010年3月1日 を読み終えた。全体のストーリ展開を見ると、目指すお宝は特段ノストラダムスの隠された予言詩でなくともいいように思える。ずっと予言自体は脇によけておいた感があるが、最後のクライマックスシーンではやっと予言の実体が明らかになる。この辺りはお約束とはいえ、心得た演出である。主人公のノストラダムス研究家サビアはようやく竹筒に封印された羊皮紙(そこに予言が記されているのだが)を手に取って翻訳に取りかかる。そこへ隠れていた恐ろしい敵バールが現れて、サビアは銃で撃たれ監禁されてしまう。しかし間一髪でオリジナルの羊皮紙と写しの紙を暖炉に突っ込み、秘密は永遠に知られざることになる。450年以上も空気に触れることなく隠されていた予言は開封後わずか6時間で炎のもくずと消えた。
しかし予言の内容をバールに教えなければ一歩一歩死が近づくことになる。絶体絶命のピンチ!いかにしてサビアが助かったかは本書をお読みいただくしかない。そもそもサビア、バール、カルクがそれほどまでに予言を探求する動機づけがあるのだろうか。そのあたりが少し弱い感じがする。サビアは新発見の予言を本にして200万ドル稼いでやろうというお金目的。バールは何が書いてあるかわからない予言にもかかわらず、彼の所属する秘密結社にかかわる近未来の出来事が書かれているという確信から。カルクは何だろう。単なる興味本位か。封印された予言の設定が百詩篇第七巻の未刊の部分だが、なぜこの部分に21世紀のことが書かれた予言がそろっているといえるのか。この辺りは細かく描かれておらずスッキリしない。で、物語のなかで創作された予言はどのようなものだったか。竹筒から回収された四行詩は58篇ではなく52篇。
52篇の起点が1960年で各年について1篇ずつ割り当てられると終着点は今話題の2012年となる。そこでアルマゲドンの始まりと終わりのときが触れられている。いくらエンターテイメントとはいっても、あまりにご都合主義の感も否めない。刊行された予言集には八巻から十巻までの三百篇が続いている。七巻の後半部分に終末にかかわる重要な予言が隠されているというのも力技でしかない。幻の予言の中身とはどんなものだったか。そこは大いにイマジネーションが掻き立てられるところだ。一応何篇かの四行詩を引用し、解釈を与えているが正直あまり出来栄えがいいとはいえない。最後に予言の描く行く末と現在とリンクさせて物語は終わる。この作品は果たして映画化される位までヒットするだろうか。
マリオ・レディング 務台夏子訳 ノストラダムス封印された予言詩(下) 新潮文庫 2010年3月1日 を読み終えた。全体のストーリ展開を見ると、目指すお宝は特段ノストラダムスの隠された予言詩でなくともいいように思える。ずっと予言自体は脇によけておいた感があるが、最後のクライマックスシーンではやっと予言の実体が明らかになる。この辺りはお約束とはいえ、心得た演出である。主人公のノストラダムス研究家サビアはようやく竹筒に封印された羊皮紙(そこに予言が記されているのだが)を手に取って翻訳に取りかかる。そこへ隠れていた恐ろしい敵バールが現れて、サビアは銃で撃たれ監禁されてしまう。しかし間一髪でオリジナルの羊皮紙と写しの紙を暖炉に突っ込み、秘密は永遠に知られざることになる。450年以上も空気に触れることなく隠されていた予言は開封後わずか6時間で炎のもくずと消えた。
しかし予言の内容をバールに教えなければ一歩一歩死が近づくことになる。絶体絶命のピンチ!いかにしてサビアが助かったかは本書をお読みいただくしかない。そもそもサビア、バール、カルクがそれほどまでに予言を探求する動機づけがあるのだろうか。そのあたりが少し弱い感じがする。サビアは新発見の予言を本にして200万ドル稼いでやろうというお金目的。バールは何が書いてあるかわからない予言にもかかわらず、彼の所属する秘密結社にかかわる近未来の出来事が書かれているという確信から。カルクは何だろう。単なる興味本位か。封印された予言の設定が百詩篇第七巻の未刊の部分だが、なぜこの部分に21世紀のことが書かれた予言がそろっているといえるのか。この辺りは細かく描かれておらずスッキリしない。で、物語のなかで創作された予言はどのようなものだったか。竹筒から回収された四行詩は58篇ではなく52篇。
52篇の起点が1960年で各年について1篇ずつ割り当てられると終着点は今話題の2012年となる。そこでアルマゲドンの始まりと終わりのときが触れられている。いくらエンターテイメントとはいっても、あまりにご都合主義の感も否めない。刊行された予言集には八巻から十巻までの三百篇が続いている。七巻の後半部分に終末にかかわる重要な予言が隠されているというのも力技でしかない。幻の予言の中身とはどんなものだったか。そこは大いにイマジネーションが掻き立てられるところだ。一応何篇かの四行詩を引用し、解釈を与えているが正直あまり出来栄えがいいとはいえない。最後に予言の描く行く末と現在とリンクさせて物語は終わる。この作品は果たして映画化される位までヒットするだろうか。
ノストラダムス予言集 百詩篇第七巻の未刊部分 ― 2010/04/04 23:45
マリオ・レディングの小説『ノストラダムス封印された予言詩』では、百詩篇第七巻の未完の四行詩が、どこかに秘密に隠されているというのをメインテーマに置いていた。そもそも第七巻はどうして未完なのだろうか。第七巻が初めて登場した予言集の版本は、1557年に印刷されたアントワーヌ・デュ・ローヌ版である。正本と見られるユトレヒト標本(9月6日付)には七巻に全部で42篇の四行詩が収録されている。中途半端な数字で終わっているのは特段おかしいわけではない。マセ・ボノムによる初版本も百詩篇第四巻は53篇しかなかったが、その後増補されたとき、そこに続く四行詩がきちんと載せられている。ローヌ版の海賊版と見なされているブダペスト標本(11月3日付)では40篇と2篇少ない。海賊版とはいえ、オリジナルを忠実にコピーすれば2篇少なくなるのは不自然である。そもそもが粗雑な造りなので頁の割り付け上カットしたといえなくもないがどうも釈然としない。
ノストラダムスの死後版となる1568年ブノワ・リゴー版予言集でも、七巻の四行詩は42篇でFIN(終わり)となっている。その後に第二部の表紙がきてアンリ二世への書簡、八巻から十巻までの百詩篇が続く。初版から増補版の流れを見れば、完成版において七巻の残りの四行詩が追加されていてもおかしくはない。ところが1561年にパリで刊行されたバルブ・ルニョー版(現存していないがピエール・メニエ版がその再版とされる)には第七巻の四行詩が変則的に12篇掲載されている。詩番号が何故か72から83の連番になっているが、正規版とはテクストが異なる。これぞ失われた詩の原型かと思いきや、選択されたテクストは1561年向けの予兆詩がもとになっており、七巻の正規テクストを知らなかったルニョーが勝手に拵えたもの。もっともこうした書誌学知見がきちんと認識される以前の17世紀の予言集の版本には、補遺テクストとして組み込まれることがあった。他にも17世紀には43、44番の四行詩が追加されたり、マザリナード関連で明らかに偽の予言が加えられたこともある。
こうした七巻に付け加えられた予言の信憑性については言うまでもないが、予言を追加する際に七巻の空白の部分を利用したというのは商業的な意図もあったのだろう。予言集の刊行物として日の目を見なかった百詩篇第七巻の未刊の四行詩の謎については、未だに誰も解明できていない。本当に書かれたかどうかも確認できる資料はない。小説にあるような自筆原稿あるいは手稿でも発見されれば別だが、新たなマテリアル(印刷関連する文書等)も現実問題として期待薄である。逆にそこに失われた予言に何が書かれていたか、想像の翼を存分に羽ばたかせることができる。今後もこうしたテーマで小説が書かれることもあろう。
ノストラダムスの死後版となる1568年ブノワ・リゴー版予言集でも、七巻の四行詩は42篇でFIN(終わり)となっている。その後に第二部の表紙がきてアンリ二世への書簡、八巻から十巻までの百詩篇が続く。初版から増補版の流れを見れば、完成版において七巻の残りの四行詩が追加されていてもおかしくはない。ところが1561年にパリで刊行されたバルブ・ルニョー版(現存していないがピエール・メニエ版がその再版とされる)には第七巻の四行詩が変則的に12篇掲載されている。詩番号が何故か72から83の連番になっているが、正規版とはテクストが異なる。これぞ失われた詩の原型かと思いきや、選択されたテクストは1561年向けの予兆詩がもとになっており、七巻の正規テクストを知らなかったルニョーが勝手に拵えたもの。もっともこうした書誌学知見がきちんと認識される以前の17世紀の予言集の版本には、補遺テクストとして組み込まれることがあった。他にも17世紀には43、44番の四行詩が追加されたり、マザリナード関連で明らかに偽の予言が加えられたこともある。
こうした七巻に付け加えられた予言の信憑性については言うまでもないが、予言を追加する際に七巻の空白の部分を利用したというのは商業的な意図もあったのだろう。予言集の刊行物として日の目を見なかった百詩篇第七巻の未刊の四行詩の謎については、未だに誰も解明できていない。本当に書かれたかどうかも確認できる資料はない。小説にあるような自筆原稿あるいは手稿でも発見されれば別だが、新たなマテリアル(印刷関連する文書等)も現実問題として期待薄である。逆にそこに失われた予言に何が書かれていたか、想像の翼を存分に羽ばたかせることができる。今後もこうしたテーマで小説が書かれることもあろう。
羽生に三浦が挑戦する第68期名人戦が開幕した ― 2010/04/08 23:53
http://www.asahi.com/shougi/news/TKY201004080125.html
昨日は仕事で岡山への日帰り出張だった。朝6時過ぎに出発、行きは飛行機、帰りは新幹線で帰宅したのは夜中の11時をまわっていた。行きの飛行機に乗って驚いた。最近はほとんどANAを利用しているが、以前にあったサービスがまるごと消えてしまった。新聞も置いていないし、飲み物のサービスもいつの間にかなくなっていた。ヘッドホンも頼まないと持ってこない。代わりに有料の飲み物のメニューを見せてまわっていたが誰も見向きもしない。これで客室乗務員の人員を削減して経費削減というのだろうか。JALもそうだがANAも経営は相当厳しい感じを受けた。本日より始まった名人戦。他のタイトル戦はすべて無料でネット中継されているがここは有料サイト、ANA同様世知辛い世の中である。
情報は朝日のダイジェストのみ。連盟の支部会員になって毎日新聞と週刊将棋を取っているのだからサービスしてくれればいいのにと思う。名人戦が竜王戦に比べていまいち盛り上がらないのはこうしたシステムによるところが大きい。いまやパソコン上で棋譜を並べられないと、結果のみの注目で終わってしまい、将棋の内容に対する印象は薄くなってしまう。ちょっと愚痴ってしまったが、そろそろ何かいいシステムを考えてほしい。羽生と三浦といえば七冠の一角を崩した棋聖戦が有名であるが、その後は三浦は羽生にまったく歯が立っていない。客観的に見れば、羽生の楽勝に思われる。しかし意外性を発揮するのが三浦の魅力でもある。戦型は羽生の後手番で横歩取り△8五飛戦法。先手の三浦は一時期流行した新山崎流ではなく中住いに構える。
まだ序盤から中盤の入口にかかったところなのでお互い研究範囲だろう。封じ手は常識的には△8一飛か。ゲリラ戦のような戦いのでまったく先が読めない。細かい内容は週刊将棋で確認としよう。
昨日は仕事で岡山への日帰り出張だった。朝6時過ぎに出発、行きは飛行機、帰りは新幹線で帰宅したのは夜中の11時をまわっていた。行きの飛行機に乗って驚いた。最近はほとんどANAを利用しているが、以前にあったサービスがまるごと消えてしまった。新聞も置いていないし、飲み物のサービスもいつの間にかなくなっていた。ヘッドホンも頼まないと持ってこない。代わりに有料の飲み物のメニューを見せてまわっていたが誰も見向きもしない。これで客室乗務員の人員を削減して経費削減というのだろうか。JALもそうだがANAも経営は相当厳しい感じを受けた。本日より始まった名人戦。他のタイトル戦はすべて無料でネット中継されているがここは有料サイト、ANA同様世知辛い世の中である。
情報は朝日のダイジェストのみ。連盟の支部会員になって毎日新聞と週刊将棋を取っているのだからサービスしてくれればいいのにと思う。名人戦が竜王戦に比べていまいち盛り上がらないのはこうしたシステムによるところが大きい。いまやパソコン上で棋譜を並べられないと、結果のみの注目で終わってしまい、将棋の内容に対する印象は薄くなってしまう。ちょっと愚痴ってしまったが、そろそろ何かいいシステムを考えてほしい。羽生と三浦といえば七冠の一角を崩した棋聖戦が有名であるが、その後は三浦は羽生にまったく歯が立っていない。客観的に見れば、羽生の楽勝に思われる。しかし意外性を発揮するのが三浦の魅力でもある。戦型は羽生の後手番で横歩取り△8五飛戦法。先手の三浦は一時期流行した新山崎流ではなく中住いに構える。
まだ序盤から中盤の入口にかかったところなのでお互い研究範囲だろう。封じ手は常識的には△8一飛か。ゲリラ戦のような戦いのでまったく先が読めない。細かい内容は週刊将棋で確認としよう。
第68期名人戦第一局は羽生が逆転勝ち ― 2010/04/09 23:55

http://3rd.geocities.jp/shogi_kifu/index.html
名人戦の棋譜は有料サイトがあるため、原則ネット上では公開されていないが、上のサイトでは解説なしだが時間差をおいてアップしてくれるのはありがたい。羽生と三浦の感想を聞く限り先手が優勢であったらしい。そこを羽生が決め手を与えない指し廻しで三浦のミスを誘ったということになろうか。新聞の解説で92手目△8三飛成が妙手とあるが、素人目には三浦の83手目▲3四桂が大悪手であると思う。86手目△4五銀で抜かれたのはひどい。ここでは素直に4二の地点で清算をしてから▲3四桂を打てば△8三飛成は入らずに先手が勝ちだったのではないだろうか。と、ここまで書いて手順を読んでみたがなかなか明快な寄せが発見できない。優勢とはいえ、やはり微差なのであろう。結果的に三浦は終盤の読みで競り負けたといえる。
この展開は以前の久保-羽生戦を彷彿させる。終盤の入口までいい将棋を作り上げても羽生の終盤力の前に勝ち切ることができないというもの。封じ手は一応予想が当たり△8一飛。先手に馬を作られるだけにやりづらいが、直後の△7六角が飛車の素抜きを狙った意表の一手。三浦の読みから外れていたようで、ここで2時間11分の大長考に沈み▲7三歩と攻め合いに出る。7二のと金が大きく一目先手が指せそうだが羽生も△2五飛と成れる飛車を引いて先手を楽にさせない。初日大きく差のついていた持ち時間も逆転し、結局三浦は最後1分将棋に追い込まれた。羽生は4分。この第一局を落としたことで一気に名人防衛の流れができてしまった感じがする。三浦も四連敗で終わりでは挑戦者として格好がつかない。名人戦を盛り上げるためにも早い段階で1勝がほしいところである。
今日は朝から長い一日だった。我が家に急に新しい家族が誕生した。昨日の時点ではちょっと予想していなかったので本当にあっという間である。ともあれ、これからの成長が楽しみである。
名人戦の棋譜は有料サイトがあるため、原則ネット上では公開されていないが、上のサイトでは解説なしだが時間差をおいてアップしてくれるのはありがたい。羽生と三浦の感想を聞く限り先手が優勢であったらしい。そこを羽生が決め手を与えない指し廻しで三浦のミスを誘ったということになろうか。新聞の解説で92手目△8三飛成が妙手とあるが、素人目には三浦の83手目▲3四桂が大悪手であると思う。86手目△4五銀で抜かれたのはひどい。ここでは素直に4二の地点で清算をしてから▲3四桂を打てば△8三飛成は入らずに先手が勝ちだったのではないだろうか。と、ここまで書いて手順を読んでみたがなかなか明快な寄せが発見できない。優勢とはいえ、やはり微差なのであろう。結果的に三浦は終盤の読みで競り負けたといえる。
この展開は以前の久保-羽生戦を彷彿させる。終盤の入口までいい将棋を作り上げても羽生の終盤力の前に勝ち切ることができないというもの。封じ手は一応予想が当たり△8一飛。先手に馬を作られるだけにやりづらいが、直後の△7六角が飛車の素抜きを狙った意表の一手。三浦の読みから外れていたようで、ここで2時間11分の大長考に沈み▲7三歩と攻め合いに出る。7二のと金が大きく一目先手が指せそうだが羽生も△2五飛と成れる飛車を引いて先手を楽にさせない。初日大きく差のついていた持ち時間も逆転し、結局三浦は最後1分将棋に追い込まれた。羽生は4分。この第一局を落としたことで一気に名人防衛の流れができてしまった感じがする。三浦も四連敗で終わりでは挑戦者として格好がつかない。名人戦を盛り上げるためにも早い段階で1勝がほしいところである。
今日は朝から長い一日だった。我が家に急に新しい家族が誕生した。昨日の時点ではちょっと予想していなかったので本当にあっという間である。ともあれ、これからの成長が楽しみである。
ジャン・ル・ルー『ノストラダムスの鍵』の復刻本 ― 2010/04/10 23:35

久しぶりに紀伊国屋のブックウェブで何冊か洋書を注文した。そのなかにジャン・ル・ルーの"Le clef de Nostradamus, 1710"(ノストラダムスの鍵)の復刻本がある。ル・ルーの本はすでにインターネット上で公開されたものを電子データで閲覧することができる。マリオのウェブサイトでは、デジタルライブラリ(http://www.propheties.it/digitallibrary.htm)の1710-002によって、かつてダニエル・リュゾの蔵書だったものが鮮明なカラー画像で公開されている。あるいは以前本ブログでも紹介したように(http://asakura.asablo.jp/blog/2007/07/16/1659227)グーグル・ブック検索でもpdfファイルでダウンロードが可能となっている。とはいえ536頁もの大著をすべてプリントアウトするのもそう簡単ではない。やはりブックの形で手許に置いておきたい一冊であるので敢えて頼んでおいたのだ。
頁をめくると、全くクリーニングしていないオリジナルのコピーで、手書きの書き込みなどもそのまま復刻されている。表紙の裏側にはオクスフォード大学の蔵書印が押してある。見覚えがあると思ったら、グーグルブックで公開されている電子データそのままを製本した形である。紀伊国屋のウェブページでリンクを張ろうとしてみたが、商品データがすでに削除されていた。先月の時点では注文可能だったものが抹消されているのは不可解である。復刻本の注意書きに"Nabu Public Domain Reprints"が載っている。アメリカでは1923年以前の出版物のオリジナルについては、パブリック・ドメイン(公有財産)になるという。今後もノストラダムスの重要文献がこうしたスタイルでブック化されていくのは大変喜ばしい。
価格は\3,354、大判サイズのペーパーバック。おそらくオンデマンドブックなのだろう。ちなみに背表紙が真っ白というのは少々さびしい感じがする。欲を出せば限がないが、オリジナルの書誌情報や著者に関する解説を数頁でも付けてくれると価値が増すのだけれども。しかしパブリックドメインというスタンスから言うと復刻部分以外に著作権が発生するテクストを載せるのは少々具合が悪いのかもしれない。
頁をめくると、全くクリーニングしていないオリジナルのコピーで、手書きの書き込みなどもそのまま復刻されている。表紙の裏側にはオクスフォード大学の蔵書印が押してある。見覚えがあると思ったら、グーグルブックで公開されている電子データそのままを製本した形である。紀伊国屋のウェブページでリンクを張ろうとしてみたが、商品データがすでに削除されていた。先月の時点では注文可能だったものが抹消されているのは不可解である。復刻本の注意書きに"Nabu Public Domain Reprints"が載っている。アメリカでは1923年以前の出版物のオリジナルについては、パブリック・ドメイン(公有財産)になるという。今後もノストラダムスの重要文献がこうしたスタイルでブック化されていくのは大変喜ばしい。
価格は\3,354、大判サイズのペーパーバック。おそらくオンデマンドブックなのだろう。ちなみに背表紙が真っ白というのは少々さびしい感じがする。欲を出せば限がないが、オリジナルの書誌情報や著者に関する解説を数頁でも付けてくれると価値が増すのだけれども。しかしパブリックドメインというスタンスから言うと復刻部分以外に著作権が発生するテクストを載せるのは少々具合が悪いのかもしれない。
最近のコメント