百詩篇6-35の注釈について ― 2010/02/08 23:21

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ノストラダムスの大事典で百詩篇6-35の四行詩が解説されている。この詩を見て、ふと中村惠一氏の『ノストラダムス予言の構造』(思索社、1982)を思い出した。懐古趣味のようだが少し触れてみたい。この本が新刊書として大学生協の書店に平積みされているを見つけると、すぐ手に取ってレジに持って行った覚えがある。それまでのノストラダムス本とは異なり、ハードカバーで一流大学の先生が執筆している。ざっと目を通すと、文章も高尚でアカデミックな雰囲気が漂っていた。発売当初はノストラダムスもようやく学術的に論じられるようになったかと感慨に浸ったものだ。冒頭に置かれた「はじめのあとがき」では、位相の変化と社会変動などとなにやら難しげなことが書いてある。見かけ上は学術論文の様相を呈している。
ところが四行詩の解釈になると、がらりと雰囲気が変わり、随分とユニークな発想で予言というものを捉えている。百詩篇6-35などはとりわけ解釈の視点がぶっ飛んでおり、特に印象に残っている。「リヨンの近く、白い羊毛に近づく/おひつじ、おうし、かに、しし、おとめ/火星、木星、太陽、大平原がもえる/森と町、大ろうそくの中に文字をかくす」この詩はなんとオーストラリア大陸について語ったものという。中村氏の連想ゲームは冴えわたる。語義の曖昧なRionリオンを、ノワール(黒)のアナグラムとみなすロバーツの注釈をもとに「黒のさかさま、白の近く」を南極大陸の近くと解釈。ノストラダムスの念頭に南極なんてあっただろうか、なんていう疑問は甘い。それを裏付ける鍵を二行目の星座から類推する。よく見ると、おうしとかにの間にふたご座が抜けている。ここに謎が隠されており、欠けているふたごがなんとニュージーランドを暗示しているという。
火星、木星、太陽の意味も、日本で初めて紹介された"The Prognostication for the Years 1559"(1559年向けの予測書)を持ち出して、火の三角形から、暑くて乾いた場所を導き出す。極めつけは4行目。「ろうそく」→燭台candelabreの文字のなかに、オーストラリアの首都キャンベラCanberraが隠されているという意味である。かなり強引なコジツケであるが本人がこの詩を解釈しながら「うん、この解釈は完璧だ」といいながら膝を叩く光景が目に浮かぶようである。この本は第三次ブームの折に増補が再版されたが、そこではノストラダムスの予言に従って退職したと書かれている。どこかで人生の羅針盤が狂ってしまったような気がしてならない。
ノストラダムスの大事典で百詩篇6-35の四行詩が解説されている。この詩を見て、ふと中村惠一氏の『ノストラダムス予言の構造』(思索社、1982)を思い出した。懐古趣味のようだが少し触れてみたい。この本が新刊書として大学生協の書店に平積みされているを見つけると、すぐ手に取ってレジに持って行った覚えがある。それまでのノストラダムス本とは異なり、ハードカバーで一流大学の先生が執筆している。ざっと目を通すと、文章も高尚でアカデミックな雰囲気が漂っていた。発売当初はノストラダムスもようやく学術的に論じられるようになったかと感慨に浸ったものだ。冒頭に置かれた「はじめのあとがき」では、位相の変化と社会変動などとなにやら難しげなことが書いてある。見かけ上は学術論文の様相を呈している。
ところが四行詩の解釈になると、がらりと雰囲気が変わり、随分とユニークな発想で予言というものを捉えている。百詩篇6-35などはとりわけ解釈の視点がぶっ飛んでおり、特に印象に残っている。「リヨンの近く、白い羊毛に近づく/おひつじ、おうし、かに、しし、おとめ/火星、木星、太陽、大平原がもえる/森と町、大ろうそくの中に文字をかくす」この詩はなんとオーストラリア大陸について語ったものという。中村氏の連想ゲームは冴えわたる。語義の曖昧なRionリオンを、ノワール(黒)のアナグラムとみなすロバーツの注釈をもとに「黒のさかさま、白の近く」を南極大陸の近くと解釈。ノストラダムスの念頭に南極なんてあっただろうか、なんていう疑問は甘い。それを裏付ける鍵を二行目の星座から類推する。よく見ると、おうしとかにの間にふたご座が抜けている。ここに謎が隠されており、欠けているふたごがなんとニュージーランドを暗示しているという。
火星、木星、太陽の意味も、日本で初めて紹介された"The Prognostication for the Years 1559"(1559年向けの予測書)を持ち出して、火の三角形から、暑くて乾いた場所を導き出す。極めつけは4行目。「ろうそく」→燭台candelabreの文字のなかに、オーストラリアの首都キャンベラCanberraが隠されているという意味である。かなり強引なコジツケであるが本人がこの詩を解釈しながら「うん、この解釈は完璧だ」といいながら膝を叩く光景が目に浮かぶようである。この本は第三次ブームの折に増補が再版されたが、そこではノストラダムスの予言に従って退職したと書かれている。どこかで人生の羅針盤が狂ってしまったような気がしてならない。
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