ロートレアモンとサド2009/02/26 23:06

最近ハマっている『澁澤龍彦 書評集成』も終わりに近づいている。いろいろな書評を読み進めていくと、澁澤氏の基本的な立場がだんだんわかってきた。自分の感性で良いものは良い、悪いものは悪いと白黒がはっきりしている。その中で面白かったのが322頁にあるモーリス・ブランショ『ロートレアモンとサド』という本の書評である。冒頭から厳しい。「読んでみて呆れかえった。これはひどい翻訳である。第一に日本語がなっていない。」具体例を示して「読者は抱腹絶倒するがよろしい」と翻訳の問題点を示す。さすがに翻訳者の名前はどこにも出てこないが、今はネットで調べればすぐにわかる。この本は小浜俊郎氏の編訳で初版が1970年、その後1973年に改訂版が出たようである。

小浜氏は慶應義塾大学法学研究会から『詩 場所なるもの (フランス近代詩人論) 』を出していることから仏文学専攻の先生ではないかと思われる。澁澤氏の示した訳文は確かにひどい。フランス語をよく理解していない人が辞書を片手に逐語訳、それでも意味の通らない部分は適当な接続詞を補っている。渡辺一民氏の明晰な訳文と比較すると、その差は歴然である、とこれはただの受け売りに過ぎない。どうしてこうなってしまったか、おそらくゼミかなんかで学生に下訳をさせたのだろう。それをあまり推敲することができずに出版してしまった。しかし澁澤氏にこうまで書かれるとさすがに手を入れざるを得ない。改訂版が出たのはそんな経緯があったのではないか。

これを読んで、たまの『ノストラダムス大予言原典・諸世紀』を思い出した。大乗和子氏の翻訳も上の話とダブってしまう。フランス語もよくわかっていなければ英文の翻訳もミスのオンパレード。ロバーツの英訳自体にも問題があるが、それすらもきちんと訳文に反映できていない。澁澤氏の言葉を借りると「これはとても通読に耐える訳文ではなく」、この本がオカルトマニアの愛読書になってしまったのは遺憾にたえない。