ノストラダムスとルネサンス2009/02/23 23:47

『ノストラダムス予言集』の姉妹編として、2000年2月に同じ岩波書店から『ノストラダムスとルネサンス』が出版された。竹下節子氏を除くと執筆者はすべて大学人で、各人の肩書を見る限りではアカデミックな立場から論じられたノストラダムス・アンソロジーである。編者の樺山氏、高田氏、村上氏はいずれも専攻分野では重鎮で、これ以上ない豪華な顔ぶれといえる。この本の企画について初めて聞いたのは1999年の春頃で、その後、竹下氏の『さよならノストラダムス』(1999年6月)136頁に1999年の年末に刊行される予定とあり、期待に胸をふくらませながら待った。予定より少し遅れてしまったが、本書は16世紀の専門家による学術的な見地からノストラダムスを通してフランス・ルネサンスに新しい光を当てるという画期的なものである。

「こんな立派なノストラダムス研究書なのに、コメント欄で、ツッコミどころが満載などとふざけたことを」こんなお叱りを受けるかと思いきや、今のところ、どこからも苦情が来ていない。まあこのブログを見ている人はほんのわずかなので当然かもしれない。ではどこに問題点を感じるのか。タイトルにノストラダムスとあるが、ノストラダムスから離れて思想の周辺を扱っているものもある。ノストラダムスの予言に言及してもそれは単に岩波の訳書から引用したものが多数を占める。岩波の訳書に載っていない予言については甚だ冷淡に扱われている。ノストラダムスが客寄せのためのダシとして使われたのもあるのではないか。先生方のなかには、ほとんどノストラダムスを調査せず持分の専門テーマについて書いているだけでは。勝手にそんな疑惑を持っている。

せっかくのノストラダムス論集に「ノストラダムス受容史」が入らなかったのは、返す返すも残念である。聞くところによると、推薦してくれた人がいたが、ルネサンスがテーマなのでそぐわないと削られたらしい。高田氏の「ノストラダムス物語の生成」は欧米の事情をまとめているが、日本のノストラダムス現象は欠落している。やはり活字で残しておくべきだったと今でも思う。ユリイカ版は事実誤認の誤りもわずかにあるので、ちょこっとルネサンスに関する文章を入れ込んで岩波版に書き換えれば問題なかったのでは。こうした所に、真摯な在野の研究者への軽視とアカデミシャンの排他性を感じてしまうのは、少し偏見が過ぎるだろうか。