天変地異の黙示録 ― 2008/08/20 23:57
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4537254017.html
小松左京 天変地異の黙示録―人類文明が生きのびるためのメッセージ 日本文芸社 2006年 を読んだ。小松左京氏といえば1970年代に大ヒットした日本沈没が2006年夏に再び映画化されて話題になったばかり。この本はそれとほぼ同じタイミングで刊行された。そもそも本書に含まれる論考は「第1部 地球文明に未来はあるか?」の書き下ろしを除いく「終末観と未来のイメージ」、「ユートピアの終焉」、「地球政治時代への提言」の三つはいずれも1970年代に書かれている。第2部の異常気象や地殻変動、宇宙規模の異変などは人類の終末を予感する未来のイメージとして、その後登場した予言解釈本に取り込まれたものが多い。
三部はちょっと話題が変わってユートピア像の変遷をたどっている。人類の理想とする社会とはどのようなものか。現代でいえば福祉の充実した国、失業率が低い国とか文化的レベルが高い国とか、各人いろいろな理想郷があることだろう。16世紀にはイギリスのトーマス・モアが『ユートピア』という二巻本を書いた。モアの描くユートピアは今の目で見ると首を傾げるところもある。この国には奴隷がいて雑役を担う。こうした身分社会があって理想国家といえるのだろうか。すべての生産物はすべて倉庫に収められほしいものは自由に無償で取ることができる。すべてを共有する共産主義の先駆けといえる。もともとアウグスティヌスの『神の国』やプラトンの『国家』が「まだ地上に存在しない理想社会」を描いている。
カンパネラの『太陽の都』やジョージ・オーウェルの『1984年』、スウィフトの『ガリバー旅行記』、ウェルズの『来るべき世界』など昔読んだ本もユートピアあるいは反ユートピア小説としてラインナップされている。そして究極のユートピア小説をもって「ユートピアの終焉」とする。ノストラダムス予言集も予言者の望む、一種の究極の理想未来を描いた作品とみなせるだろうか。モアの思想との比較でそういった観点での読み方も面白いかもしれない。
小松左京 天変地異の黙示録―人類文明が生きのびるためのメッセージ 日本文芸社 2006年 を読んだ。小松左京氏といえば1970年代に大ヒットした日本沈没が2006年夏に再び映画化されて話題になったばかり。この本はそれとほぼ同じタイミングで刊行された。そもそも本書に含まれる論考は「第1部 地球文明に未来はあるか?」の書き下ろしを除いく「終末観と未来のイメージ」、「ユートピアの終焉」、「地球政治時代への提言」の三つはいずれも1970年代に書かれている。第2部の異常気象や地殻変動、宇宙規模の異変などは人類の終末を予感する未来のイメージとして、その後登場した予言解釈本に取り込まれたものが多い。
三部はちょっと話題が変わってユートピア像の変遷をたどっている。人類の理想とする社会とはどのようなものか。現代でいえば福祉の充実した国、失業率が低い国とか文化的レベルが高い国とか、各人いろいろな理想郷があることだろう。16世紀にはイギリスのトーマス・モアが『ユートピア』という二巻本を書いた。モアの描くユートピアは今の目で見ると首を傾げるところもある。この国には奴隷がいて雑役を担う。こうした身分社会があって理想国家といえるのだろうか。すべての生産物はすべて倉庫に収められほしいものは自由に無償で取ることができる。すべてを共有する共産主義の先駆けといえる。もともとアウグスティヌスの『神の国』やプラトンの『国家』が「まだ地上に存在しない理想社会」を描いている。
カンパネラの『太陽の都』やジョージ・オーウェルの『1984年』、スウィフトの『ガリバー旅行記』、ウェルズの『来るべき世界』など昔読んだ本もユートピアあるいは反ユートピア小説としてラインナップされている。そして究極のユートピア小説をもって「ユートピアの終焉」とする。ノストラダムス予言集も予言者の望む、一種の究極の理想未来を描いた作品とみなせるだろうか。モアの思想との比較でそういった観点での読み方も面白いかもしれない。
最近のコメント