ドマール・ラトゥールの『フランス近未来の予言 1914-19..??』 その12018/10/28 22:50

1914年の予言に関する新聞記事のなかでノストラダムスを含む(?)23人の予言について紹介したが、当時は様々な予言が百鬼夜行のごとく飛び交っていた時代であった。注文していたDEMAR-LATOUR A.の"1914-19...?? Les Prédictions sur L'Avenir Prochain de la France."(フランス近未来の予言)が手元に届いた。64頁の小冊子である。先に触れたように新聞記事の「しかし二十三人の予言者の言葉によれば単に滅ぼさんためではなくてエホバに武装(よそ)われた諸王が驕れる市を信仰と愛との市に清めんためであるという。」のソースではないかと踏んで入手したものだ。

表紙(写真参照)を見ると、なぜか出版年が記載されていない。内扉にも表記はないがパリのEditions Pratiques et Documentairesより出版された本で、価格は1フランと記されている。表題にあるように1914年からの近未来を掲げていることからおそらく1914年に印刷されたのだろう。当時はそれまでにない世界中を巻き込んだ戦争が始まったばかりで、いつまで続くのか、フランスの戦況がどうなるのか、世界の終わりにつながる反キリストの戦争なのか、このまま世界は終末を迎えてしまうのだろうか、人々は先の見えない不安を抱えながら生活していた。

そうしたご時世のなかでドマール・ラトゥールは予言というキーワードを使ってこうした疑問に応えようと急遽この本を書いたのだろう。1915年にその続編といえる"Nostradamus et les Evenements de 1914-1916"(ノストラダムスと1914-1916年の事件)を出版したが、やはり64頁の小冊子であった。ジョルジュ・ミノワの『未来の歴史』(筑摩書房、2000)585頁によれば、19世紀は民間予言術の炸裂した時代であった。伝統的占術の世界では、それまで秘されてきた過去の予言の数々が相次いで「発見」され、大きな話題を呼んだ。

そのなかに1850年にプレモルの修道院で発見された古い予言文書や1851年にラインラントのある修道院で見つかったオルヴァル予言書、ポーランドの修道士セヴェリンの予言書、ロシアのラスプーチン、1903年地震によるサンフランシスコ壊滅を予見したエドムンド・クレフィールドの予言があるが、それらはあくまでも一例にすぎない。当然のごとく、第一次世界大戦もありとあらゆる予言の好餌となり、未曾有の大戦争と結びつけられることになる。実はラトゥールの本と一緒に1916年に出版された"Le Destin de l'Empire Allemand et Oracles Prophétiques"も注文したがいずれ紹介したい。

ドマール・ラトュールの本の第2章「フランスに関する予言」は冒頭に以下の予言を並べている。プレモル(Premol)の預言、オルヴァル(Orval)の預言、ミシェル・ド・ノートルダムの予言、マーリン(Merlin)の予言、ウェルダン・ドトラント(Werdin d'Otrante)の予言、プレサンス(Plaissance)の予言、「グラン・シェフ」(Grand Chef)の預言、至福のベルナール・ド・ビュスティ(Bernard de Bustis)の予言、P.イェローム・ボタン(Jérome Botin)の予言、ロドルフ・ギルティエ(Rodolphe Gilthier)の予言、P.カリスト(Calliste)の予言、エルマン(Hermann)の預言、マイエンス(Mayence)の預言。

ラトゥールはなぜか預言(Prophétie)と予言(Prédictions)の表記を使い分けている。ここで言及されているのは13の予言であるが新聞記事の23人というのは他の古の予言も含めてということだろう。そのため必ずしもこの本だけが新聞記事の元ネタとはいえないが当時は似たような予言本が数多く登場していた。13の予言のなかにノストラダムスの予言も入っているが他の予言は日本ではあまりなじみがないかもしれない。ただマイエンスの予言については、先日紹介した新聞記事のなかでも言及されているので参考までに下に引用しておく。

マイエンスの有名な予言は1854年から始まってその歌の18節中13まで成就したが、残る5節は未だ完うされていない。その5節はすなわち今日の惨憺たる戦争をいっている。ビスマルクとハイチはまた予言者中に数えられているがビスマルクは1887年に英国のぐわ家リッチモンドに向って「次の戦争には欧州の地図から仏と独とはその姿を消してしまうであろう」と言ったまだまだ今度の戦乱には不思議な予言や俗謡が古の町に繰り返されている。
(続く)

ドマール・ラトゥールの『フランス近未来の予言 1914-19..??』 その22018/10/28 23:12

ドマール・ラトゥールは、第2章でフランスの未来を示す前に過去に的中したとされるノストラダムスの予言を取り上げている。1-3(フランス革命)、1-31(革命による戦争)、1-57(ルイ十六世の殺人)、9-20(ヴァレンヌ事件)、8-87(ルイ十六世の有罪判決)、9-77(王妃の責め苦)、5-33(ナントの溺死)、1-60(ナポレオン一世)、7-13(ナポレオン帝国)、8-57(ナポレオンの歴史)。これらの予言のノストラダムス注釈者としてトルネ・シャヴィニー神父とアナトール・ル・ペルティエの名前を挙げている。第3章では「予言された出来事」のなかで現在から近未来をテーマ別に予言を取り上げている。

ノストラダムスの四行詩にはなぜか章番号の記載がないものもある。20世紀の初め(6-74)、フランス・ドイツの近々の戦争、フランスの革命的無秩序の期間(8-98)、革命に続く大戦争、パリの破壊?(6-96、6-97、3-84)、別の都市の破壊(2-93)、分裂か?、大教皇・異端と不信者の改宗(5-74、5-75、5-76、5-77、5-78、5-79、5-80)、グラン・シェフ(4-86、6-3、5-6、6-28、10-95、4-77)、反キリスト、時の終わり。ミノワのいうように未来の部分については<大いなる君主>の到来や黙示録の焼き直し以外の要素は見当たらない。ここらがフランスの伝統的予言解釈の限界なのかもしれない。

ドマール・ラトゥールは、第6章の「予言された出来事のおおよその日付」の最後に聖マラキの法王予言のスパンから大胆にも世界の終わりを2050年頃と明かす。近未来の予測として「フランスの革命的無秩序」の期間を1920年か1925年まで推測する。反キリストによる荒廃は1950年から1975年と具体的な年代を掲げている。1950年という年代は先に紹介したアンナ・カタリーナ・エメリヒの幻視にある「20世紀の中葉」に基づいたものか。あるいは当時ル・フィガロ紙に掲載されて話題になった修道士ジョアンヌの予言18節の2000年頃登場する反キリストの予言を念頭に置いたものか。

いずれにせよ現代の我々から見ると、未来の日付はすでに過去に追いやられ、年代の外れは明白となった。予言というのは歴史的に見てこうした予想と外れを繰り返すものと改めて思い知らされる。ノストラダムスが予言を記した真の意図は思いもかけない悲惨な出来事が起きたとき予言を紐解くことによってそれは運命として受け入れざるを得ないという慰みを人びとに与えたものではなかったか。決して正確な予言を残して未来の人々への警告を残したわけではない。ノストラダムスの予言テクストをいかに丹念に読み解いたとしても決して未来に何が起こるのか解明することはできない。

しかし過去となった出来事については、予言を読む人の心象に刻み込まれているため後知恵で解釈を当てはめることはできる。その解釈はあくまでもその時代の事件と曖昧模糊としたアナロジーの範疇を出ないものではあるが、人びとはそれを否応なく予言の的中と見なしてしまう。そして時代を通じてどんな悲惨な出来事が起こったにせよ、それを予言集のなかに見出だすことになるのである。ノストラダムスの予言集では当時の風説にあった予兆と未来の出来事を鮮やかな対比で描いて見せる。それが時代を超えたテクストの生命力につがったと考えられる。
(了)