予言集の比較についてのコメント ― 2017/02/19 22:09
ノストラダムスの大事典 編集雑記のなかで、sumaruさんより1605年版予言集の偽年代説についていろいろとコメントをいただいた。前回は大事典の原典比較の凡例を旧版で行っていたので新版に合わせた形で少しリストの修正を行った。(図参照)それにしてもこれまで校異を行った500篇もの四行詩をすべて見直すという作業は想像を絶するものがある。その真摯な研究姿勢には敬服したい。1605年版ノストラダムス予言集についての扱いについては、別にけんかを吹っかけようとかという意図はまったくなく、自分がこれまでに集めた情報に基づいた見解を示したに過ぎない。
1620年代に出た版が全てシュヴィヨを踏襲しているというのは、話の持って行き方に少々疑問を感じました。
これについては少々舌足らずであったかもしれないが、1620年代に出たすべての版がシュヴィヨ版を直接参照したといっているわけではない。上のリストでも明らかなように誤植や省略が引き継がれているためマルニオル版がシュヴィヨ版を参照し、他の版がそれを粗悪にコピーしたというのは全く異論がない。1605年版を否定するというよりはその当時に存在した痕跡となる証拠を見いだせないことを示したものである。
具体的に言えば、1605年版および1628年ごろのデュ・リュオー版の百詩篇本編の原文は1568B(ギナール式。当「大事典」旧分類の1568C)およびシャヴィニーと強い一致を示しますが、ギナールも指摘するように、リゴー後継者、ピエール・リゴーらが踏襲したのは1568Aの方で、1568Bは後のリヨンの版に直接的影響を及ぼしていません。
この1568年版のテクストについて十分承知はしているが、正直いって1568年版予言集の系譜を後世の版本の影響に位置付けるのは適切ではない。なぜならその出版者自身はどれがどれか区別することなく、入手できたマテリアルをベースにテクストを組んでいるだけと推定されるからだ。それこそsumaruさんが示したことは十分に起こり得るものである。1568年版のテクストの変遷と1605年版のような決定的なマテリアルの変化を一緒くたにすべきではないように思う。
他方、「それを疑っている研究者として「パトリス・ギナールら」と素っ気ないが、もはや主流とはいえないのではないか」とのコメントもありますが、私は彼以外に踏み込んだ書誌研究をしている近年の研究者に心当たりが無く、真作説・偽作説以前に1605年版に言及している研究者を(もちろん新戦法さんは別として)見ていませんので、新戦法さんの多岐にわたる論点全体を論評するには材料が足りないです
ギナール以外に1605年版を否定した研究者は心当たりはないというが、繰り返しになって恐縮だが1975年ダニエル・リュゾが現物を見て書誌研究の発表を行っている。またギナールと双璧の研究者であるジャック・アルブロンもノストラダムスの予言集の1605年版が偽年代版としている。彼はマリオのサイトに発表している研究論文96 Les deux volets de prophéties- quatrains : almanachs et centuries.(予言集‐四行詩の二つの翼:暦書と百詩篇)のなかで、この版本の初出として1643-1644年を提言している。もっとも彼はシュヴィヨ版も偽年代版としてデュ・リュオーと同時期の1630年代を想定しているが1605年版がシュヴィヨ版の後の時代というのは変わりない。
ギナール以外で各版の原文の分析まで踏み込んで実証している論者はいないのではないか、であるならば、それをもってショマラやブナズラの所説を否定することは妥当ではないのではないか、とは感じています。
ショマラやブナズラの所説はセヴの書簡の日付と反マザランの2詩が含まれていないことで正確な日付の根拠を確認できたとしているが、1605年版の正年代を証明するものとしては弱い。セヴの書簡の日付は1605年だが、六行詩についてはアルブロンのいうようにモルガールが先行している可能性があり、出版年とは直接関係はない。1605年版にはない反マザランの2詩は、1649年に出版された3つの版で付け加えられたために版本の基本的なマテリアルが一致している可能性が考えられる。
他方で、1611年版が先行すると断言しようとするとそれはそれで不自然に感じられる点が出てくるのも事実です。
ここを示していただければ幸いである。いずれにしても断言するにはそれなりの検証が必要というのはまったくその通りで、今後も調査を進めていければと思う。
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