ノストラダムスの光 ― 2017/02/15 00:23
上記のブログに「妖怪人間とノストラダムス」というテーマで取り上げられている。それによると、『妖怪人間ベム大全』(2007年4月、不知火プロ)という本の70頁の1968年版第13話「ミイラの沼」の脚注のなかでノストラダムスへの言及がある。
絵コンテには千年に一度、金星の光を反射した月の光のことを「ノストラダムスの光」と呼んでいた。それについては特に説明もなく、当時の流行を反映したものだと思われる。
もう少しこの話の背景を詳しく知りたいと思い、図書館で該当部分を読んでみた。「ミイラの沼」のあらすじのなかにこう書かれている。「・・・月の光に照らされて呪いが解けたミイラたちは、仲間の発掘を始め、いまでは半分近く復活、あとは王を復活させるだけだ…」「妃を中心に、王復活の儀式が始まった。金星の光を反射した月、それは千年に一度の現象(※2)であり、その月に向かって呪文を唱える妃。すると、祭壇に乗せられた王のミイラに、月の光が照射され、なんとミイラとして復活したのだ。」このなかの(※2)の脚注が上のコメントである。本編のなかではこの呼び名は出ていない。
五島勉『ノストラダムスの大予言』が刊行されたのが1973年11月であるからそれより5年も遡る。ノストラダムスの名前がそれほど一般的に知られていなかった時代にどうしてこのような名称が付けられたのだろうか、このブログを読んでずっと疑問に思ってきた。そもそも「ノストラダムスの光」というキーワードはこれまで見聞きしたノストラダムス本のなかに一切見られない。この回の放送日は1967年12月30日とあるから少なくとも渡辺一夫、黒沼健、澁澤龍彦らによる紹介はすでになされていた。また海外ものではカート・セリグマン、ジェス・スターンの邦訳にも簡単に触れられている。
日本でノストラダムスの名前が活字として登場したのはいつ頃であろう。いろいろと調査を進めていく中でノストラダムスといえばゲーテの『ファウスト』をもって語られるものが多かった。『ファウスト』の日本語訳が初めて出版されたのは1904年(明治37年)の高橋五郎訳『フアウスト』らしい。その50頁には「此の神秘なる法術書、ノストラダマス師の手ら著はせる者」とある。これが日本で初めての登場なのではないか。その後も1913年(大正2年)の森林太郎(鴎外)訳『フアウスト第一部』の「ここにノストラダムスが自筆で書いて、深秘を傳へた本がある」が有名どころである。
次々に『ファウスト』の翻訳は出版されており、ノストラダムスの名前も見ることができる。そのため初期のノストラダムスを紹介する本のなかでは必ずといっていいほど『ファウスト』への言及がある。
1943年 吉岡修一郎 「占星術と天文学との関係、その歴史」345頁 in『天界269』
1947年 渡邊一夫 「ある占星師の話」30頁 in 『人間』昭和22年11月号
1961年 澁澤龍彦 「星位と予言」142頁 in 『黒魔術の手帖』
1963年 門馬寛明 「18. ルネッサンス初期の占星術界」148頁 in『西洋占星術』
1943年 吉岡修一郎 「占星術と天文学との関係、その歴史」345頁 in『天界269』
1947年 渡邊一夫 「ある占星師の話」30頁 in 『人間』昭和22年11月号
1961年 澁澤龍彦 「星位と予言」142頁 in 『黒魔術の手帖』
1963年 門馬寛明 「18. ルネッサンス初期の占星術界」148頁 in『西洋占星術』
本題に戻ると、「ミイラの沼」は『ファウスト』のノストラダムスの関連部分に非常に近いキーワードが見られる。「おお、あふれる月の光よ、」「月は光を隠す―あかりが消える!」「ノストラダムス自筆の、この神秘に満ちた本は、おまえの道案内に十分ではないか」「わしの招きよせた霊よ!姿をあらわせ!」(いずれも高橋健二訳)ここから「ミイラの沼」が『ファウスト』の霊を呼び出す箇所をモチーフに創作されたストーリーではないかと考えられる。残念ながら千年に一度というキーワードは見つけられなかったが、月の光に照らされて霊を招きよせるというプロットは十分共通性が認められる。
なお、1928年の青木昌吉『ファウスト註釈』15頁は、おそらくまとまったノストラダムスの人物紹介の初出と思われる。念のためここに引き写しておこう。読みやすいように適宜現代仮名遣いに修正していることをお断りしておく。
Nostradamusは本来Michel de Notre-Dameと名乗った星占学者である。この人は1503年にフランスのProvenceのSt.Remiに生まれた。彼は医者として好評を得た後専ら星占術の研究に従事し、1555年 Les propheties de Michel Nostradamusという表題で韻の押してある四行の詩の詩集を公にした。この詩集は世人の耳目を聳動(しょうどう)した。フランス王Heinrich II.が逝去してこの詩集に含まれている神秘的予言が的中したように思われたのでこの詩集の予言的価値を信ずるものが多くあった。彼はKarl IX.の侍医に任命された後にも予言を公表することを続けたが彼の説によると将来を予知するには星座の形勢の研究許りでは足りない星座の知識に加えるに預言者(Seher)の才能がなければならぬがこの才能は神様が僅かな選ばれた人にのみ賦与するものである。彼は1566年に死んだ。
最近のコメント